おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

薬と体重を減らせ!

ごきげんよう、鮭ほぐしが一ト瓶あれば白ごはんが一気に3合は食べられる自信があるけど、何にもなしの白ごはんでも1合くらい平気で食べちゃうおじさんだヨ!(デヴ発言)

乳房切除術から順番におじさんの性別適合手術の過程をお話ししてきましたが、いよいよ今回から最後の手術のお話です。陰茎形成術、ちんちんをつくる手術です。おそらく当ブログをお読みのみなさんの8割以上がこのお話目当てなのではないかと推測しています。

みんなちんちん大好きだネ! おじさんもだヨ!

では、3度目のタイでの手術も断薬からゴウゴゴー。

おくすりのこと

タイへ出かける前に日頃服んでいる薬を徐々に減らして、渡航1箇月前にはまったく服まない状態にしなくてはならないのは、これまでと同じです。ただ、3回目の今回は前回、前々回に比較して大変不調でして、割りとたくさんの種類、たくさんの数の薬を服んでいて大変でした。

やめる手間はさほど変わらないのですが、やめたときの状態が著しくダウナー。薬を服んでいてもぐったりしているような時期だったので、服まないともっとぐったりで、床の上にべろーんと広がってるしかないみたいな。

f:id:oji-3:20200531131216p:plain

さらにはですね。

2010年を過ぎて、性別適合手術を求める人が増えつつあったこと、世界の国々で性同一性障害者についての制度が整えられつつあったこと、伴って手術に関するトラブルが増えてきたことなど複数の要因によって、手術を受けるための準備も手数が多くなっていました。

渡航前に国内で健康診断とHIVの検査を済ませておかなければならないのは以前からですが、持病がある者は服薬歴を事前に提出しなければならない、と今回はじめて、手術をするヤンヒー病院側からお達しがありました。

そのとき、おじさんは既に薬を服んで18年くらいのベテラン服薬erだったのですが、正直のところ、いつ頃何て名前の薬をいくつ服んでいたかなんて、憶えていません。おくすり手帳の制度ができる以前から服んでいますから、記録もなく。

f:id:oji-3:20200531141424p:plain

当時の主治医のお世話になって約10年くらい。さいわい、カルテがすべて保管されているとのことで、主治医の看護師たちが10年分の薬の処方を書面にまとめるという大仕事を請け負ってくれました。

当時はたいていの病院で電子カルテが採用されていたのですが、おじさんの主治医は個人医である上に手書き主義の人で、カルテはすべて紙で残っていました。それらのページを繰りながら通常業務の傍ら、3人がかりで数週間かかって処方のリスト化をしてくだすったそうです。しかも無償でした。有難うございます&何かすみません。

減量のこと

前回の手術、陰茎形成準備術のときにちらりとお話ししましたが、執刀医が仰ることに「次回手術までにBMIを25以下にしてくること」。前回渡航時のおじさんのBMIは何と29.6。紛う方なきデヴ。次に来るときはデヴではなくなっているように、という指示です。

当時のおじさんの体重は78.5kg。BMIを25以下にするためには61.6kg以下にまで減量しなければなりません。17kgほど落とさなければいけないということです。

次の手術までは最低半年開けなさいということでしたが、術後の経過や手術費用が許しても、減量の状況が許すかどうかわからない、というクライシスでございますよ。

どうして痩せる必要があるのかは執刀医からは聞けませんでしたが、後々調べてみましたところ、どうやら肥っていると手術がしづらい(脂肪の厚みが邪魔になる)、また傷が治りにくい、合併症などのリスクが高くなるなどの理由があるのだということがわかりました。煙草と肥満は手術に禁物です。

f:id:oji-3:20200531135159p:plain

食事を計量したり毎日歩いたりアレ飲んだりコレ飲んだり、いろいろやりました。「いろいろ」については機会があれば、また後ほど。

おじさんも10代の頃から何度か減量をしていて、何度か成功していて、それでもたびたび難儀するのですが、経験を通して実感した当たり前のことがあります。それは、体重を落とすためには、消費カロリーが摂取カロリーを上まわる必要があということです。

これを実現する方法は

  1. 摂取カロリーを低くする=食べる量を少なくする
  2. 消費カロリーを高くする=運動量を増やす

これだけです。これ以外の方法はありません。

○○ダイエットとか痩せる××とか、世の中には減量・痩身に関わる材料や方法論が溢れていますが、それ等の大抵は気休めです。しかし確かに、気休めは必要です。

気休めを気休めと知りつつ適度に利用して、摂取カロリーと消費カロリーの調節。これを根気よく続けることで、おじさんは減量しました。78.5kgの体重が、渡航直前には59.6kgまで落ちました。

いろいろやったんですが、結局のところ一番効いたのは断薬でした。手術のために常用薬を断って、ろくに動けなくなって食事も摂れなくなって寝込んでいる期間が、最も体重がスムースに減った時期でした。1箇月近く「1日にカップ麺1コ」てのが続きましたのでね。

出発しよう

体重が落ちた。BMIが25になった。なせばなってしまうのだなあ。

と言ったところで三たび出発なのです。

3度目の、そして最後のタイへ出かけて、一番大きな手術をするの巻。次回からお話しして参ります。飛行機から大変だったよう。

▼クリックするといいことがある(おじさんに)。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

 

腕の面倒を見る

ごきげんよう、聞こえてきた歌に合わせて鼻唄を歌うとき、歌詞がない部分を歌いがちなおじさんです。


2回目の渡タイで腕にトンネルを拵えて、尿道を延長する手術を受けたお話をしております。手術が終わって、病院で見たものやコンビニで気に入ったものなどのお話を、前回はさせて頂きました。


腕のトンネルのその後のこともお話しする予定でしたが、できずにおりました。本日そのお話をさせて頂きます。本日の記事には腕に穴が開いてて、しかもまだ治癒しきっていない状態の生々しい写真が出てきます。グロ苦手のみなさんはお気をつけくださいな。

腕に穴を開けた後

腕にトンネルを開通させていったいどないするねんな、というお話を、手術のお話の記事でさせて頂いたのですが、憶えておいでですか。「その記事読んでないわ」という方はちょいとお読みください。

左前腕の内側に空けたトンネルが尿道になるという奇ッ怪なお話です。こんなことができてしまうんですねえ。おじさんは今回の手術で腕にトンネルができた訳です。

トンネルを空けてすぐにこの部分がちんちんの材料として使える訳ではありません。手術の傷が癒えるのを待たなくてはなりませんのでね。次の手術までは最低半年空けるようにと執刀医からは言われます。

手術の日から2週間後には帰国してしまいますから、最低半年間は自宅で腕トンネルの世話をしないといけないということですな。どんな風に世話をするかというのは、次の項で。

腕トンネルのケア

腕トンネルなんて滅多に見聞きするものではないのでよくわかんないかと思いますが、ピアスみたいなものだと思ってください。似たようなものです。手術した人の中には「腕ピアス」と呼ぶ人もいるようですしね。

開けた穴には常に尿道カテーテルを挿し込んでおかないといけません。でないと、せっかく開けたトンネルが塞がってしまいます。でも清潔にしておかないといけないので、毎日1回はカテーテルを外してトンネルの中を洗浄する必要があります。

さて、その手順は次の通り。

1.カテーテルを外して、トンネルの中を生理食塩水で洗浄します。

f:id:oji-3:20200526220942j:plain
手首側の入口からじゃばじゃばー、肘側の入口からじゃばじゃばー、と勢いよくトンネルの中に生理食塩水を流して、これを2~3回繰り返します。

2.穴の入口に軟膏を塗ります。

f:id:oji-3:20200526225940j:plain

軟膏は病院で処方された抗生剤です。傷が化膿しないためと、後でカテーテルを再挿入するの潤滑剤にもなります。

3.軟膏はトンネルの両側に塗ります。

f:id:oji-3:20200526221005j:plain
最初の3箇月くらいはこうして薬剤を塗りますが、傷が落ち着いたら潤滑ジェルに変えます。

4.軟膏または潤滑ジェルを穴の入口に塗ったら、尿道カテーテルをゆっくり差し込みます。

f:id:oji-3:20200526230033j:plain

カテーテルはシリコン製で、潤滑剤が充分でないと穴に入っていきづらいです。ヌルヌルしてなかったり、慌てて乱暴に挿れようとすると挿入しづらい上にちょっと痛いことも。オトナならわかるよネ。

5.カテーテルは手首側から肘側まで貫通させます。

f:id:oji-3:20200526230101j:plain

きちんと挿し込んでおかないと、将来、尿道になるトンネルが塞がってしまいます。せっかく手術したのが無駄にならないようにケアします。

6.カテーテルを差し込んだら、穴の入口の両方に、写真のようにガーゼを挟み込んでおきます。

f:id:oji-3:20200526230128j:plain

7.腕にカバーをかけておきます。

f:id:oji-3:20200526230158j:plain

1~6の手順を済ませたら、本来は包帯を巻いておくのですが、1人でケアをするとなるとなかなか難しいので、おじさんは写真のような感じでカバーをかけてました。写真で使用しているのは100円ショップで買ってきた靴下(踵がないもの)の爪先をちょん切ったものです。

上に並べている写真は手術してから2~3週間の頃のもので、穴の入口のかさぶたが随分痛々しく見えますが、時間が経ってかさぶたが取れて傷が安定すれば、次の写真のようにきれいになります。

f:id:oji-3:20200526230226j:plain

この写真は手術から11箇月後のものです。1年も経ってないけど結構きれいに治癒してるでしょ。

カテーテル交換の際には煮沸消毒をするようにと病院から指導されますが、「煮沸」と言っても湯でカテーテルを煮てはいけません。

f:id:oji-3:20200526230259j:plain

煮込むとカテーテルが変質して変形のもととなります。煮るのではなく、熱湯をかけて消毒するのです。写真をごらんになっておわかりの通り、おじさん実はやってました。だって「煮沸」て言ったら煮ると思うじゃん……(バカ)。

熱湯が手に入らない環境なら、乳児の食器などを消毒するミルトンやチュチュベビーを使用してもいいそうです。いちいち湯を沸かすのが面倒になって、おじさんはほとんどミルトンのお世話になっていました。

次の手術まで

こんな風なケアを毎日欠かさずしなくてはなりませんし、カテーテルや傷をどこかに引っかけてしまわないように気をつけて生活しなければなりません。

カバーや包帯で覆っていればその心配も少なくなりますが、夏などはとても暑くて厭になります。おじさんは厭になって、はじめて夏を迎えて以降はカバーも包帯もなしで過ごしていました。

買いものして支払いをするときに、おじさんは親指を上に向けた左手で財布を持ってお金を取り出すのですが、カバーをつけていないと腕にカテーテルが突き刺さっているのがまる見えになります。

おじさんは全然慣れてしまっているのですが、レジのお兄さんお姉さんらを割りとびっくりさせてしまっていたみたいで、「ごめんね」と思うこともしばしばでした。

f:id:oji-3:20200527212817p:plain
お風呂に入るときも、最初は「濡らさないように」と気をつけて腕を上げて湯に浸かったりしてましたが、そのうち気を使わなくなって、手術していないときと同じように入浴するようになりました。慣れると普通に生活できました。

こうして最低半年間、腕の面倒を見ながら生活する訳ですが、おじさんが次の手術を受けたのは、腕の手術からまる5年経ってからのことでした。5年間、腕にカテーテルを挿したまま生活してたの。

カテーテルがめちゃくちゃ好きだった訳ではなくて、やっぱり体調とかお金とか仕事の都合で延び延びになっていたのです。特に持病、うつ病の調子がよろしくなくて、5年の間に2~3回入院してました。

やせてこい

さらにですね。

最初の記事とかプロフィールで述べてます通り、おじさんデヴなんです。手術を受けたときもやっぱりデヴで、腕の手術のときに執刀医から「次の手術を受けるときはBMIを25以下にしてくるように」と言われたんです。デヴだと手術しづらいみたいです。

当時のおじさんのBMIは29.6くらいあって、10数kgくらい減量しなくてはいけませんでした。この減量に手間取ったのも、5年も開いてしまった理由のひとつではあります。

おじさんが現在すべての手術を済ませているということは、そうです、無事に減量できて、おじさんはかなりスリームになりました。でも現在は減量前より重いです。

どうやって痩せたかとか、うつがどんな風にひどかったかとか、腕トンネルに対する周囲の反応とか、そういったお話にもおもしろいものがあるのでのちのち記事にする予定でおりますが、まずは手術のお話をすべて済ませることと致します。

次回は三たびタイへと出発の巻。

▼クリックで救えるおじさんがある。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

病院のよもやま

ごきげんよう、同じものを1日3食1箇月くらいなら食べ続けても平気なおじさんです。

手術が終わって1週間ほど入院しまして、さらに1週間ほどバンコク市内に滞在していたのですが、持病の薬も服めないしあまり調子もよくないしで、今回の滞在はほとんど宿でぐったりしてました。特に何もしてないの。

しんどかったのと、特筆すべきことがなかったのとで、当時のメモもほとんど残っていないのです。保管されてないんじゃなくて、そもそも書いてないのね。前回の渡タイ時は割りと細かいことを書き残していたのだけど、今回はそれどころではなかった。

断片的なメモから今回はお話ししましょう。

病院のこと

前回の入院から3年半経っているのですが、その間にも変わったことがいくらかありました。そのひとつは、病院の食事です。

以前はいかにも「病院食」という感じのメニューと食器で、「どこの国の病院食もあんまりおいしくないものなんだなあ」などと思いながら帰国したものですが、今回はちょっと豪華になっています。

f:id:oji-3:20200525193547j:plain

これは入院3日目の朝食▲ 器が違うでしょ? 

前回のある日の朝食はこんなでした▼

f:id:oji-3:20200525193845j:plain

いかにも「病院」という感じの、無機質な容器。「こんなもんだよね」と思いながら食べていたものですが……。

前回は問答無用でタイ食だったのですが、今回は朝昼夕それぞれに和・洋・タイ食のメニューが用意されていて、事前にメニューを見て「○日の朝は洋食、昼はタイ食……」という風に択べるようになっているのです。食事を用意する業者から変えてしまったようです。

先に見て頂いた今回の朝食は洋食メニューです。10枚切くらいの小さめの食パンとシリアル、皿にはスクランブルエッグとソーセージとマッシュポテト、そしてバナナ1本とジュースと牛乳。結構腹がふくれます。パンはトーストされて出てきます。

ちなみに和食はこんなのが出てきます。

f:id:oji-3:20200525194550j:plain

▲焼鯖定食。なのですが、鯖にカリフラワーとアスパラガス、人参のグラッセが添えられています。ごはんとサラダと、デザートはスイカ。左のコップに入っているのはお茶ではなくりんごジュースです。

鯖はなぜか照り焼きっぽくたれの味がついています。そして固い。干物かと思った。

和食と言っても「和食っぽい」ものが出てくるだけなのですが、それでも自宅で食べていたものにより近いものが出てくるとちょっとほっとしたりします。

あとね、毎食後に抗生剤を服まないといけなかったんだけど、日本の病院だとまとめて渡されるものですが、ヤンヒー病院ではこのように出てきました。

f:id:oji-3:20200525195132j:plain

お猪口みたいのに入れて、毎回看護師が持ってきてくれるのです。看護師の目の前で服んで、お猪口を返します。なるほど。こうすると服み忘れとか薬捨てちゃったりとかないよね。服薬管理ばっちり。

そうそう。手術直後に「喉がいがらい」て申しましたでしょ? 2、3日経っても治らなかったので、これはいよいよ風邪かと思って看護師に訴えてみたのです。すると「先生に訊いてくるね」と言って去った看護師が帰ってきて言うには、

「風邪じゃなくて、手術の麻酔するときの挿管で傷ついたやつ。3日経てば治る」

て訳で、これは特に処置されずに放置です。でも喉が痛いのは地味にしんどいので、アテンドさんに飴ちゃんを買ってきてもらいました。病院の1階にコンビニエンスストアがあるのだそうな。

別の病院のこと

何度も申し上げておりますが、おじさんはうつ病持ちです。なぜ何度も申し上げることになっとるかと言いますと、これが手術と渡航の大きな障碍となっているからです。

都合3回、タイで手術をすることになり、3回とも無事に行って帰ってこられているのですが、うつがあるためにひじょーにしんどかったのです。今回お話ししているタイ滞在のメモがほとんど残っていないのも、しんどくて何もしていないからです。

ことに眠れないというのは大変つらい。眠くなくて眠れないのならまだしも、眠いのです。眠いのに眠れないのです。そんなことってあるの?と眠いときに速やかに眠れる人は思うのでしょうが、あるからつらい思いをしているのです。眠いし眠りたいし眠らないとしんどい。なのに眠れないのです。

あるお出かけのとき、自動車を運転してくれるアテンドさんが「昨夜はよく眠れましたか」というよくある質問をなさったので、「いやー、薬がないと眠れないんで……」とこちらもよくある話風に答えたのですが、アテンドさんが気を利かせてくださいまして、お出かけの帰り道にヤンヒー病院とは別の病院に連れて行ってくれました。

その病院はラーマ9世病院と言って、かなり大きな総合病院なのですが、そこの精神科受診の手続きをしてくれまして、Efexorという薬を処方してもらいました。

f:id:oji-3:20200525223230p:plain

これが、おじさんに、ぴったり!合う薬だったのです。服んだ翌日にもう元気。眠剤ももらいました。リボトリールという日本でも出まわっている薬。それは特に効く訳でもなく寝入り端をちょっと助けてくれる程度だったのですが、全然寝られないよりはずっといい。

という訳で、アテンドさんの機転で少し楽になったのでした。

Efexorがあんまり効いたので、帰国後も主治医にお願いして処方してもらおうと思ったら、日本ではまだ認可されていなかったのでした。

その後5年くらいだったかな? しばらく経ってから日本でもようやく「イフェクサー」という音訳名で認可されまして、それ以来おじさんはずっとこれを服用しています。「エフェクサー」と発音していたので、いまだに日本名に違和感を覚えておりますが、いまもおじさんに一番合うSNRIセロトニンノルアドレナリン再取り込み阻害薬)です。

コンビニのこと

はじめての渡タイ時はそれほどコンビニエンスストアが多くなかったバンコク市ですが、今回の渡航時はずいぶん店の数が増えて、商品のバリエーションも豊かになっていました。前回のときはコンビニにも弁当の類いは一切なくて、飲みものとお菓子とパン、煙草くらいしか売ってなかったのです。

今回はいろいろ見ましたよ。

f:id:oji-3:20200525204643j:plain

▲おでん!

f:id:oji-3:20200525204718j:plain

▲中華まん!

どちらも寒い季節のものだと思うんだけど、年間平均気温30℃のタイでも販売されているんだね!(見ただけで食べてない)

それよりおじさんが気に入ったのは▼これ。

f:id:oji-3:20200525205038j:plain

すぐ飲めるミロ!

これは日本では見かけないよね……自分でお湯湧かしてつくるよりおいしかった。栄養豊富で、タイの人が好きそうな甘さ(かなり甘い)。同じようなペットボトルに入った牛乳とこのミロは何度も買って飲みました。

腕のことは

トンネルが開通した腕のその後のことまで書こうと予定していたのですが、今回は随分長くなってしまったので、また次回に。次回はその分ちょっと短めにします(えええ)。グロテスクなのが駄目、というみなさんは次回はちょっとごめんなさいね。と予めお断り&お詫びしておきます。

おじさん実はグロ描写が結構好きなんですが、苦手な人はとことん苦手なんですよね。この手術終えて帰国したばかりのとき、同級生にまだかさぶたが取れてない腕トンネル見せて怒られましたからね。てことで、グロ駄目な人はお覚悟。

▼クリックよろすくー。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

腕と尿道のW手術

ごきげんよう、カレーにはでっかいじゃがいもがごろごろ入っていてほしいおじさんです。

今回は2回目のタイでの手術のお話です。ちんちんの材料になる左前腕にトンネルをつくる手術と、尿道延長&膣閉鎖術です。前回のタイでの手術で子宮と卵巣は切り取ってしまいましたので、膣が塞がっていても不都合はありませんので、閉じてしまいます。

女性よりも男性の方が尿道が長いというのは、みなさんすぐにわかることかと思います。ちんちんの分長いんですね。今回の手術では尿道をちょっと延長しておいて、現在の尿道口から次の手術でつくるちんちんまでの間をつなぐのに必要になる長さを確保しておきます。

では、いよいよ手術ですよー。

シンコキュウ!

前回の手術同様、ストレッチャーに乗せられて手術室まで移動します。手術準備室で心拍計やら点滴やらつながれて、麻酔医に名前やら血液型やら訊ねられるのも、前回同様です。

会話はもちろん全部英語なんですが、気を使ってくれているのか実際の英会話がそういうものなのか、話す内容が難しくはなり得ないからなのか、難しい、複雑な文章は出てきません。中学英語の教科書くらいの難度です。

この場面だけでなく入院中の会話も滞在中の会話も、中学英語ができれば会話するのに必要充分です。高校より上の学校で習う複雑な構文よりも単語や熟語をたくさん憶えておくといいでしょう。

f:id:oji-3:20200525170902p:plain

文法も大事は大事ですが、間違っていてもわかってはもらえます。「あー、この人は英語がつたないんだなー」と相手が思うだけです。日本で外国の人がカタコトの日本語喋っているときもそうでしょう? 間違っているからと言って「日本語はそんな風に使わん!」て怒る人はいませんよね。

で。

手術室へ入ると手術台に移って仰臥して、心電図の電極つけたり点滴の針を刺したりします。タイは年間の平均気温が30℃ということもあってか、それとも病院てみんなそうなのか、職員みんな半袖です。手術室もコンピュータ室みたいに冷房がガンガンに効いていて、術衣1枚で電極つけるのに前をはだけているおじさんはちょっと寒く感じました。

麻酔のマスクを口に当てると、前回の手術で怖ろしいほど速やかに意識がなくなったんですが、今回はずいぶん長い間意識がはっきりしていて、自分で「あれ、寝ないな」と思っていたら、手術台の傍にいた看護師が大声で言いました。

「シンコキュウ!」

深呼吸? 日本語?

ちょっとびっくりしながら大きく吸って、吐いて、もう1回吸う頃には意識がなくなっていました。

術後のおじさんはこんな

前回と同様、目が覚めたら手術は終わっていた訳ですが。

前回はやけに爽快に目覚めたのですが、今回は肩を揺さぶって起こされたものの、まだねむねむで、喉がいがらっぽい……寒くて風邪ひいたかな?と思いました。

ねむねむの半眠りの状態で病室に戻されたのですが、病室のベッドに落ち着いて時計を見ると午後8時。手術室に入ったのが午後2時くらいだったので、手術は6時間ほどだったようです。腕と尿道と、2箇所手術してますから、長時間にもなりますわな。

前回はさわやかに目覚めた上に下腹部に鈍痛を感じるだけで済んでいたのですが、今回はねむねむで身体が重く感じる上に、両腕が動きません。一方の手はこんな感じ。

f:id:oji-3:20200525153052j:plain

手の甲に血管確保されちゃった。いえ、これはこれで正解なんです。長期間点滴していなければならないので、手首内側などに針を刺されるよりこちらの方が楽なんです。おじさんもはじめて見たときは「げ」と思ったんですけども。

もう一方は、こんなです。

f:id:oji-3:20200525153257j:plain

包帯ぐるぐる。こちらが左腕です。トンネルをつくった方ですね。鈍く重いような痛みが腕全体にあります。腕がまるごと腫れた感覚があって、痛いような怠いような感じなのですが、看護師が腕の下に枕をセットして少し高い位置にしてくれているおかげで、いくらか楽です。

で、お股。

f:id:oji-3:20200525155033j:plain

管が2本出ております。ひとつは導尿カテーテル、ひとつは術後の出血を排出するドレーンです。あら、きれいに赤い血が出てるわ。おじさん、このブログ書いてるいまは採血してもどす黒い血しか出てこなくて……加齢するとね、どうしてもね。

ねむねむぐったり

こうして入院&手術の第1日が終わりました。当日はねむねむのままだったので、そのままうとうとしていて、翌日もまる1日うとうとしていました。

というか、今回のタイ滞在はずっと眠かったんです。たびたび申しておりますように、おじさんはうつ病持ちで不眠がちなんですが、外国には精神科処方の薬は持ち出せないし、手術のために常用薬をすべてやめているので、長い間熟睡していないのです。

てな訳でずっと生眠い状態で、前回よりもうつが顕著に出ていまして、ほぼぐったりの毎日でした。

次回は、タイ滞在中の細々としてよもやま話と、トンネル腕のその後のお話でも。ちょっと更新が遅くなるかもしれませんが、お待ちくださいな。

▼よろしければクリックしてーん。。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

腕にトンネルをつくる手術

ごきげんよう、随分遠まわりした上にちょっとニュアンスが違うけど、学生時代にやりたいと考えていた仕事ができているおじさんです。

ずっと性別適合手術のお話をさせて頂いてますが、前回まではおじさんが受けた性別適合手術の第2段階、内性器摘出術のお話でした。お腹を切って子宮と卵巣を取り出す手術です。お腹を横一文字に切った傷痕を見て頂きましたね。

f:id:oji-3:20200516123910j:plain

▲これこれ。

手術と手術の間の期間というのはもちろんあって、最低半年空けなさいということになっています。おじさんの内性器摘出術から第3段階の尿道延長術&皮弁形成術までは3年半空いてます。体調やらお金やら仕事やらの都合で、これだけ空きました。

手術と手術の間には何があったかというお話もいずれできたらと思いますが、先に手術の話を全部しちゃいますね。

アテンド会社を変えて出発

おじさんは乳房切除術、おっぱいを切り取る手術ですね、これだけ国内で済ませて、内性器摘出術以降の手術はタイ・バンコク市にあるヤンヒー病院で受けました。外国です。日本語はほとんど通じません。

その上、おじさんは国内でさえ旅行にも行かない人だったので、海外へ行くために何をどうしたらいいのかわかりません。だから、病院や手術の手配から飛行機のチケットやバンコク滞在の宿の予約、空港からの送迎などなど、すべてお世話くださる医療アテンド会社を利用しました。

ということは、内性器摘出術のときもお話ししました。

当時はタイでの性別適合手術を扱う医療アテンド会社というのは2社しかなく、性別適合手術についての情報もほんとに少なかった。だから今度は、はじめて利用したのとは違う会社を利用して、その体験を記事にまとめて公開しようと考えました。

f:id:oji-3:20200519201157p:plain
という訳で、「もう1社」の方のアテンド会社に申し込みをして、タイに旅立ちます。前回は9月でしたが、今回は2月。真冬です(日本は)。

持病のうつ病の薬をやめて、へろへろの状態で渡タイしたのは前回と同じです。

前回はJAL機で飛んだのですが、今回用意されたのはTG機(タイ国際航空)。みっちみちに満員で座席も小さく、「きゅっ」て感じですわっていなければならず、キャビンアテンダントは英語で話しかけてくるけど頭ぐるぐるで聞き取れないし、パニック障碍持ちのおじさんにはとてもつらかったです。タイまでの5時間ぐったり。

隣席の(おそらく)タイ人女性がミールサービスなど通訳してくれたり世話を焼いてくれて、有難くも申し訳ない気持ちでした。

腕に穴を開けるよ!

タイに到着した翌日に入院して即手術です。宿からアテンド会社の車で病院に送ってもらい、いよいよ執刀医のS医師と対面です。

S医師は女性型の身体を男性型に形成する技術でつとに有名な医師。日本からも彼の手術を受けるために多くの人が渡タイしていて、おじさんは3回、ヤンヒー病院に入院しましたが、いずれのときもおじさん以外にも日本人患者が数人、入院していました。

S医師は痩身かつ長身で外観が理系(個人の感想です)。診察室で対面すると、「利き腕はどちらか」と訊ねられました。おじさんは右利きなのでそう答えると、S医師はおじさんの左腕を取って、マジックで らくがき 線を書きました。

外科のお医者って切り取り線(違)を身体に直接マジックで書くんですよね……おじさんはおっぱい切ったときもマジックで書かれました。裁縫するときのチャコペンみたいな、人体用のペンはないのか。

f:id:oji-3:20200517195402j:plain

写真は左腕の内側です。線で囲まれた部分に、トンネルをつくるのです。これが陰茎形成準備術の準備です。

陰茎形成術とは、ちんちんをつくる手術のことです。陰茎形成準備術はその準備のための手術。何と左腕の内側がちんちんの材料になるのです。 

「腕にトンネルをつくる」と言われても、多分みなさんピンと来ていないんじゃないかと思います。ので、陰茎形成準備術が終わった状態を見てみましょう。

f:id:oji-3:20200517200316j:plain

手術から1年4ヶ月後くらいの写真です。刺さっているのはカテーテルです。貫通しております。先ほどの写真でS医師が書いた青い長方形の部分にトンネルがつくられた訳です。「15」と書かれていたのはトンネルの長さ(単位:cm)です。

なぜ、このようなことをするかと言いますと、こうして開通したトンネルが尿道になるのです。

f:id:oji-3:20200714183958p:plain
こんなことするなんて思ってもみなかったでしょ? 図のように腕の一部を切り取ってちんちんがつくれるんですよ。

とは言っても、ネイティブ男性が生まれ持ってくるちんちんと同じものは、もちろんつくれません。勃起しないし、射精もできない。できるのは立ち小便だけです。

でもね、それでも。

ないとあるでは全然違うのです。男性のみなさんにはおわかり頂けることと思いますが、そこに「あるはずのものがない」というのは、それだけで頼りないと言うか、心細いものなんです。

でもでもでも。できた「モノ」の手ざわりは、ネイティブ男性の平常時そっくりです。ふにょふにょとさわり心地がいいです。

あ、腕を材料に使うのはS医師の術式です。病院が違うと術式も違うことがあります。おじさんが受ける手術は前腕を使いますが、上腕を使ったり、下腿を使ったり、下腹を使ったりと、手術にもいろいろあります。

機械にセッティングされる

S医師のお話は陰茎形成準備術だけでなく、もちろん同時に行う膣閉鎖・尿道延長術についてもありました。さらに、手術を受けるに当たって酒・煙草・薬の類いを指示通りに一切断っていたかも、厳重に確認されます。煙草1本でも喫っていたらこの場で「帰れ」と言われてしまいます。

おじさんは酒も煙草ものまないし、常用薬も前回同様へろへろになりながら断ってきてますので、手術はもちろんOKです。

f:id:oji-3:20200519212218p:plain

腸内洗浄をして、剃毛をして、前回の手術のときと同様にストレッチャーに乗って手術室へ向かいます。剃毛は前回T字剃刀で剃ってくれたのに対して、今回は電気剃刀だったという違いがあり、前回やらなかった腸内洗浄はおじさんが思ってたのと違った。

腸内洗浄やるよー、て連れて行かれた部屋には、でっかい装置が置いてあって、そこに砕石位で寝かされます。砕石位というのは、開脚診台に乗るときの恰好です。

そこで肛門に管を挿し込まれて、ゆっくりとぬるま湯が注入されて、どんどん腹がふくらんできて、やがて腹がぱんぱんになります。そうすると「全部出して」と看護師に言われます。

注入されたぬるま湯と腸内にたまっている糞便を、管を挿入したまま一遍に排出します。排便の要領で出す訳ですが、腹の中のものがどばどばーっと出て行くのに、肛門に挿し込んだ管は出て行かないんですよ。不思議。

排出した汚水汚物は機械に受け口があって、どこにどうつながっているのかはおじさんにはわかりませんでしたが、機械が処理をしてくれるようでした。

で。

砕石位で寝ているおじさんの向かい側にはパネルがありまして。うーんとね、ピンボール台のスコアパネルみたいなやつ。そのパネルにゲージがあって、「ゲージがいっぱいになったらナースコール鳴らして」と言い残して、案内してくれた看護師はいなくなりました。

f:id:oji-3:20200519144712p:plain

常用薬が服めなくてくらくらしているおじさんは事態がよく呑み込めてなくて、よくわかんないままに「はい」と返事をして一人取り残されたのでした。

しかし、湯が腹に入ってきて、「あーつらいかなー」てところまで腹が張ったら、排便の要領でちょっと下腹に力を入れて肛門を緩めて、腹にたまったものを出せばいいのだと、何度か繰り返すうちに感覚を掴めたので、ぼんやりそれを続けました。

パネルのゲージというのは、おじさんが排出した湯の量のようです。腹に入れられて、出したぬるま湯が処理されて機械のタンクにたまっていって、その量がゲージに表示されているのです。一定量入れて出してが終わったらOK、てことですな。

じょぼじょぼじょぼ……じゃばー、てのが40分ほど続いて、腸内洗浄はようやくおしまいになりました。宿便まですっかりきれい。確かにお腹がすっきりした感じがしました。こんなでっかい機械の一部となって、尻から湯を注入されては出し続ける小一時間を過ごす機会など滅多なものではありません。貴重な体験でした。

このあと、ヴィーンと電気剃刀で割りと乱暴に剃毛してもらい、ストレッチャーに乗って、医療ドラマの一シーンをまたもや見ることになるのです。

次は手術のお話

ではでは、今回はここまで。次回は手術とその後のお話。今度の手術に比べれば前回のお腹はずいぶんカンタンだったものです。

▼クリックをお願いしますーん。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

もう歩く

ごきげんよう、いまだにリリー・フランキーさんと吉田鋼太郎さんを見分けられないおじさんです。

人生三十余年にして自分の内臓を見てしまったおじさんですが、驚くのはそれだけにとどまらなかった。

というのが、今回のお話です。
知らないことなんて世界にはたくさんあるね。と言うより、世の中知らないことだらけで知っていることなんて塵ほどしかないんだ、ということが三十路に立ってからひしひしと感じるようになりましたなあ。

Try to walk!

お腹を切って子宮と卵巣を抜き取った翌々日のことです。

病院の朝は6時からはじまります。6時過ぎたら看護師がどんどん病室に来ます。寝坊している暇はない。検温とか血圧測定とかどんどん来ます。この日、おじさんの部屋には検温の看護師の次に、別の看護師がやってきました。

南北戦争直後くらいのアメリカを舞台にした映画に出てくる恰幅のいいメイドさん」を思わせる恰幅のいい看護師は、身振りで「ハッハッ」と速いペースで呼吸するようにとおじさんに指示しました。おじさんがそのようにすると、一気に導尿カテーテルが引き抜かれました。

ずんばらりん。

f:id:oji-3:20200516142603p:plain

て感じで、直径8mmほどありそうな太いゴムチューブのような管がおじさんの股間から抜け出たので、おじさんはびっくらこきました。カテーテルって、もっと細いものだと思ってた。そんな太いものが挿入されている感覚がなかったのです。

尿バッグの中身をトイレで処理して、看護師はおじさんに言いました。

「今日から何を食べてもいいよ」

昨日まで「水を少しなら」だったのが、今日から「何でもOK」になったのです。

昨日おかゆ食ってたじゃん。と思った方もおられましょうが、これはもちろん病院が用意する食事以外に、という意味です。

そして引き続き、看護師はこうも言いました。

「Try to walk!」

歩いてみなさい? 一昨日お腹を切ったばっかりですよ?

カテーテルと尿バッグが外れたので、もう自由に動きまわれるのですが、寝返りもじわじわとしかできないのにベッドを降りて歩くなんて……だからおじさんは、看護師が退室してもベッドから降りませんでした。

このときのおじさんは手術から中一日で「歩け」と言われたことにびっくりした訳ですが、現在では(中一日かどうかは別として)日本でも術後は早めにベッドから降りて歩くように指導するらしいです。

特におじさんの手術は、身体が病気という訳でもなく、傷が入っただけです。傷を治すには身体を動かした方が治りが早いのだそうな。

トイレの大冒険

「try to walk」と言われてもベッドを降りる気にならなかったおじさん。しかし尿バッグが外れたということは、膀胱に尿がたまり続ける訳で。

トイレに行かねばならない。ベッドを降りねばならない。ベッドに仰向けになっていたおじさんは、おそるおそる、じわじわと右側へと寝返りを打ちます。そーっと、そーっと。「秒速5センチメートル」ならぬ分速5センチメートルくらいのじわじわ感。

お腹に力が入るのが怖い訳です。でもね、日常の動きの中で腹筋を使わない動きなんてほぼないのです。

寝返りができたら、今度はベッドの背を起こす機能を補助に使いながら身体を起こして、ベッドに腰掛ける姿勢になります。ゆっくり足を床に下ろして、片足ずつそーっと体重をかけていく。この間もお腹の傷にははげしくないものの痛みがあります。

何分かかったことか、両足で立つことができました。トイレまで歩かねばなりません。

歩くとき、一方の足に体重を寄せて、もう一方の足を持ち上げて、さらに前に出して、前に出した足に体重を移動して、残った足を地面から離す、ということをしますね。みなさん普段は全然意識してないでしょうが、これらの動作は、みんな腹筋を使ってやっています。

つまり、常に「お腹の傷ぱっくり」の危険をはらんでいるのです。いや、医者はきちんとくっつけてくれているのだろうから怖がりすぎなのかもしれないのだけど、少なからず痛みはあるし、怖いのです。

普通に歩けば数秒でたどりつくだろう、ベッドから見えているドアまで歩く時間の長かったことよ。そして、トイレにたどりついたらおしまい、ではないのです。

f:id:oji-3:20200516164952p:plain

洋式トイレに腰かける。これが難関です。「前傾して中腰になる」という過程がどうしても必要になるのですが、この姿勢はものすごく腹筋に負荷がかかります。特に手術で切った辺りに力を入れなくてはならないのです。

術創を手で圧迫しながら(こうするとあんまり痛くない)、そーーーっと腰を下ろします。どすんとすわるのも怖いので。便座に尻がつくとようやく安心。しかしすわっただけでは目的は果たされていません。目的は排尿なのですから。

これもみなさんあまり意識していないと思いますが、排尿にも腹筋を使うんです。下腹にちょっと力を入れないと尿なり便なりは出てこないようになっているんですね人間の身体は。

しかし尿は思いのほか楽に出てくれました。安堵。さて、排尿が終わったら、今度はこれまでに踏んだ手順を逆転させてベッドに戻らねばなりません。気が遠くなるネ!

せっかくベッドから降りたので、すぐに寝てしまうのもナニだなと思って、トイレ後に病室の壁から壁までを2往復ほどしてみました。これがよかった。

ゆっくりじわじわーっとですが、歩くことができました。「できた」という体験は自信につながります。ああ、歩けるんだなあ、と思いました。この後も、同じような短距離を一日に何度か歩く生活を退院まで続けます。

ばっしばし抜糸

入院は4日間で、5日目に退院しました。「try to walk」の翌々日に退院した訳です。

しかし退院したからと言ってすぐに日本に帰国する訳ではなく、1週間ほどバンコク市内に滞在して養生します。滞在のための宿はアテンド会社が用意してくれているので、そこで帰国までを過ごします。

退院してから帰国までの時間は自由時間です。どこで何をしていてもいいので観光なんかもしていいのですが、身体に負担をかけないように、アテンダントさんや病院と常に連絡が取れるようにしておかなければなりません。

観光ではなくあくまで「治療」のために渡タイしてきたのですから、養生第一です。宿からあまり遠くには行かないのが吉。……と言いつつ、おじさんもBTS高架鉄道)に乗ってウィークエンドマーケット(露店市)に行ったりしたけど。

f:id:oji-3:20200516165205j:plain
▲ウィークエンドマーケットの様子(おじさん撮影)

おじさんが滞在したホテルはソイ・サラデーン1通り沿いにあって、繁華街のシーロムが近かった。そこまで散歩に行くという毎日でした。ほかに特にすることがないので、毎日歩いていました。

毎日歩いていると、次第に歩くことへの怖れがなくなってきます。滞在は術後1週間ほどでしたが、帰国の頃にはほぼ普通に歩けるようになっていました。

退院してから4日目、手術の日から8日目に、久し振りに病院へ行きました。この日が抜糸なのです。病院への送迎やら病院で必要な手続きはアテンド会社のMさんがすべてやってくれたので、おじさんはついていくだけ。

さて、処置室のベッドにお腹を出して寝るようにと指示されてそのようにします。術創を覆っていたガーゼを外して、患部を消毒。そこまで看護師がやってくれて、その状態で執刀医を待ちます。

5分10分は待つこともあるでしょうよ。と思っていたのだけど、待ったのは5分10分どころではなかった。

20分? 30分? お腹を出したままずっと待ってました。

実はタイの病院では(タイの病院全部かヤンヒー病院だけなのかは知らないけど)、医師が来なくて待たされるというのはよくあることです。退院のときも待たされたし、次の渡タイ時にもやっぱり待たされたし、「待たされるのが当たり前」と思っておくのがいいです。

やっと来た執刀医はおじさんのお腹の傷の辺りを、術日の翌日の回診でしたように、指で二、三度押しました。それから、傷の両端の糸をぴっぴっと切って、おしまい。

「傷は大丈夫。少し内出血があるが放っておいても平気。ガーゼももう必要ない。シャワーを浴びてもよい。もう通院しなくてよい」

と執刀医が仰ったおじさんのお腹の様子はこんな感じ。

f:id:oji-3:20200516123910j:plain

横一文字に切開した痕が残っています。切ってから1週間ほどですからね。傷痕があって当たり前です。へその下10cmくらいの部分です。

逆に、切り開いて中身を出した後でも、1週間経つとこうしてくっついてしまうんですね。生きてる身体の治癒力すごい。

しかも、しかも。

このお腹の傷は、全部は縫っていないんです。縫ったのは両端2針ずつくらいで、ほかは医療用の糊でくっつけたのだそうです。だから抜糸も「ぴっぴっ」で済んだのです。

傷をくっつけるのは針と糸だけじゃなくなってるんですよ。のちの手術で、おじさんは医療用のステープラー(ホッチキス)と出会うことになります。それはまた別の記事で。

お腹の手術はこれにて

抜糸から4日後の飛行機でおじさんは帰国しました。帰国までは消化試合みたいなもので、シーロムまでの毎日の散歩以外はホテルの部屋で音楽を聴いたり(mp3プレイヤーを持参していました)、タイ語はわからないままにタイのテレビ番組を見たり、NHKの国際放送(日本語)を見たりして過ごしました。

術後はすっごくおそるおそる歩いていたおじさんですが、帰国後1週間後(手術から3週間後くらい)には何とあるロックバンドのライヴに行って軽くぴょんぴょんしたのでした。全然元気。すげーな身体の回復力。いっぱい歩いたのがよかったみたい。

て訳で、内性器摘出術は無事に終わりました。次回からは、ちんちんをつくる手術……の準備のための手術のお話をしましょう。

 

▼クリックをお願いしますしますします。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

水とモツ

ごきげんよう、洗濯ものは乾きづらいのにウェットティッシュは直ぐに乾いてしまう部屋に住んでいるおじさんです。

前回は内性器摘出の手術を受けた当日のお話をしました。おじさんがお世話になったヤンヒー病院の看護師たちは有能だという例でした。おじさんのお腹の様子もちょっとだけ見て頂きましたね。

今回は術日翌日のお話です。
では、はじまりはじまりー。

水解禁

おじさん、うつ病持ちで不眠があるのにタイにいる間は薬が服めないので、眠れたような眠れなかったような一ト晩を過ごしました。でも手術中に麻酔で結構ぐっすり寝たのでまあいいか的な。

手術当日は一切水を飲んではいけなかったので、口の中がカラカラです。一度だけ「ぶくぶく」ってするうがいをさせてもらったのですが、「うがい」を英語でどう言えばいいのか、おじさんは寡聞にして知らなくて、ちょっとだけ困りました。

どう切り抜けたかと言うと、「I want to wash my
mouth」。これだけだと「ダメ」って言われるけど、口をぶくぶくのうがいのかたちに動かすと「OK」となりました。ジェスチャー大事。

だから、午前のうちに回診に来た執刀医の言葉はとても有難いものでした。

「You can drink water, a little」

「少し水飲んでいいよ」って!
執刀医がそう言ったすぐ後に、看護師が病室の冷蔵庫から備えつけのミネラルウォーターを出してきて飲ませてくれました。

f:id:oji-3:20200511123136p:plain

病室にはコップの類いも少し備えつけてくれてます。曲がるストローもあります。それをすべてセッティングして、ベッドの上で身動ぎもできないおじさんに与えてくれたのです。これも指示なく。どれだけ有能なのか。

執刀医が回診でやったことは、おじさんのお腹の傷を覆っているガーゼを指で何箇所か押しただけ。触診ですね。これだけで術後の経過がわかるんですねえ。

これ、あなたの。

回診が終わってほどなく、看護師が1人やってきて、ベッドに横たわるおじさんにあるものを見せました。ビニール袋に入った透明な液体とまるい何か。看護師が言います。

「yours.」

私の?

f:id:oji-3:20200511144452p:plain

あー、昨日取ったやつ。モツです。臓物。手術で摘出したおじさんの子宮。歯科とか外科は手術で取り出した現物を見せてくれるんだよね。

人によっては嫌がらせに思えるかもしれないけど、これは「ちゃんと手術しましたよ」という証拠でもあるので、見せないといけないんですね。

おじさんの子宮は、まんまるでつやつやしていて、とても血色がよかった。意識と身体に性別の齟齬がなければ切除の必要など微塵もなかったであろう、見るからに健康そうな子宮です。

「子宮は持ち主の拳ほどの大きさ」とよく聞きますが、ほんとうにおじさんの拳ほどの大きさでした。おじさん、一般成人男子に比べても手は少し大きめなんですけども。

自分の内臓を肉眼で見る機会など滅多にありません。「自分の腸を見た女」菱沼さんだって手術灯に反射したものしか見てないぞ。ぜひ写真に撮りたかったのですが、とっさに「写真を撮っていいですか」と英語で言うことができず、機会を逃しました。

英語で「写真を撮っていいですか」は「Can I take a picture of that?」です。

(「自分の腸を見た女」はこれ↑に載っています)

その後、この日はじめて病院の食事を食べました。おかゆでした。白いおかゆでしたが、モツが入ってました。臓物です。わーお、臓物続き。でもまるごとじゃないよ!

おじさん、モツ大好きです。でもね、まる1日絶食絶飲でお腹切ってるし、うつの薬服めなくて、すっごく弱ってるの。

f:id:oji-3:20200509222720j:plain

獣を余すところなく食うだけの元気がなくて、残してしまいました。ごはん残したのって生まれてはじめてじゃないかしら。

でも、インディカ米(長粒種)のおかゆ、おいしかったよ。

入院は続くけど

今回は入院第2日目、手術の翌日のお話でした。入院はもうちょっと続きますが、概ね寝て食事&おやつを食べてテレビを眺めて、という1日なので特記すべきこともなく。

あとは入院3日目のびっくりと抜糸のことをお話しして、内性器摘出術のお話はおしまいにしたいと思います。も少しお腹のお話が続きます。

 

▼ランキングに参加しています。よろしければクリックを。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

手術当夜のことなど

ごきげんよう、つるつる頭だけどちゃんとシャンプーを使って頭を洗うおじさんです。シャンプーは地肌を洗う洗剤だから、髪がなくてもシャンプーはいるの。リンスとかコンディショナーはいらないの。

まず、今回も宣伝。『夏の魔法』。ご購入頂けますと、おじさんの生活がちょびっとましになります。

さて、前回はようやくお腹を切って手術をしたお話をしたのでしたね。

麻酔で眠っている間に済んでしまったので、ほんとに手術をしたのかどうか定かでない感じで。術後に目覚めたときに下腹部に鈍い痛みはあったから、多分ほんとに切ってる。

看護師はわかっている

ストレッチャーで運ばれて、ベッドには大人数で移してくれました。おじさん、当時は体重が73kgほどだったんだけど、さすがに5~6人もいればするりと移してもらえるものです。

そう、ヤンヒー病院には充分な数の看護師や職員がいるのです。日本の病院はいつもかつかつの人数で忙しそうなのですが、ヤンヒー病院では2~3時間に1回、看護師が病室を巡回してくれるし、いつも2人組なのです。

病室のベッドに寝かせてくれて、その後もテキパキとベッドの背を30度程度に傾けてくれて、ベッドの膝の部分も少しだけ持ち上げてくれて、枕許にはおじさんが持参した携帯電話や手帳、病室に備えつけのテレビのリモコン、ナースコールのボタンを配置してくれました。何も言わなくてもここまでしてくれるのです。

f:id:oji-3:20200507143529p:plain

真っ平らなベッドよりも少し背と足を上げている方が楽に寝ていられるし、お腹を切っているので頭を持ち上げることさえできません。「枕から少し頭を浮かせる」というのは何でもない動きのように思えますが、実は腹筋を使っているんです。お腹に大きな傷があるので、術後直ぐは痛くてそれもできないのです。痛くなくても傷が「ぱかっ」となりそうで、怖くてできない。

だから、腕だけを動かして手に取れる範囲に携帯電話やらリモコンやらを配置してくれる訳です。左に置いてあるものは右手で、右に置いてあるものは左手で取れば取りやすい。ベッドから肩を浮かせるなんてできませんから、枕の直ぐ傍に置いてくれます。「よくわかってる」なー。

Do you have イタイ?

その夜は1~2時間に1回程度、巡回に来てくれました。その度に赤外線体温計で検温してくれて、尿バッグ(導尿カテーテルがつながってるので)を確かめてくれて、などなどの世話を焼いてくれます。

病院のタイムスケジュールでは21時が消灯ということに「一応」なってはいるのですが、日本の病院みたいに照明を消さないと注意されたりなんてことがありません。起きていてもテレビをつけていても怒られない。あ、病室は全室個室です。個室だけど広くて、風呂、応接セット、冷蔵庫、ベランダがあります。全室です。

f:id:oji-3:20200507210920p:plain

おじさんは先の回でも述べましたようにうつ病持ちで、その症状として不眠があります。眠剤を服まないといつ眠れるかわからない。それに、精神科の薬って国境をまたぐのが難しいので、おじさんも主治医の処方を持参していません。2箇月ほど前からやめてるし。だから照明だけ暗くしてテレビをぼんやり見てました。

テレビの方も、看護師はよくわかっているのでNHKの国際放送にチャンネルを合わせてくれています。これが有難い。身体を切って内臓を抜き取るなんてことをしていますから体力は落ちているし、そうするとどうしても気力も下がってきます。おじさんはうつ病持ちで、それなのに薬が服めていないから、余計にダウナーです。そんなときに母国語を耳にできるというのは、とても心強い。

母国語が聞こえない環境というのは、思いのほかしんどかったりします。だから、海外へ何らかの理由で長期に出かけるときは、日本語の歌が入った音楽だとか、ドラマや映画のDVDだとかを持参するといいです。ポータブルDVDプレイヤーを持ち込めば、病室でもDVDを見ることができます。アテンド会社にお願いすればたいてい貸してもらえるようです。

このときのおじさんはDVDを持参していなかったのでNHKを見ていたのですが、ちょうど大河ドラマの『義経』が放送されていました。主人公の源義経役で現在 J 事務所副社長、当時アイドルタレントの滝沢秀明氏が出演していたアレです。

看護師が巡回してきたときにちょうど義経(滝沢氏)がテレビに写っていたので、それを指さして看護師に「He is a Japanese famous actor」などと中学英語で話しかけてみると、20歳前後とおぼしき看護師女史は「handsome」と呟きました。外国の人が見ても美形なんですね、タッキー。

f:id:oji-3:20200507220937p:plain

ひんぱんに看護師は巡回してくれたのですが、来るたびに看護師はどの人もどの人も「Do you have pain?」と訊ねてくれました。「痛くないですか?」てことですな。「Do you have イタイ?」と訊いてくる人もいました。

ヤンヒー病院は海外からの患者もたくさん受け容れていて、地上十数階建てのうちの1フロアがまるまる外国人用の病棟になっています。日本人もたくさん入院していて、おじさんと同じように女性型の身体を男性型に訂正したい人がほとんどです。日本語話者が「イタイ」「イタイ」と言うので看護師も憶えたのでしょうな。

もっと後の体験で知ることになるのですが、タイの人というのは耳から聞いた言葉を自分の身体を使って再生するのがとても上手なようで、看護師たちも患者から聞いた日本語をどんどん憶えていきます。この頃は「イタイ?」とか「サムイ?」などの一語文の人がほとんどだったのですが、数年後には日本語ペラペラの看護師が現れます。

日本人の患者が増えたから病院の偉い人が勉強しろと言った、という訳ではなく、看護師が必要に応じて自ら勉強した、という訳でもなく、耳で聞いて、患者と会話するうちに憶えてしまったのだそうな。すごいね、タイの人。

お腹はこんな風

お腹は確かに切り裂かれていまして、横に切っていました。

同じ箇所の同じ手術でも、身体に対して縦にメスを入れるか横にメスを入れるか、執刀医によって、患者の体質によって、患者がその後に受ける手術の内容によって……さまざまな要素で決定されるようです。このときのおじさんは横に切られていて、ほんとに切腹したような感じですね。

f:id:oji-3:20200506174114j:plain

上の写真は術後のお腹を携帯電話のカメラで自撮りしたもの。直後ではなく、術後3日目か4日目くらいかな?

術創の上をガーゼで覆って、その上をさらに防水シート(水は防ぐが通気性はいいやつ)で覆っています。だから、おじさんも自分の術創を見ていないのです。どうなってるかわからない。多少の鈍痛はあるから、多分ほんとに切ってる。

へその辺りに巻いた紐から、また縦に紐が出ていますが、これはナプキンをつけています。生理用ナプキンです。子宮・卵巣を切除したので、股間から出血があるんです。それを受け止める(?)ためにナプキンをつけているのです。

タイのナプキンが全部そうなのか医療用のナプキンだからなのかわかりませんが、ナプキンは日本の「夜用」みたいな大きさで、両端から紐が出ていて、紐の端っこにはプラスチックのフックがついています。そのフックをお腹に巻いた紐に引っかけて固定しています。おもしろいね。

入院着の円筒スカートの中はおパンツをはいていないから、下着に貼りつけるやつは使えないしね。何でノーパンかと言うと、回診なんかで患部を見たり尿道カテーテルのケアをしたりするときに、ぺろっとめくるだけで済んで楽だから(多分)。着心地も締めつける部分がないし解放感があってなかなかグウです。

 

▼ランキングに参加しています。よろしければポチッと。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

お腹を開けて

ごきげんよう、本記事のタイトルを新井素子さんの代表作風にキメてみたおじさんです。

おじさんが書いたアレはもうごらん頂けたでしょうか。まだの人はごらんよごらんなさいよ。短くてお安いよ!

さて、宣伝もしたところで、続き。

内性器摘出術のお話をしていました。タイという国まで出かけての手術です。おじさんの生まれてはじめての海外旅行の目的は、お腹を切って内臓を取り出すことだったのです。

どんどんドンムアン

何とか飛行機に乗って、降り立ったのはドンムアン空港でした。当時の「バンコク国際空港」です。空港コード「BKK」だったのですが、2006年にスワンナプーム国際空港が開港、それを機に「BKK」はスワンナプームに譲られました。

おじさんがはじめて降り立った外国がここでした。飛行機の気密ドアが開いた途端に東南アジアの香草独特の匂いがするあたたかい空気に身体が包まれます。

おじさんが乗った飛行機は18時出発、到着が23時。日本からタイまでは飛行機で5時間かかるんです。直行便です。到着すると23時なんですが、タイと日本の時差は2時間。だから現地時間では翌日の午前1時です。真夜中。

f:id:oji-3:20200504182911j:plain スワンナプーム空港のヤック像(ドンムアンの写真はない)。

空港の到着ゲートを抜けたところでアテンド会社の現地スタッフが待ってくれています。日本語が喋れるタイ人スタッフです。挨拶もそこそこにお迎えの自動車に乗せてもらいます。

このときのスタッフさんは若い女性でした。Nさんとしましょう。Nさんが自分で運転してホテルへ連れて行ってくれました。ホテルは自動車で1時間ほど走ったところです。というのも、ドンムアン空港バンコク市中心部から1時間ほどの場所にあるからです。空港というのは郊外にあるものです。

明日は朝10時にフロントロビーで待っててくださいとの指示をもらって、Nさんと別れました。気がしっかりしていればいつも通り二度三度、時間と場所を確認するのですが、何しろ頭がくらくらしていて、5時間も密閉空間にこもってじっとしていて疲労しきっています。はいはい、くらいの返事で部屋に行きます。

ホテルのボーイさんが荷物を運んで部屋に案内してくれます。ボーイさんにはチップを渡すべきなのですが、チップの習慣がない日本人なもので、おじさんは渡すタイミングが掴めず、ボーイさんと別れてしまいました。ごめんね、とドアに向かって言いました。

ホテルは特に旧いとか汚いとかではなかったのですが、風呂のカランをひねると最初の数分間だけ茶色い水が出て、何だか明るめの色のゴが1匹、バスタブのわきを走り抜けました。日本にいると「げ」と思うかもしれませんが、海外では当たり前くらいに思っておくのがいいです。

入院そして円筒スカート

朝10時にNさんが来てくれるはずだったのですが、10時過ぎても来ねえ いらっしゃらない。ここで昨夜、時間と場所を確認しなかったことを後悔するのです。Nさんの日本語に外国語訛りがあったこと、Nさんがやけに急いで立ち去ってしまったこと、おじさんがくらくらしていたことなどが重なって、言い渡された時間になっても会えない不安になっている訳です。確認はしよう(教訓)。

ほんとはこの日、朝食を食べてはいけなかったんです。手術当日だから。けれどもそれも伝えられていないし、なかなか会えねーし、迎えに現れたのはNさんではなかったし、もー。

f:id:oji-3:20200504200226p:plain

この日現れたアテンド会社のスタッフはMさん。アテンド会社のwebサイトにも写真が掲載されている、同社利用客のすべての面倒を見ている女性です。

Mさんの運転で向かったのはヤンヒー病院。そのスジではつとに有名な病院です。この病院のS医師が性別適合手術では世界的に名の通った外科医なんです。何せ毎日のように手術してますからね。

しかし、おじさんはS医師とは会いません。内性器摘出術というのは性別適合手術ではありますが、やってることは子宮筋腫などの手術と同じなので、産婦人科の医師が行います。

病室を割り当てられて、荷物を置いて、貴重品をセキュリティボックス(鍵がかかる金庫みたいなもの)に入れたら入院着に着替えるよう指示されます。入院着の上は日本でも見られるような前合わせの服なのですが、下がはじめて見るもの。

f:id:oji-3:20200504191819p:plain

円筒です。円筒状の布。円筒に身体を通して、腰の辺りで結んだりしてとめます。巻きスカートのように着るんですね。タイではありふれたものなのか、何の説明もありませんでした。わかんないので看護師さんに訊きました。

ヤンヒー病院の看護師さんは全員、英語が話せます。会話は英語でOK。しかし、おじさんは英語で会話したことがありません。ヒアリングもスピーキングもない頃の英語教育しか受けてないし。英検4級だし。

でも何となく通じ合えるもので、片言英語と身振りで得たい答えは得られました。看護師さんが着付けてくれたのです。

そして婦人科で受診。おなじみの開脚診台にすわります。日本の婦人科だと腰の辺りにカーテンをかけてくれたりしますが、ヤンヒー病院ではありませんでした。自分の両脚の間から医師が顔を出して「Hello」とか言ったので、おじさんも股の間に「Hello」と返しました。

ラテックス手袋つけた手を突っ込まれるなどして、異常なしの診断を受けます。14時から手術と告げられ、病室へ戻ります。このとき正午。間もなく看護師が2人来て、2人がかりで剃毛してくれました。このときは石鹸つけて、T字剃刀で剃ってくれたと憶えています。

手術はあっさり

13時30分くらいにストレッチャーがやってきて、寝ろと言われて寝ました。寝るとストレッチャーが別の階にある手術室まで移動。救急医療のドラマに、緊急手術を要する患者が運ばれるシーンてありますよね。看護師が何か叫びながらストレッチャー押して手術室へ駆け込むやつ。あのシーンの人になった気分になれます。

OPERATION ROOM」と表示がある扉の奥へと入ると、そこは手術待機室。小柄な白衣女性がいて、めっさほがらかに訊ねてきます。

「Can you speak Thai?」
「No」
「English?」
「……A little」
「Ok,ok」

おじさんちょっと見栄張っちゃったかな。と自分で思いました。「A little」どころか、おじさんが常にひねり出せる状態にある英語なんて、中学英語止まりです。

この病院はタイにあって、職員はほとんどタイ人で、だからタイ語が話せれば一番意思疎通しやすいでしょう。しかしこの病院は外国からの患者を多く受け容れているので、看護師はじめ職員はみな英語を話せます。という訳で、「英語は話せるか」と訊ねてきた訳です。

f:id:oji-3:20200504191908p:plain

英語がいくらかわかると伝えますと、脈拍だの血圧だのを測ると同時に、本人確認されます。手術の経験がある人はわかると思いますが、名前や生年月日、血液型、何の手術を受けるのかを訊ねられるので、口頭で答えます。

英会話を学んだことがなくても、これくらいの会話ならおじさんにもわかります。喋りがカタカナ英語でも何とか通じます。

イージーリスニング曲がBGMとして流されていました。術前測定が終わるとストレッチャーごと手術室に移動。手術台横にストレッチャーがつけられ、ストレッチャーから自力で手術台に移ります。

心拍計や心電図の電極、点滴などなどがおじさんの身体に接続されていきます。この状況になると「あーもー逃げらんないなー」という気になりました。麻酔のマスクが口許に当てられて……すると実に速やかによどみなくまったくスムースに、おじさんは入眠しました。眠ったのです。

次に気がついたのは、手術室の外でした。本人確認された部屋。白衣の女史が起こしてくれたのです。何と手術が終わってたんですよ。下腹に鈍い痛みはありましたが呻くほどでもなく、おじさんは直ぐに女史に時間を訊ねました。5時10分だと答えがありました。手術が午後2時30分頃からだったので、手術は3時間程度だったということです。

おじさんは既にストレッチャーに乗せられていて、そのまま病室へ運ばれました。

病室で改めて点滴の針が右手に打たれて、点滴には「ペインフリー」と呼ばれるモルヒネ系の麻酔もじわじわ入るようにセットしてもらっていたので、術後の痛みはあまりありませんでした。

えっ

f:id:oji-3:20200419192224p:plain

と思うよね! 手術の話が全然ないじゃん!て思うよね! でも、おじさん麻酔で寝てたから手術の内容は全然知らないんだ! あっはっはー(あっはっはじゃねえ)。

実に速やかに意識が消えて、実にさわやかに目が覚めたと思ったら、もう終わってたんだ! おじさんだってびっくりしたんだ。

次からは手術の予後について、ぼちぼちとお話ししていきます。予後の方が手術そのものよりも大切かもしれません。多分、手術そのものは、誰が受けても寝てる間に終わるものなので。

 

▼▼▼ランキングに参加しています。ポチッとして頂けるとうれしいです。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

手術をするなら病気はしちゃ駄目だ

ごきげんようカップ焼きそばに入っている乾燥キャベツだけをカップいっぱい食べたいと思うことがあるおじさんです。

ちょっと宣伝。

随分以前に書いたものですが、小説がKindleで発売されました。

 いくらか手直ししてのリリースです。500えん。短編かつお安いので安心してお求めください。

さて。

いよいよお腹を切る手術を決意したおじさんのお話をしていましたね。おじさんは幼い頃から割りと病気がちでしたが、お腹を切ったことはありませんでした。盲腸も切らないで散らしてましたし。

そのおじさんが、三十路も半ばを迎えてから、しかもはじめて国外へ出て、お腹を切ります。もちろん自分で切るんじゃないです。お医者に切ってもらいます。

はじめて飛行機に乗って海外へ行く

もともとおじさんはインドアで出不精です。デヴじゃないよ、出不精。おじさんはデヴだけどデヴと出不精は全然カンケーないからね。

インドアなおじさんは、三十路に入ってから少しずつ外へ出るようになってきたけれど、それまで旅行なんて修学旅行しか行ったことがない人でした。

その デヴ 出不精のおじさんが、性別適合手術を受けるためにタイへ行くことになりました。

なぜタイなのか?

ということは前回にお話ししました。タイで手術をするのが「早い・安い・うまい」だからです。待たなくていい、お金も少なくて済む、手術が上手という3つのメリットがあったのです(あくまで2000年代当時のお話)。

行く前にはもちろん、タイという国について、タイへ性別適合手術を受けに行った人たちのお話を調べました。乳房切除術(おっぱいを切り取る手術)のときのような失敗をしてはいけないので。

その上で決めたことでした。3箇月くらい毎日調べものをしていたなあ。

かくして、おじさんは「医療アテンド」というものを利用してタイの首都バンコクにある病院で手術を受けるべく、はじめて飛行機に乗るのです。

f:id:oji-3:20200427183831p:plain

「医療アテンド」というのは、病院で治療を受けるために渡航する人たちを世話してくれる人です。現地の言葉、医療用語を熟知していて詳しく通訳してくれる。空港から病院、病院から宿泊施設その他必要な施設へと送迎してくれたり、航空券や宿泊施設の手配などをしてくれたりします。

おじさんが内性器摘出術、つまり子宮や卵巣を切り取る手術を受けようという頃は、タイの性別適合手術をアテンドする会社は2社のみでした。そのうちの1社を、会社訪問した上で選び、お金はそこに支払います。

そうするとアテンド会社が病院の予約やら飛行機の手配やら何もかもやってくれて、おじさんはアテンド会社の指示通りに飛行機に乗って出掛けるだけでOK。はじめての海外で何を用意していいやらわからないのでそれも調べて、荷造りして、旅立てばいい……という訳には、実はいかなかったのです。

薬を一旦停止

実はおじさんはうつ病持ちです。

おじさんがまだおじさんではなかった頃から不調ははじまっていて、でも「みんなこんなもんだろ」とおじさんは思っていて、やっと精神科で診てもらったのは阪神大震災が起きた日でした。

f:id:oji-3:20200427183930p:plain

そのときからずっと薬を服んでいます。一時はまったく駄目な状態になって入院したこともありましたが、タイでの性別適合手術を決意した頃は処方された薬を服んでさえいれば比較的元気でした。

しかし、タイで手術を受けることになって、手術してくれる病院からこのような注意を受けました。

「手術の1箇月前から一切の服薬をやめること。ホルモン注射やサプリメントも駄目です」

これがあるために、「うつ病持ちは性別適合手術を受けられない」という風にも当時は言われていました。うつ病の人というのは、これもちょーかんたんに言うのですが、元気のレベルが低いところで安定しているのです。それを薬で補助して一般の人と同じレベルまで持ち上げて、一般の人と一緒に過ごせるようにしているのです。

だから薬を服まないでいると、ずっと低調です。

しかも、「1箇月前からまったく服まない状態にする」ためには、2箇月くらい前から薬をやめはじめなければなりません。それまで服んでいた薬をいきなり全部やめてしまうと離脱症状が出てくるからです。離脱症状というのは、俗な言葉で言うと禁断症状です。

薬の種類にもよりますが、急にやめると頭が痛くなったり、熱が出たり、目眩がしたり、身体に不調が起こります。だから、少しずつ減らしていく必要があります。その「少しずつ」を、3~4週間かけて減らすのです。

へろへろのぐるぐる

おじさんのうつ病は、どちらかと言うとメンタルよりも身体に出てくるタイプで、目眩や倦怠感、頭重感などがストレスによって顕著に出てきます。だから動けなくなるんです。ひどいときは横になった状態から半身を起こすこともできない。

薬を服まないと、概ねそういう状態になります。身体を起こすとくらくら目眩がして、まっすぐ歩けません。自分がまっすぐ歩けている自信が全然ないので怖くて外出もできません。

f:id:oji-3:20200427184029p:plain

当時からおじさんはひとり暮らしです。

必要なものがあれば自分で買いものに行かなければなりません。でも、それも難しくなってきます。水は蛇口までたどりつければ飲むことができます。食べるものがあれば電子レンジでの調理くらいなら何とかできます。でも食べもの自体が家になければ食べることもできません。

ほかの何がなくても、食べものとトイレットペーパーを切らしてはいけないのです。

という訳で、外出できなくなってからは通販に頼りました。便利だなあインターネット。時代が10年も早かったら、こんなことはできていなかったかも。

渡航2箇月くらい前から、おじさんは自宅の外に出られないまま過ごしました。自宅の中を這いずるように移動しつつ荷造りをして、あとはほぼ寝込んでいました。

出発当日も、もちろんぐったりしていて頭ぐるぐるです。風景は回転しているし、ふわふわと身体全体が浮いているような感覚があるし、自分で自分の軌道が危ないなあと思いながら空港へ行きました。

ここで問題発生。うつ状態がひどい人間は、口を聞くことができません。声を出すことがもうしんどいのです。自分以外の誰かに発話するなんて、とても億劫です。そんな訳で、空港カウンターの係員に話しかけることがなかなかできず、おじさんはしばらくロビーの椅子でぐったりしていました。

元気だったら何てことのない搭乗手続きですが、おじさんはうろうろぐるぐるくらくらして「誰か助けて」と思いながら、やっとのことで済ませたのでした。ほんとうに助けてほしいときには「助けて」って言えない状態だったりするんですよね。

またながい

股長い。

f:id:oji-3:20200427184109p:plain

ではなく、またもや文章が長くなってしまいました。おじさん手短かに書くのが苦手でごめんなさいね。

そろそろ割腹(違)のお話ができるかと思っていましたが、まだようやく飛行機に乗るところです。ご期待のみなさま申し訳ございません。1回があまり長くなると読むのもしんどいでしょうから、今回はこの辺で。

 次回はお腹切るんじゃないかなあ。

ブログランキング・にほんブログ村へ 

嗚呼、割腹美少年…

ごきげんよう、心霊写真の例のナニが写っている部分が○で囲ってあってもナニが「おわかり頂けない」おじさんです。

f:id:oji-3:20200422150127p:plain

乳房切除術(おっぱいを切り取る手術)、性ホルモン注射と、おじさんが経験してきた性同一性障害の治療についてお話ししてきました。ここまでのお話は、何と1990年代のお話です。20年以上前ですね。本ブログをお読みの人の中には、まだ生まれていなかったという人もきっとおられるのでしょう。

だから、おじさんの話は、これから性同一性障害の治療を受けようという人の参考になるかと言うと、そうでもなさそうです。医療は日進月歩で進歩しておりますので、おじさんが体験したコトなんて「古えの治療術」なんじゃないかな。

次のお話は、ようやく2000年代のお話です。お腹を切って中身を取り出した話だヨ!

でも、お高いんでしょう?

世知辛いお話になりますが、性別適合手術という性同一性障害の外科的治療は、とってもたくさんのお金がかかります。

2018年から性別適合手術にも一部、公的医療保険が適用されるようになりましたが、おじさんが手術を受けた頃は全部自費で、現在よりももっと手術をしてくれる病院が少なかったのです。片手で数えられるくらい。

病院は少なかったけど手術を受けたい人は割りとたくさんいて、国内で手術を受けようとすると、おじさんのような女性型の身体を男性型に訂正したいトランス男性の手術は全部で300万円ほどかかるとのことでした。病院の人に教えてもらったから、多分間違ってない。

手術「だけ」で300万円くらいかかって、そこに入院費用やら薬剤代やらがかかってくるので、諸々合わせると約500万円なのだそうです。この高価な手術は、しかも手術しようと決まってから少なくとも半年は待たなければならなかったのです。

翻って。

f:id:oji-3:20200422144440p:plain

海外へ行くと、同じ保険が効かない手術でも、国内よりも安い費用で済んだりしたのです。しかも待たなくていい。アメリカ、台湾、カナダなど手術できる病院はいくつかの国にありましたが、中でもタイは手術が「早い・安い・うまい」と言われていました。牛丼かよ。

安いと言っても、全部済ませるならやっぱり数百万円はかかる訳で。あまり誇れることではないのですが、おじさんは社会にあんまり適合してなくて、うまく社会の一員として働くことができずにいました。実はいまもそうなんですけど。

て訳で、収入もあまり得られなくて、その日暮らしのようなものです。日々の生活を成立させながら手術費用とと術後の休養期間の生活費用を貯金するなどということは、ほぼ無理。半分以上諦めていました。

ところが三十路も半ばに差しかかった頃、運よく高収入の仕事を得ることができまして、ここぞとばかりに貯金しました。それで2回目・3回目・4回目のの手術を受けることができたのです。

からだの性を訂正する手術の種類

女性型の身体を男性型に訂正する手術は、人によって受ける回数が違います。本人がどこまで望むかによるからです。

「おっぱいがなくなりさえすればいい」という人なら、1回でおしまいです。「おっぱいはいらない、子宮・卵巣もいらない」という人なら手術は2回。おっぱいと子宮・卵巣の手術を1回で済ませる病院もどこかにあったようですが、それは医者も患者もしんどいに違いありません。

性別適合手術を受けたい人は誰もが「おっぱい切る+子宮・卵巣取る+ちんちんつくる」のセットで手術を受ける訳ではないんです。「ちんちんなんか別にいらん」という人もいるので、そういう人はちんちんをつくる手術は必要ないんですね。

f:id:oji-3:20200422145421p:plain

おじさんはセットで受けました。おっぱいを切って子宮・卵巣を取ってちんちんをつくった訳です。ちんちんをつくるためにはまず尿道を延長する手術と、ちんちんの材料になる「皮弁」というものをつくる手術を、ちんちんをつくる手術の前に済ませておかなければなりません。尿道延長術と皮弁は1回の手術でできます。

だからおじさんは次の手術を受けたことになります。

  1. 乳房切除術 : おっぱいを切り取る
  2. 内性器摘出術: 子宮と卵巣を切り取る
  3. 尿道延長術・陰茎形成準備術: 尿道を延長する、皮弁をつくる
  4. 陰茎形成術: ちんちんをつくる

1のお話はこのブログの最初にしたので、次は2の「内性器摘出術」のお話をしましょう。

「内性器」というのは身体の中にある性器、つまり子宮や卵巣のことです。現在では腹腔鏡手術や内視鏡手術も選択肢に入っていますが、おじさんが手術を受けた頃は開腹手術しかありませんでした。

という訳で、生まれてはじめて腹をかっさばいての手術を受けたのです。嗚呼、割腹美少年(おじさん美少年じゃないけど)。

ことの次第は次回から。次回もおたのしみに!

ホルモン注射をしてみたら

ごきげんよう、ネット書店で本を買う機会が増えてスリップが貯まりがちなおじさんです。

スリップというのは市販の本に挟まっている二つ折りの伝票のことです。「短冊」と呼ぶ人もおおいですね。ネット書店はスリップを外さずに発送してくれることが多いんです。

さて、前回ははじめてのホルモン注射のために病院を探し当てたところまでお話ししたんでしたね。ではでは、今回は病院に行ったときのお話から。

産婦人科医は患者を怒る

ホルモン剤を扱う診療科は産婦人科泌尿器科です。戸籍上の男性は泌尿器科、同じく女性は産婦人科に行くことが多いようです。

私が見つけた「ホルモン注射をしてくれる病院」も産婦人科でした。個人の単科病院です。受付で「先日、電話でホルモン注射をして頂けると聞いて来ました」と告げると、そのまま受けつけられました。2~3人あとに診察室へ。

50絡みの男性の医師は、生まれたときに男性と判定された女性(これをこのブログでは「トランス女性」と呼びます)に対してのエストロゲン(女性ホルモン)の投与は望まれて行うことも少なくないのだと話してくれました。

しかし、医師はこのとき、おじさんもトランス女性でエストロゲンの投与を望んで来院したのだと思っていたそうで、おじさんは危うくエストロゲンを注射されてしまうところでした。

f:id:oji-3:20200419192224p:plain

医師が「え、自分どっち?」と訊いてくるので(大阪とその近辺では「自分」を「あなた」という意味でも使うんですわ)「男性ホルモンを注射してほしいんです」と改めて申し出たのですが、この問答がなければ望まない施術をされたかもしれなかった訳です。

実はこの頃の産婦人科医には「ホルモン注射してくれ」って言うと「はいはい」って検査も何もなしでカンタンに注射してしまう人が割りと多かったのです。しかし、おじさんが診てもらった医師は、一応説明をしてくれました。

女性の身体にテストステロン(男性ホルモン)を投与すると、月経が止まって、排卵が止まって、子宮が萎縮します。萎縮した子宮が癌化することもあるのだそうです。注射するとそういうことが起こり得るけど、それでもいいですか、と医師はおじさんに訊きました。

おじさんは迷わず「はい」と答えました。

なぜって、おじさんの「自分は男性である」という認識は小っさい頃から揺らぐことがなくて、それなのに月経が毎月あったり、体毛が薄かったり、筋トレしても筋肉があまり大きくならなかったりするのはとても厭なこと、強いストレスだったから。

女性の身体のまま老いて女性として長生きするより、少しでも男性の身体に近づいて早く死ぬ方がいいんだ、というくらいのことは考えていたから。しかし、おじさんが答えるなり、医師は机を叩いて声を張りました。

f:id:oji-3:20200419183525p:plain

「ええ訳ないやろ!」

怒られたのです。当時20代だったおじさんは、はじめて「医者に怒られる」という経験をしたのでした。

後から知ったことですが、産婦人科には患者を怒るお医者が多いのだそうです。おじさんには姉がいますが、姉や姉の友人らも出産のときにお世話になったお医者に怒られたと言っていましたし、おじさんものちに別件で別の産婦人科医に診てもらってまた怒られています。

おじさん、病院に縁が深いらしくてたびたびいろんな箇所を診てもらうんだけど、怒られたのは産婦人科と外科だけだなあ。後年、主治医となった人に聞いた話だと、外科系のお医者は「怒るし、人の話を聞かない」という人が多いらしいです。

テストステロン驚異の作用

かくして、探しに探しまわってようやくたどりついた病院でおじさんは怒られた訳ですが、「せっかく来たんだから、1本だけ」と注射はしてもらえました。「言うとくけど1本だけやで!」と何度か念を押された後で。

ホルモン注射はたいてい筋肉注射です。おじさんもこのとき以来ずっと筋肉注射してもらっています。ホルモン注射って、ほんとうにちょびっとの薬剤を注射するだけなんですが、第二次性徴という劇的な身体の変化を引き起こす性ホルモンの量は僅か切手1枚分だと言いますから、ほんのちょびっとでも大きな効果はあるのです。だからこそ気軽に身体に入れてはいけない訳です。

f:id:oji-3:20200416203516j:plain
おじさん、当時は会社が引けてから短時間のアルバイトをしていましてね、そのアルバイトというのは宅配便の仕分け作業だったんです。注射してもらった翌日はそのアルバイトに行く日だったので、会社が引けた後に仕分けてたんですが、ふと、荷物を掴んだ自分の手が目に入って、そのときはじめて気づいたんです。

荷物の仕分けだけど暖かい季節だったので、おじさんは軍手を着けずに素手で作業していました。仕分ける棚の上に荷物を上げた自分の手の甲の、肌理がものすごく粗くなっていたんです。昨夜見た自分の手とはまったく違う、肌の質感。別人の手を見るようでした。

それまで特に感じたこともなかったのですが、当時のおじさんはまだおじさんじゃなくて若かったし女性型の身体でもあったので、肌がつるつるのすべすべだったんですね。20年以上毎日毎日見てきた自分の身体なので特別なことに思いませんでしたが、仕分けのときに見たまるで別人の手を思うと、あれは特別なことだったんだなあ。

手の甲に顔を近づけて目を近づけて、よーく見ると皮膚の表面に細ーーーい筋が編目のように走ってるでしょう? 当時のおじさんの手の甲は、ほんとうに手を額にくっつけるくらいに目に近づけないと、その編目が見えなかったんです。

それが、バレーボールでトスを上げたくらいの距離から、はっきりと目視できて、だからびっくりしたんです。何なら「手相が手の甲に移ったか」と思ったくらいに。

注射した日、つまりびっくりした前の日も、会社が引けてから病院に行ったので、びっくりしたのは注射をしてからちょうど24時間くらいです。ほんのちょびっとの薬を注射してからたった一晩経っただけで、こんなに明らかな変化が現れるんです。性ホルモン剤恐るべし。

性ホルモン注射の実体

注射したのは「エナルモンデポー」という薬で、量は250mg。人の手の小指くらいの小さなアンプルに入った薬剤です。ごくごくちょーかんたんに言うと、テストステロン(男性ホルモン)をデポー剤に溶かしたものです。

f:id:oji-3:20200419191432p:plain

デポー剤は持効性注射剤とも言いまして、これに混ぜて注射すると、薬はじわじわーっと時間をかけて効いていきます。男性ホルモンは代謝されやすくて、それだけを身体に入れると短時間で身体の中から消えてしまいます。

身体の中にとどまって長く効くようにデポー剤に混ぜる訳です。ちょっと調べてみるとエナルモンデポーにはごま油が使われているようです。注射すると身体がおいしくなりそう。

何となくおいしそうなホルモン剤を、ほんとにちょびっとだけ、筋肉注射してもらいました。油が混じっているので、上手に注射しないと身体に入るとき、とっても痛いです。

注射が痛くて厄介というのもそうなんですが、性ホルモン剤は一旦摂取をはじめたら、定期的に定量を摂取し続けないと、体調を崩しやすいです。精神面で不調を来す人も少なくありません。「ホルモンバランスが云々」とたびたび耳にすることがあるでしょう? ホルモンバランスを乱すと心身両面にしんどいことが多いからです。行う人は充分に気をつけて。

かつて、筋肉注射はとっても痛かった

筋肉注射と言えば、佐々木倫子さんの『おたんこナース』第1巻の冒頭に収録されている「太モモに注射針」というエピソードが思い出されます。……おじさんヲタクだから。

このお話で「肩峰(肩の骨の端っこ)より三横指下に90度の角度で針を刺す」という筋肉注射のお作法(?)を知ったのでした。そうやって注射するのが一番痛くないんだって。

つまり、角度が90度じゃなかったり、肩峰のすぐ下に針を刺したり、お作法に沿わないやり方で注射するとかなり痛いってことです。そのほか、神経を狙って、ゆっくりと針を刺すととっても痛いらしいです(『おたんこナース』での似鳥さんの研究による)。

看護師は注射の手技を身につけていますが、みんなが上手という訳ではありません。中には筋肉注射が下手な看護師もいます。そういう人に当たると大変です。針を刺すだけで声が出るくらい痛いということも、ままあります。

おじさんははじめての注射から早や20年以上ホルモン注射を続けていますが、20年のうちの前半は、痛い看護師に当たっていました。

エナルモンデポーは、さっきちょっとお話ししたように油が混じっています。身体に入っていきづらい。だから、薬剤をゆっくり入れていかないと、とっても痛いです。

病院大繁盛で混雑しているときなどに行き当たるともう大変。急いでちゅーっと注射されてしまったりして、「でででででっ」て口が勝手に言うくらい痛いよ!

筋肉注射というものは痛いものだから、腕にすると翌日腕が上がらなくなる。尻は痛みを感じづらいし動くに差し支えないから、尻にしましょう。おじさんが注射をはじめた頃は、こういうことが言われていました。

だから痛い看護師のところに通っているときも尻に注射してもらっていましたが、それでも痛い! 針を刺すだけで口が勝手に暴言を吐くほど痛い。薬剤が入ってくるとさらに痛い。当時は注射の後はよく揉んでくださいと言われていましたが、揉んでも歩くのに難儀するくらいに痛いときもありました。

あれから幾星霜。

20年もあれば医療器具も進化する訳で、注射針も年々「痛くない針」になってきているようです。それに加えて、おじさんが現在お世話になっている病院の看護師は、どの人も注射が上手です。あんまり痛くない人からまったく痛くない人まで。

まったく痛くない人は針を刺したのもわからないくらい。器具だけでなく、看護学校で教える技術も変わってきているのかな? いずれにせよ、「痛くない」というのはとっても有難いことです。

 

ホルモン注射の思い出話

ごきげんようカップ焼きそばに入っているフリーズドライのキャベツだけをカップいっぱい食べてみたいおじさんです。

前回まではおっぱいを切り取ったときの体験をお話ししました。自分で読み返してみると些か駆け足だったようにも思うのですが、落ち着いてお読み頂けたかしらん?

おじさん、手術は多めに経験しています。おっぱいのほかに、目蓋を切ったこともあるし、お腹を切ったこともあるし、あと腕を切ったり尿道に管を突っ込まれたりしてます。歯茎を切開したこともあったなあ。

そんな風に、痛い体験にはこと欠かないし、人に話すと結構ウケます。あと、話を聞いただけで痛がっちゃうセンシティヴな人も割りといるんですが、そういう人に痛い話を更にたたみかけるのがおじさんは結構好きです(悪趣味)。

ホルモン注射の話をはじめるよ

最初のお話がかなり痛い話だったので、次はちょっと痛みがましなお話にしましょう。痛い話には変わりはないんですが。

2020/04/03の「何で性別適合手術を受けようと思ったの?」というエントリーでちらっと申しましたが、おじさんはおっぱいを切り取る手術のちょっと前から性ホルモン剤の投与もはじめています。

 性ホルモン剤が人体にどのような影響を及ぼすか、ということについては、正確な話はこのブログではできません。ひとさまに詳細をお伝えできるほど、おじさんはその知識に精通している訳ではないからです。

ホルモン剤についての正しい情報は、お手数ですが、ご自身でお医者さんに訊ねるなどして入手してくださいね。ここではあくまで「おじさんの体験」をお話しします。

あとね、老婆心ながら申し上げます。知識がないままに性ホルモン剤を身体の外から取り入れるってことは、しないでください。ほんのちびっとで身体に大きな影響がある薬剤です。気軽に使っていいものではないです。気をつけてね。

昔々のお話

さてさて。おじさんがホルモン注射をはじめようと思ったのは昔々のお話です。1990年代。「性同一性障害」という言葉がまだ巷に知られていない頃でした。お医者さんでさえ知らない人の方が多かったんです。

当時は、おじさんと同じように自分が認識している性別と身体の性別とにずれを感じてしんどい思いをしている人たちの中には、入手ルートを独自に発掘して、自分で薬剤を調達して自分で注射している人もいたらしいです。

f:id:oji-3:20200416203516j:plain

注射剤ではなく、錠剤や軟膏で摂取している人もいたようです。病院で注射してもらうには、してくれるお医者さんを探さなければなりませんでした。お医者さんの施術は「言い値」で行われていて、薬の価格+施術料金が20000円なんて病院も当時はざらにあったと伝え聞いています。

2004年に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」というとても長い名前の法律が施行されまして、それ以降はこんな法外な値段をふっかけてくるお医者さんももうない……んじゃないかと思います。

ちなみにですね、(法律上の)女性に男性ホルモン剤を、(法律上の)男性に女性ホルモン剤を投与するのは健康保険が効きませんが、男性に男性ホルモン剤、女性に女性ホルモン剤を投与するなら保険が効きます。

職業別電話帳って知ってる?

いまどきは病院やお店や会社の電話番号を調べるのもインターネット検索でささっとできちゃうけど、昔々の1990年代はまだ「インターネット」というものが、存在はしたけど一般には普及していなかった。まだ「パソコン通信」という電話回線を利用した通信を一部の人が使っていたくらいかな。

そんな時代だったので、おじさんは「職業別電話帳」というもので病院の電話番号を調べました。若者のみなさんはご存じないかも、と思ってるのですが、いかがでしょうか。知ってる? 「ハローページ」とか「タウンページ」とか。電話ボックスには備えつけられている……んだけど、電話ボックスも滅多に見かけなくなっちゃったね。

昔々はね、各ご家庭の電話番号のほとんどが掲載されている「五〇音順電話帳」と、店舗や会社などの電話番号が掲載された「職業別電話帳」てのがあったんですよ。いや、いまもあるんですが、ずいぶん薄っぺらくなりました。

f:id:oji-3:20200416203435j:plain

「職業別電話帳」は広告媒体でもあって、当時はとても分厚い冊子でした。「月刊少年ガンガン」とまではいきませんが、少なくともいまの「週刊少年ジャンプ」よりは分厚かったです。鈍器として使用できそうなほど。

その電話帳を使って、地元市内の産婦人科の病院の電話番号を抜き書きして、片っ端から電話をかけて問い合わせました。

「男性ホルモンの注射をしてほしいんですが、してもらえますか?」

片っ端から断られました。「うちではそういうのはやってないです」て断ってくれたら、まだ親切な方。中には「えっ?!」て言ったきり黙ってしまう看護師さんとか、「先生に聞きますのでお待ちください」て保留音鳴らして20分ばかり待たせた挙句にそのまま切ってしまう病院とかありました。

だから、十数軒の病院に電話をしてようやく「してますよ、来てください」と返事をもらったときはうれしくてうれしくて、電話を切って後、頭を下げて何度も「有難う、有難う」と呟きました。それは「有難いからそうしよう」と考えてやったことではなく、「思わず」やったことでした。

いよいよ病院で

「来てください」と言ってくれた産婦人科は、自宅からは少し離れたところにありました。電話の翌日、仕事が終わった後に、早速そこに向かいます。はじめてのホルモン注射です。

さて、病院でどんなことがあったのか。今回はずいぶん長くなってしまいましたので、また次回に。

 

おっぱいを切り取った結果

ごきげんよう、前回の記事ではおっぱいを切ってそのまま歩いて家に帰ったおじさんです。
そのあとどうなったかをこれからお話ししましょう。とりあえず、家には無事に着いたよ!

多少は効いてたみたい…

鎮痛剤と抗生剤を、1日3回、1週間服むようにと処方されていて、合わせて鎮痛剤ももらいました。術後1時間もすると(手術のときの)麻酔が切れて痛くなってくるよ、ということは医師から言われたのです。

手術のときの麻酔もたいして効いてなかったけどな!と思ってたけど、術後2~3時間くらいすると胸部に鈍い痛みが「ずくずく」と現れてきました。ずくずく。

痛いのは厭だから、さっさと鎮痛剤を服みます。でも服んだ途端に痛くなくなる訳でもなく。

ベッドの上にすわった姿勢で、胸に枕と座布団を当ててぎゅっと押さえます。すると耐えられるくらいにまで痛みがましになります。しばらく……小一時間くらいだったかな? その姿勢でいたら「ずくずく」が小さくなったので、横になって座布団を抱えることにしました。

静かなのは何だか厭だったからテレビをつけていたのですが、手術の日は金曜日で、「ドラえもん」が映っていたのを憶えています。「ドラえもん」の放送が終わってしまう前に、おじさんは眠ってしまったようです。

f:id:oji-3:20200418214638p:plain

中2日で出勤

手術が金曜日、翌日は土曜日。仕事はお休みです。身体を切った翌日だから全然動けないだろうと思って、1日寝ておく心づもりでいたのですが、午を過ぎた頃から何だか元気になってきたような気がしてきたので、近所の商店街をぶらぶらと歩きに出掛けました。

おじさんもその頃はあんまりおじさんじゃなかったので、身体がとても元気だったのですね。それに、術後は歩きまわる方がいいようです。のちに知ることなのですが、その方が治りが早いのだそうです。

さらに翌日の日曜日は自動車を運転して出掛けられるまでに回復し、月曜日には通常通り出勤しました。おじさんが胸を切る手術をしたことは誰も知らないままです。

仕事では「胸より高い位置に腕を上げる」という動作が必要な場面もあり、それは多少痛くてひやひやしましたが、会社の一員でありながら一人で段取りして一人で作業できる仕事だったので、痛いとか怖いとかをできるだけ避けることもできました。

ヨシ!

手術から1週間後に病院へ行くことになっていました。抜糸のためです。診察室にいたのは執刀医とは違って、院長氏でした。院長氏はおじさんの胸の包帯を取って、ガーゼを取って、傷痕を見て、「ヨシ!」と言いました。

f:id:oji-3:20200414173533p:plain

手術はうまくいったのかな、と思いました。

思いますよね、「ヨシ!」て言ったんだから。

さて、下の写真が「ヨシ!」の手術からまる22年後のおじさんの胸です。

f:id:oji-3:20200414181149j:plain

おっぱいの下側に皮膚のしわのような、赤っぽい線が入っているでしょう。手術で切開した痕です。20年以上経っても傷痕が残ってるんだ。

……あんまり「ヨシ!」じゃねえなあ。

おじさんの失敗

おじさんね、早くおっぱいをなくしたかったから、焦って近所の美容外科医に駆け込んだのね。「おっぱいをなくせるなら何だっていい」って。それがよくなかった。浅はかだった。

手術って後々の人生を「生きていくため」にするものだから、術後も健康で元気に過ごせるように段取りしないといけない。おじさんみたいにテキトーにやっちゃ駄目なの。

「おっぱいを切るのが上手なお医者」てのがいるし、「傷が小さくてすむ手術の方法」てのもあるから、事前によーく調べて、そういう手術をしてくれる上手なお医者がいる病院へ行くべきだった。

性別適合手術でなくても、これから何らかの手術を受けようという境遇に立つことがあったら、みなさんはよく考えて、よく調べて、納得がいく手術を受けられるように、よりよくその後を生きていけるように、手を尽くしてください。

ま、この手術については、傷痕が残ったことと、「肥ってるからちょっと残しておいた方がいいよねー」とか執刀医が乳腺だの脂肪だのを全部切除してくれなかったために、大胸筋を発達させても「雄っぱい」になりきらなくてちょっとくやしいことくらいが難で、ほかに支障は出ていないからよかったんだけどね。

おじさんに局所麻酔は(ほとんど)効かなかった

ごきげんよう、仕事柄、付箋の消費量がめちゃくちゃ多いおじさんです。

前回は乳房切除術、つまりおっぱいを切り取る手術を受けるおじさんが、いよいよ手術台に寝て、おっぱいの周囲に麻酔注射をいくつもいくつも射たれるところで終わっていました。

今回は、レーザーメスでおっぱいを切開するところからです。

おっぱいを切り取る手術の方法

一口に「おっぱいを切る」と言っても、方法はひとつだけではありません。乳輪を一旦くるりと切り離して、空いた部分から乳腺だの脂肪だのの「おっぱいの中身」を取り出して、その後もう一度乳輪を縫いつける方法や、乳輪の下にU字型の切り込みを入れてそこから中身を出す方法、同じように乳輪の下にT字型に切り込みを入れる方法なんてのがあります。

こういった乳輪周辺にメスを入れる方法だと切り込みが小さくて済むので、傷の治りも早く、身体への負担も少なくて済みます。2000年代以降はこちらの術式がスタンダードになりました。が、おじさんが手術を受けたのはその直前辺りだったんですな。

だからという訳でもないんだけども、おじさんが受けた手術は「乳房の下」にU字型の切り込みを入れてそこから中身を出す方法でした。下乳に沿って切開するということです。

 

f:id:oji-3:20200409211307p:plain

上の図の赤い線のように切り開くために、おおよそ同じ辺りに麻酔注射をちっくんちっくんと何本も射って、さてその後、執刀医がレーザーメスでおじさんの胸にさわりました。

レーザーメスでさわったら切れます。切れたら当然痛いです。執刀医が「痛い?」と訊くのでおじさんは「痛いですっ!」と半ば叫びました。すると執刀医がひとりごちたんです。

「おかしいなあ」

おかしくないよ、切れたら痛いんだよ! まだ麻酔が効いてないんだよ!

しかし執刀医は「そのうち効いてくるからね」と言って切開を続けました。

活け造りか!

麻酔が効いていないのにおじさんは胸を切開されたのです。U字と言うか、半円状に乳房の下辺を切って、ぺろんと乳房をめくって、乳腺だの脂肪だのという「おっぱいの中身」を取り出します。引っぱり出して、はさみでチョキチョキ切ります。

切られる痛みがわかるくらいだから、おっぱいの中身を引っぱられている感覚ももちろんあります。はさみで切られる痛みもあります。「生きながらに身を切られる」を実体験しました。

「痛い」と言い続けたので麻酔を追加してくれていたようでしたが、手術の間中ずっと痛かったです。どれくらい痛かったかって、足の上に30kgの重りが乗っていなかったら、両腕が手術台に縛りつけられていなかったら、きっと痛みに耐えきれず暴れていたでしょう。ということが想像に難くないくらいには痛かったです。

痛くて腕にも肩にも力が入っていて、手術の翌日には僧帽筋(肩の筋肉)が筋肉痛になりました。後にも先にもそんなところが筋肉痛になったのはこのときだけです。

f:id:oji-3:20200409214024p:plain

みなさん、こんなところ筋肉痛になったことあります? 

眠ってもいなければ死んでもいないし麻痺もしていない状態で切開されたり切除されたりって、おじさんの活け造りかよ!

されてる方はオニのよーに痛くて苦しいから、活け造りとか躍り食いとか地獄焼きとか、今後絶対しないと思いました。

日帰り手術

手術に要したのは1時間前後で手術は日帰り、入院なしでOK。

のはずでしたが、「通常の3倍」の量の麻酔を使ったのだそうで、覚めるまで病室で寝てなさいと言われて小一時間横になっていました。

覚めるまでも何も、縫合が終わるまでずーっと麻酔が効かなくて痛いまんまでした。

だもんで、ずっと腕も肩も力ませて、歯を噛み合わせていて、それが1時間も続いたので、確かに頭がくらくらしていました。それが落ち着く頃に病院に申し出て、「もう少し寝ていきなさい」と言われつつも帰途に就いたのでした。

徒歩で帰ったのですが、自分の一歩一歩が怖ろしかったことを憶えています。一歩踏み出す、その振動だけで縫合した胸の術創が開いてしまいそうで、とても怖かったのです。そっと、そーっと、ゆっくり歩いて帰りました。秒速5センチメートルくらいだったんじゃないかな。