おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

ホルモン注射をしてみたら

ごきげんよう、ネット書店で本を買う機会が増えてスリップが貯まりがちなおじさんです。

スリップというのは市販の本に挟まっている二つ折りの伝票のことです。「短冊」と呼ぶ人もおおいですね。ネット書店はスリップを外さずに発送してくれることが多いんです。

さて、前回ははじめてのホルモン注射のために病院を探し当てたところまでお話ししたんでしたね。ではでは、今回は病院に行ったときのお話から。

産婦人科医は患者を怒る

ホルモン剤を扱う診療科は産婦人科泌尿器科です。戸籍上の男性は泌尿器科、同じく女性は産婦人科に行くことが多いようです。

私が見つけた「ホルモン注射をしてくれる病院」も産婦人科でした。個人の単科病院です。受付で「先日、電話でホルモン注射をして頂けると聞いて来ました」と告げると、そのまま受けつけられました。2~3人あとに診察室へ。

50絡みの男性の医師は、生まれたときに男性と判定された女性(これをこのブログでは「トランス女性」と呼びます)に対してのエストロゲン(女性ホルモン)の投与は望まれて行うことも少なくないのだと話してくれました。

しかし、医師はこのとき、おじさんもトランス女性でエストロゲンの投与を望んで来院したのだと思っていたそうで、おじさんは危うくエストロゲンを注射されてしまうところでした。

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医師が「え、自分どっち?」と訊いてくるので(大阪とその近辺では「自分」を「あなた」という意味でも使うんですわ)「男性ホルモンを注射してほしいんです」と改めて申し出たのですが、この問答がなければ望まない施術をされたかもしれなかった訳です。

実はこの頃の産婦人科医には「ホルモン注射してくれ」って言うと「はいはい」って検査も何もなしでカンタンに注射してしまう人が割りと多かったのです。しかし、おじさんが診てもらった医師は、一応説明をしてくれました。

女性の身体にテストステロン(男性ホルモン)を投与すると、月経が止まって、排卵が止まって、子宮が萎縮します。萎縮した子宮が癌化することもあるのだそうです。注射するとそういうことが起こり得るけど、それでもいいですか、と医師はおじさんに訊きました。

おじさんは迷わず「はい」と答えました。

なぜって、おじさんの「自分は男性である」という認識は小っさい頃から揺らぐことがなくて、それなのに月経が毎月あったり、体毛が薄かったり、筋トレしても筋肉があまり大きくならなかったりするのはとても厭なこと、強いストレスだったから。

女性の身体のまま老いて女性として長生きするより、少しでも男性の身体に近づいて早く死ぬ方がいいんだ、というくらいのことは考えていたから。しかし、おじさんが答えるなり、医師は机を叩いて声を張りました。

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「ええ訳ないやろ!」

怒られたのです。当時20代だったおじさんは、はじめて「医者に怒られる」という経験をしたのでした。

後から知ったことですが、産婦人科には患者を怒るお医者が多いのだそうです。おじさんには姉がいますが、姉や姉の友人らも出産のときにお世話になったお医者に怒られたと言っていましたし、おじさんものちに別件で別の産婦人科医に診てもらってまた怒られています。

おじさん、病院に縁が深いらしくてたびたびいろんな箇所を診てもらうんだけど、怒られたのは産婦人科と外科だけだなあ。後年、主治医となった人に聞いた話だと、外科系のお医者は「怒るし、人の話を聞かない」という人が多いらしいです。

テストステロン驚異の作用

かくして、探しに探しまわってようやくたどりついた病院でおじさんは怒られた訳ですが、「せっかく来たんだから、1本だけ」と注射はしてもらえました。「言うとくけど1本だけやで!」と何度か念を押された後で。

ホルモン注射はたいてい筋肉注射です。おじさんもこのとき以来ずっと筋肉注射してもらっています。ホルモン注射って、ほんとうにちょびっとの薬剤を注射するだけなんですが、第二次性徴という劇的な身体の変化を引き起こす性ホルモンの量は僅か切手1枚分だと言いますから、ほんのちょびっとでも大きな効果はあるのです。だからこそ気軽に身体に入れてはいけない訳です。

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おじさん、当時は会社が引けてから短時間のアルバイトをしていましてね、そのアルバイトというのは宅配便の仕分け作業だったんです。注射してもらった翌日はそのアルバイトに行く日だったので、会社が引けた後に仕分けてたんですが、ふと、荷物を掴んだ自分の手が目に入って、そのときはじめて気づいたんです。

荷物の仕分けだけど暖かい季節だったので、おじさんは軍手を着けずに素手で作業していました。仕分ける棚の上に荷物を上げた自分の手の甲の、肌理がものすごく粗くなっていたんです。昨夜見た自分の手とはまったく違う、肌の質感。別人の手を見るようでした。

それまで特に感じたこともなかったのですが、当時のおじさんはまだおじさんじゃなくて若かったし女性型の身体でもあったので、肌がつるつるのすべすべだったんですね。20年以上毎日毎日見てきた自分の身体なので特別なことに思いませんでしたが、仕分けのときに見たまるで別人の手を思うと、あれは特別なことだったんだなあ。

手の甲に顔を近づけて目を近づけて、よーく見ると皮膚の表面に細ーーーい筋が編目のように走ってるでしょう? 当時のおじさんの手の甲は、ほんとうに手を額にくっつけるくらいに目に近づけないと、その編目が見えなかったんです。

それが、バレーボールでトスを上げたくらいの距離から、はっきりと目視できて、だからびっくりしたんです。何なら「手相が手の甲に移ったか」と思ったくらいに。

注射した日、つまりびっくりした前の日も、会社が引けてから病院に行ったので、びっくりしたのは注射をしてからちょうど24時間くらいです。ほんのちょびっとの薬を注射してからたった一晩経っただけで、こんなに明らかな変化が現れるんです。性ホルモン剤恐るべし。

性ホルモン注射の実体

注射したのは「エナルモンデポー」という薬で、量は250mg。人の手の小指くらいの小さなアンプルに入った薬剤です。ごくごくちょーかんたんに言うと、テストステロン(男性ホルモン)をデポー剤に溶かしたものです。

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デポー剤は持効性注射剤とも言いまして、これに混ぜて注射すると、薬はじわじわーっと時間をかけて効いていきます。男性ホルモンは代謝されやすくて、それだけを身体に入れると短時間で身体の中から消えてしまいます。

身体の中にとどまって長く効くようにデポー剤に混ぜる訳です。ちょっと調べてみるとエナルモンデポーにはごま油が使われているようです。注射すると身体がおいしくなりそう。

何となくおいしそうなホルモン剤を、ほんとにちょびっとだけ、筋肉注射してもらいました。油が混じっているので、上手に注射しないと身体に入るとき、とっても痛いです。

注射が痛くて厄介というのもそうなんですが、性ホルモン剤は一旦摂取をはじめたら、定期的に定量を摂取し続けないと、体調を崩しやすいです。精神面で不調を来す人も少なくありません。「ホルモンバランスが云々」とたびたび耳にすることがあるでしょう? ホルモンバランスを乱すと心身両面にしんどいことが多いからです。行う人は充分に気をつけて。

かつて、筋肉注射はとっても痛かった

筋肉注射と言えば、佐々木倫子さんの『おたんこナース』第1巻の冒頭に収録されている「太モモに注射針」というエピソードが思い出されます。……おじさんヲタクだから。

このお話で「肩峰(肩の骨の端っこ)より三横指下に90度の角度で針を刺す」という筋肉注射のお作法(?)を知ったのでした。そうやって注射するのが一番痛くないんだって。

つまり、角度が90度じゃなかったり、肩峰のすぐ下に針を刺したり、お作法に沿わないやり方で注射するとかなり痛いってことです。そのほか、神経を狙って、ゆっくりと針を刺すととっても痛いらしいです(『おたんこナース』での似鳥さんの研究による)。

看護師は注射の手技を身につけていますが、みんなが上手という訳ではありません。中には筋肉注射が下手な看護師もいます。そういう人に当たると大変です。針を刺すだけで声が出るくらい痛いということも、ままあります。

おじさんははじめての注射から早や20年以上ホルモン注射を続けていますが、20年のうちの前半は、痛い看護師に当たっていました。

エナルモンデポーは、さっきちょっとお話ししたように油が混じっています。身体に入っていきづらい。だから、薬剤をゆっくり入れていかないと、とっても痛いです。

病院大繁盛で混雑しているときなどに行き当たるともう大変。急いでちゅーっと注射されてしまったりして、「でででででっ」て口が勝手に言うくらい痛いよ!

筋肉注射というものは痛いものだから、腕にすると翌日腕が上がらなくなる。尻は痛みを感じづらいし動くに差し支えないから、尻にしましょう。おじさんが注射をはじめた頃は、こういうことが言われていました。

だから痛い看護師のところに通っているときも尻に注射してもらっていましたが、それでも痛い! 針を刺すだけで口が勝手に暴言を吐くほど痛い。薬剤が入ってくるとさらに痛い。当時は注射の後はよく揉んでくださいと言われていましたが、揉んでも歩くのに難儀するくらいに痛いときもありました。

あれから幾星霜。

20年もあれば医療器具も進化する訳で、注射針も年々「痛くない針」になってきているようです。それに加えて、おじさんが現在お世話になっている病院の看護師は、どの人も注射が上手です。あんまり痛くない人からまったく痛くない人まで。

まったく痛くない人は針を刺したのもわからないくらい。器具だけでなく、看護学校で教える技術も変わってきているのかな? いずれにせよ、「痛くない」というのはとっても有難いことです。