手術して、手術できなくて、また手術するよ
ごきげんよう、焼き餃子より水餃子の方が好きなおじさんです。
タイで受けた陰茎形成術の予後が悪いために国内の総合病院で手術を受けることになったおじさんですが、お腹に穴が開いちゃいました。その名は膀胱瘻。最初のうちはすごくひやひやしていました。今回はそのお話など。
3回目の告知ですが、おじさんTwitterのアカウントをつくりましたので、フォローしてね。このブログの更新情報を定期的に、そして不定期に近況などTweetしています。
こみ上げる尿意が痛い
尿道狭窄の手術というのは、尿道口から内視鏡を挿入して行うのだそうです。と言っても、手術というのは大抵そうなのですが、患者であるおじさんは全身麻酔ですっかり眠っていますので、何をどのようにしたのかは一切わかりません。
終わった後に執刀医であるK医師がおじさんの病室にやってきて「思っていたよりも大変なことになってたよ」と言いましたが、「大変なこと」とはいったいどのようなことなのかは教えてもらっていません。
こーゆーのはいちいち訊ねるべきなのですが、手術の後というのは消耗している上に下腹は鈍く痛いし口腔内は乾いているのに水は飲んじゃ駄目だし、尿道カテーテルが挿入されているのに「こみ上げる」尿意があって、そのために膀胱周辺が痛いし、訊ねていられないのです。
て訳でいまだに何がどう大変だったのか知らないままです。
予想では1時間半ほどで終わる予定だった手術が3時間ばかりかかったようですから、それだけ厄介だったのでしょう。
排尿ができなくなるまでに起こっていた「こみ上げて」きて「堪えられない」尿意がまたぞろ術後に出てきて、カテーテルが挿入されているので失禁の心配はないのですが、ぐぐーっと尿道が押し開かれるような感覚と下腹部の鈍痛が同時に現れて大変つらい。
また、それはやはり不意に来るので痛みに身構えることもできず、しばらく戦々恐々とせねばなりませんでした。
退院後、入院
術後3日間は手術した部分が化膿などしないよう、毎日1本ずつ抗生剤を点滴するのですが、それが終わると点滴も外れ、その翌々日には退院できます。金曜日に入院して次週の木曜日か金曜日には退院です。
退院時にはカテーテルも外してしまうので自前の尿道から排尿する訳ですが、術後すぐはさすがに太い尿線の排尿ができて、爽快でした。この頃は立位排尿も容易だったんですよ。
おじさんは基本的には排尿もすわってするのですが、外出時に軽装でかつ急ぐ場合は立位排尿していました。自宅では必ずすわります。掃除が大変だから。
目に見えないので「こまけーこと気にすんなよ」と思っている人も多いのですが、尿が便器にぶち当たって跳ね返る飛沫は、かなり高く、そして遠くへと跳ね返ります。揚げものを調理するときの油くらい跳ねます。
おじさんは公共施設の掃除をする仕事をしていたことがあるので、トイレの掃除の大変さはよーく知っています。仕事場の施設は一生懸命掃除しましたしそれも苦ではありませんでしたが、同じくらい自宅を掃除するかというと全然そんなことはないので、なるだけ汚したくないのです。
すわって排尿すると尿線の太さは確認しづらいのですが、立位でもしていましたので、これはしっかりと確認しています。うどんくらい太かったです。爽快に排尿もできるようになったので、膀胱瘻の管も抜いて、閉じてしまいました。
ところが。
一ト月経ち、二月経ち。尿線が次第に痩せていきます。主治医の病院に戻って間もなくまた膀胱鏡検査をして、再び総合病院へ行って、手術をすることになったのです。1回目の手術から2回目の手術までの間、僅か2箇月です。
手術不可、腹に穴
で。
詳細は割愛しますが、1回目とほぼ同じ手順で同じ手術を同じ病院でもう一度受けました。膀胱瘻ももう1回開けました。お腹に開けた穴が塞がったのにもう一度穴を開けたのです。手術したけどできなかったからです。
どーゆーことかってーと、手術は尿道口から内視鏡を挿入して行うのですが、内視鏡には「ガイドワイヤー」なるものがついています。細ーいワイヤーなのですが、ロボットアームのように操作できます。これを操作して狭くなった尿道を、要はこじ開ける訳です。
ガイドワイヤーというのは髪の毛一本ほどの隙間があれば通してしまえるものなのだそうですが、おじさんの2回目の手術では、その隙間すらなかったということです。
それほど狭くなった、というか、いよいよ塞がってしまったおじさんの尿道。まさに断裂です。これからどうなるの?ってーと、ガイドワイヤーでこじ開けられないなら、切開するしかないよね、ということです。
つー訳で、機会を改めて手術をしなければならないこととなりました。会陰部を切開して、尿道の途切れた一端ともう一端をつなぎ合せるという手術です。
ネイティヴ男性なら断裂した尿道を膀胱まで引っぱって接続してやればくっつくのですが、おじさんの尿道は腕の組織を使って形成した人工のものです。はたしてネイティブ男性と同じ術式で尿くっつくかどうか判らない、というのが執刀医のK医師の見立てです。
「性別適合手術に詳しい医師に相談して手術をお願いした方がいい、伝を頼って適任の医師を探します」とK医師は言っておられたけれども、はてさてどうなることやらやらやら。
尿道はふさがってしまっているけど、排尿ができないと大変困るというので、今回は取り敢えず膀胱瘻だけつくったおしまいとしたのでした。
DIBキャップをおすすめする!
膀胱瘻というのは、前回も少しお話ししましたが、へその下3cm辺りに膀胱まで貫通する8mm程度の穴を開けて、そこにバルーンカテーテルを挿し込んで留置するものです。尿道が塞がってしまっても、膀胱瘻に挿入したカテーテルから排尿できるのです。
カテーテルには上の写真のような黄色いキャップがつけてあって、排尿するときはこれを外して、カテーテルを便器の中に向けて放尿します。
このカテーテルは、普段は下着やズボンの腰の部分とお腹の間に挟んでおきます。排尿時はこれを引っぱり出せばいいのです。楽。ズボンの前を開けなくてもいいの。
上の写真の黄色いキャップのようなものを「プラグ」と呼びます。このプラグが、ときどき勝手に抜けやがるのです。これを「自然抜去」と言います。
すわった姿勢で仕事をしているときなんかにですね、何だかお腹の辺りが生温いなー、と思ったらプラグが抜けて中身が洩れ出していることがあるんです。中身って、膀胱の中身ね。つまり無自覚におしっこが洩れてる。
プラグの自然抜去ならそりゃ無自覚です。プラグやカテーテルにはおじさんの神経は通っていませんから。お腹周辺が濡れているのを自覚すると慌てて抜け落ちたプラグを探さなければなりません。栓をしないといつまでもおしっこが出てくるので。
プラグを見つけてカテーテルに挿し込んだら、濡れた服やら下着やらを替えなければなりません。替えたら洗濯もしなければなりません。あーめんどくさい。このプラグの自然抜去が、割りと頻繁に起こりやすいのです。
そこでDIBキャップです!
ちょっとお値段が張りますが、大変便利な優れものです。まず、プラグのようにかんたんには抜けません。排尿時も抜かなくていいのです。キャップ自体が開閉するようになっていて、排尿時はキャップの蓋部分を開けて放尿します。
▲こんな感じ。蓋部分は磁石でぴったり閉じられて、爪状の部分をきちんと引っかけておけば勝手に開くこともありません。黄色いプラグのときは、寝ている間に外れてしまうんじゃないかとひやひやしながら床に就いていましたが、DIBキャップなら安心です。
しかしおじさんの場合はDIBキャップに保険が効かなかったのと、お世話になっている病院では取り扱いがなかったために、自力かつ自費で買って使用しなければなりませんでした。
▼おじさんはあなたのクリックを待っている。
身体に管が何本も
ごきげんよう、毎日筋トレすると3日目に立ったまま眠ってしまうので隔日にしているおじさんです。
前回もおしらせしましたが、Twitterを開設しました。よかったらフォローしといてください。このブログの更新情報やら過去記事のご案内をTweetしています。
陰茎形成術を受けたはいいが、予後がすこぶるよろしくなくて、とうとう尿閉にまでいたったおじさんは、尿道狭窄(断裂)治療のため、入院することになりました。狭窄を手術で治すのです。今回はそのお話です。
泌尿器科で個人史…
おじさんが住んでいる街のには2つの大きな総合病院がありまして、そのうちの一方に入院しました。なぜそちらを選んだかというと、主治医がその病院出身でつながりがあるのと、その病院の泌尿器科部長は僅かながら性同一性障害の智識がある人だったのです。
陰茎形成、つまり人工の尿道をつくって、それを生まれ持った尿道に接続して長くする手術なんて、普通の泌尿器科では行いませんから、陰茎形成術について患者(素人)が医者に説明をしなければならないというみょーちきりんなことが起きてしまったりするのですが、それは免れた訳です。
手術の概要だけでも知った医者に診てもらえる方が、一から説明しないといけないよりはずっとましです。医者には医者なりの理解と治療への活かし方があるでしょうから。
しかし、その医者に――K医師としておきましょう、はじめてお会いしたときに「いつから?」と訊かれて、術後に排尿がスムースに出来なくなった話をはじめたら「違う、性別について、いつから……」と個人史を求められたのにはびっくらこきました。
性同一性障害の診断・治療の初っ端にですね、精神科のお医者に「個人史」(自分史)という、幼い頃から自分が考えていたことや性別についての認識・経験などを話したり、あるいはあらかじめ書面にしたものを渡したりするんです。それも診断の材料になったりするんですね。
だから、性別適合手術を望む人や済ませた人にはおなじみのものではあるんですが、よもや既に10年以上も診断済みで性別適合手術も戸籍上の性別訂正もすっかり済んだおじさんが、泌尿器科で個人史を求められるとは思ってもみなくて、びっくらこいた訳です。
個人史ってかんたんに話せるものではなくて、性同一性障害の診断・治療の際には、少なくとも3~4回はかかって聞き取り調査を受けることになります。かなり詳細に書面にして渡しても、それを見ながら診察の1回分は聞き取りに費やされます。
その経験があるので、かなりざっくりとした個人史をお話ししましたが、それは泌尿器科の治療にも尿道狭窄の手術にも何ら関係がないんですな、実は。
入念な準備とあっさり手術
総合病院の泌尿器科でも改めて膀胱鏡検査と、血液検査、心電図、心肺機能検査などをして、手術の日取りを決めました。金曜日です。3日後に手術です。
というのも、K医師の手術日が月曜日と決まっていて、その前日には入院していないといけないのですが、前日・前々日は日曜日と土曜日でお休みなので、金曜日のうちに入院しておいてくださいということなのです。
金曜日の夕食前に入院して、普通に食事して土曜日の夕食から術前食に変わって少しずつ食事から固形物が減っていきます。前夜に下剤を服み、当日の朝はさらに浣腸をします。お腹の中をすっからかんにして手術に臨むのです。
手術前は元気なのですが、手術室へはなぜか車椅子に乗せられて行きます。手術室に入るときに氏名・年令・これから受ける手術の理由(疾病名)を訊ねられるので、口頭で答えます。患者を取り違えないための手続きですね。
手術室へ入ると自力で手術台に上り、仰臥すると心電図つけられたり点滴のルート取られたりというのは、性別適合手術のときと同じです。点滴に麻酔剤が入るときに教えてくれるのは、タイではなかったかな。麻酔が入るとすぐに眠ってしまって起きたら手術が終わっているのも同じです。
麻酔から覚めたのは病室のベッドで、酸素マスクと心電図、点滴はついたままです。下腹部に鈍痛があって、尿道カテーテルがつながっていました。
実はおじさんの身体に挿さっているカテーテルは1本だけではなかったのです。
ボーコーロー
ちんちんの先から尿道経由で膀胱までバルーンカテーテルが挿入されています。そのほかに、へその下3cm辺りにも挿さっています。お腹に膀胱まで達する穴を開けて、そこにカテーテルを突っ込んであるのです。この穴を「膀胱瘻」と言います。ボーコーローです。ホイコーローとは違います。
膀胱瘻は、尿道経由で排尿できないときにお腹に開けて、そこから排尿するのです。バルーンカテーテルの尿道に挿し込まない方の一端は写真のようになっていて、黄色いキャップを外して下に向ければ排尿できます。
執刀医のK医師によるとおじさんの尿道は「思っていたよりも大変なことになっていた」そうで、「保険」として膀胱瘻はつくられたそうです。尿道の手術がうまくいっていなかったら膀胱瘻から排尿しましょう、ということです。
この膀胱瘻側のカテーテルにつけるキャップがQOLを左右するんですわ。
というお話を、次回はしましょうかの。ホッホッホ。
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また手術?!
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さて、陰茎形成術を終えて帰国したおじさんは、おしっこが止められなかったり出せなかったり、おしっこ関係のトラブルが絶えません。前回は膀胱鏡検査を受けたお話をしました。
今回は、それからのお話です。
ついに尿閉
膀胱鏡検査によって、手術で形成した尿道は取り敢えずきれいに治癒しつつあります、という診断を受けましたが、形成した尿道と生まれ持った尿道との境い目が、そこは術後の「縫い目」で傷やら縫合糸やらが混み合っていて、膀胱鏡を進めづらい状態。
という訳で、膀胱鏡は膀胱まで挿入して尿路の監察をする器具ですが、膀胱まで進められなかったのでした。つまり、形成した尿道と生まれつきのオリジナル尿道との境い目とそれより奥側(身体の内側)はどうなっているかわからないということです。
服薬しつつ経過観察……でしたが。
秋が過ぎ、冬になり、年末が迫るにつれ、どんどん排尿が難しくなっていきます。排便するときくらい力む必要があった排尿は、やがて便秘時の排便のように力まなくては排尿できなくなり、尿線は線ではなくなりました。
みなさん、排尿するとおしっこが放物線を描いて便器の中に落ちていくかと思いますが、それは滴が断続的に切れ間なく排出されていて、連なって線に見えているのです。とてもスムースに液体が排出されている状態です。
陰茎形成術を受けて帰国した年の12月。おじさんはぽた、ぽた……と雨だれのようにしか排尿できなくなってしまいました。しかも、かなり固い便を排出するように、血管が「ぷち」て言いそうなくらいに踏ん張って、その排尿の状態なのです。
顔が熱くなって息が切れるほど力んでおしっこを出そうとする訳ですが、力むと会陰部が痛い。身体の中は目に見えませんが、おしっこが狭いところを無理やりこじ開けて出ようとしているのだ、という感覚があります。
泌尿器科の主治医が、とうとう大きな病院への紹介状を書きました。「より詳しい検査をした上で、手術をしましょう」と。この日は12月28日。その年最後の診察日でした。
だから、大きな病院もその日で診察が終わり。検査してもらうにも年が明けてからしか診てもらえません。おしっこが出ないまま年越し……。
診断名は尿道狭窄。中年以降の男性にはよくある病気らしく、治療には保険も適用されます。手術はほぼ確定のようです。
排尿ができない年越し
「出ない」と言っても一滴も出ないのではなく、滴がぽた、ぽた、とではありますが、何とか出ることは出ているので、年明けまで自宅でいることはできました。その代わり、一旦尿意を覚えると1回のトイレは長くかかりました。一滴ずつしか出ないから。
6割~8割出てしまうと膀胱が張った感覚もきつくはなくなるので、「もういいか」て感じでトイレを終えてしまったりするのですが、そうすると、膀胱に残っている尿がじわ……じわ……て感じで洩れていくんですね。
1日かけておパンツが少しずつ少ーしずつ湿っていくの。「洩れてる」という感覚はないから、自覚がないと「何でおパンツ濡れてるのん?」て思うやつ。
おパンツが常時湿っているのは衛生上もよろしくないので、この頃はおむつ用の尿取りパッドをおパンツにくっつけて生活していました。「男性用尿パッド」という、生理用ナプキンくらいのサイズ感の、取り扱いがよりしやすいものがあると知るのは数年後のことです。
そして正月明け。
主治医からの紹介状を持って総合病院の泌尿器科に行くと、まず膀胱鏡検査。その後、採血、採尿、心電図など、手術のための検査。1日がかりで初診から術前検査まで済ませて、入院日決定。手術ですよー。
尿道がずれている
診断名は尿道狭窄なのですが、総合病院での膀胱鏡検査によると、「狭窄」と言うよりは「断裂」だそうです。
主治医の膀胱鏡検査を受けたのが、陰茎形成術から3~4箇月後。総合病院に行ったのが8箇月後。4~5箇月の間に手術した尿道内部も落ち着いていて、膀胱鏡は膀胱まで通すことができました。その検査の結果が尿道断裂だったのです。
尿道を復習してみましょう。下図はネイティブ男性の尿道周辺図。
おじさんの場合は赤い破線からちんちん側が手術で形成した部分、身体の本体側が生まれ持ったオリジナルの部分です。通常こんな状態なのですが、術後3~4箇月辺りからおじさんの尿道は形成した部分とオリジナルの部分が少しずつずれはじめていたんですね。
形成した尿道の端とオリジナルの尿道の端がそれぞれ細くなって(狭窄して)、排尿しづらくなっていました。「おしっこが出ない」状態です。出ないから思いっきり力んで出そうとしていました。そうすると狭窄した部分に圧力がかかります。
圧力がかかって尿道が広がれば尿が出たのですが、広がらなかったので尿道の別の部分が広がってしまいました。そこが憩室っぽく空洞になっていて、尿が一旦そこにたまってから出るようになっています。
排尿しても全部出し切るのがちょっと難しくなっていて、空洞部分に残っている尿が少ーしずつ洩れ出してくるんじゃないか、という担当医のお話。ほえー。狭窄も憩室も治るんかいな。
とにかく、入院と手術が決まりました。入院は1週間ほどだそうです。手術の次第は次回のお話。
▼クリック for おじさん。
出たり出なかったり
ごきげんよう、いまだにリリー・フランキーさんと吉田鋼太郎さんを見分けられないおじさんです。
性別適合手術でちんちんをつくったはいいけど、排尿のコントロールが利かなくなってしまった、というお話を前回までしていました。おじさん大ピンチです。
しかしピンチはこれで終わりでは全然なかった。次に何が起こるのか。続きをどうぞ。
いつ出てしまうかわからない生活
尿意が来たら慌ててトイレに走りつつ、ダイレーションのカテーテルを尿道から抜き取らねばならない毎日を過ごすおじさん。それは昼夜を問いません。
眠っていても尿意を感じたら「うーん、眠いから朝まで我慢する……(ムニャムニャ)」とか言ってる場合じゃない。早く便器の前に立たねばその場で全部出てしまうのだから。
床は濡らしても布団を濡らす訳にはいきません。何しろ換えがない。眠るのもひやひやものです。おじさんはうつ病由来の不眠があって、以前からあんまり深く眠れない人でしたが、さらによく寝られない生活になりました。
ひやひやしながら寝なければならないのも厭なので、暑い季節には布団を敷かずに寝るようになりました。当時住んでいた部屋は畳敷きだったので、畳の上に直接寝てました。畳も濡れるのはよくありませんが、布団が濡れるよりはましかな、と思って。
尿意ってだいたい段階がありますよね。
- うーん? おしっこしたい? かな?
- おしっこしたいかも。
- おしっこしたいな。
- 早くトイレに行きたい。
- 早くトイレに行かねば!
- そろそろヤバい。
- かなりヤバい。
- ちょーヤバい!
- もー限界!
おじさんの場合はこんな感じかな? 「おしっこしたい」と思いはじめてから「もー限界!」まで、だいぶ間があるんですよ。通常は。「もー限界!」を突破すると洩れる訳です。
通常は尿道括約筋を制御することで「ぎゅっと締めて」我慢して、我慢できている間にトイレに駆け込んでことなきを得る訳ですが、この時期のおじさんは「おしっこしたい……かな?」と感じた途端に「ぐーっとこみ上げてきて」、「ぎゅっと締め」ているつもりなのだけど実際は締まってなくて、溢れ出してしまっていたのです。
自分で自分の身体を制御できない。つい先日まで無意識にやっていたことが意識してもできない。この絶望感がわかりますか。老いてから自身で感じる惨めさって、これなんですよ。
デヴ復活
手術を終えて帰国した後も持病のうつはあまり状態がよろしくなかったのですが、この排尿障碍によって余計に調子が整わなくなっていました。そのせいか、まともに食事ができなくて、食べられるものはなぜかポリコーンだけ。ほかのものはほぼ喉を通らない状態。
ポリコーンてのはポップコーンとは違って、ジャイアントコーン(という種類の、粒が大きなとうもろこし)でつくったポン菓子みたいなやつです。甘いやつ。
……て、若いみなさんは「ポン菓子」って知らないか。そっかー。
▲ポン菓子 製造の様子【注意:大きな音が出ます】このポン菓子の材料は米です。
ポリコーンしか食べられなかったのに、ストレスからか過食症状が出ていまして、外出もできずに1日中ポリコーンを食べているという毎日でした。そしたら、1箇月で30kg増えました。びっくりするよね( ゚д゚ )
3度目の渡航前に、おじさんは病院からの指示でBMI25以下になるように減量しました。このブログでもお話ししましたね。その際にぎりぎり60kgを切るくらいまで落としたのですが、帰国してから90kgに成長しました。
おじさん身長は低いです。それなのに90kgもあるところんころんです。トイレで尻を拭くのがちょっと難しくなりました(まだ拭ける)。
そのほかにも足の爪を切りづらくなるとか、自分の世話を焼くのがいろいろと難しくなってくるし、内蔵や関節への負担も大きくなるので、みなさんはおじさんのように過剰に肥らないよう気をつけてください。
今度は出ない
春に陰茎形成術を受けて、初夏に帰国。腕の傷ぱっくりやら尻の巨大な水ぶくれにおののいているうちに排尿障害が起きて、おしっこだだ洩れの危険とせめぎ合いながら夏が過ぎ、秋を迎えた辺りに、次の異変が起きます。
排尿できない。おしっこを出そうとしても出ない。
みなさん排尿というのは意識してやっていないと思いますが、自分がやるときのことをちょっと思い出してみてください。尿道周辺の筋肉からちょっと緊張を解くような、緩めるような感じにして、下腹にすこーし力を入れるとおしっこが出てきますよね。
この手続きを取っても出てこなくなったのです。
じゃ、だだ洩れの心配はなくなったかってーと、んなこたーない。不意に尿意が来て出ちゃうことはある。だから紙おむつは手放せない。「こみ上げてこない尿意」というのも起きるようになって、そのときはトイレに行って出そうと努力する訳ですが、出ない。
がんばって力むと出る。ちょうど排便するときの感じです。あれくらいお腹に力を込めないと排尿できない。尿線はさらに細くなって、そうめんくらい。ちょろちょろー、って感じですね。
泌尿器科で相談すると、膀胱の緊張を緩める薬と、尿道が広がりやすくなる薬を処方してくれました。しばらく服みましたが症状の改善が見られず、同じ効用の別の薬を服んでみたりもしましたが、劇的な改善はなし。
手術でつくった尿道がおかしくなってんじゃね?てことで内視鏡検査もしてくれました。ちんちんの先から細ーい管を膀胱まで挿し込む検査です。細ーい胃カメラみたいなものと思ってもらえるといいのかな。この器具は膀胱鏡と言います。
膀胱鏡検査
下半身すっぽんぽんになって、分娩台みたいな開脚診台にすわって砕石位を取ります。股間周辺を消毒して、尿道口から麻酔剤を注入。尿道に管を突っ込むと痛いからね。痛くないように軽い麻酔をします。
麻酔が効いてきたら、生理食塩水を注入しつつ、膀胱鏡を挿入します。尿道の中を異物が通るのが何となくわかります。上手なお医者がやるとあまり痛くないのですが、乱暴なお医者もときどきいます。ひー ((( ;゚Д゚)))
おじさんが診てもらっている泌尿器科では、開脚診台の隣りにモニタを置いてくれていて、患者も見ることができます。赤くて暗いトンネルの中をカメラが進んで行くのですが、毛が生えています。尿道の中に毛が生えてるのです。
最初の記事から順番にこのブログをお読みくださったみなさんはおわかりのことですが、おじさんのちんちんはおじさんの左腕の内側の組織でできています。皮膚と筋肉とを切り取ったものを「皮弁」と言いますが、内腕から皮弁を取って、ちんちんを形成しました。
だから尿道にも毛穴があって、体毛が生えている訳です。検査してくれた主治医曰く「将来、尿道の中に毛玉ができるかもね」。
えー、毛玉で尿道が詰まっておしっこ出なくなっちゃったりするの?とか考えて怖くなりましたが、術後7年経った現在(2020年)、まだそんなことにはなっていません。
で。そろそろとカメラは進んで行くのですが、ちょうど形成した尿道とおじさんが持って生まれてきたオリジナルの尿道との接続部辺りで、カメラは進めなくなりました。
継ぎ目がまっすぐではなく、縫合痕がはっきりしていて、まだ縫合糸が見えている。カメラを突っ込むと縫ったところが破れてしまうかもしれないから、ここまでにしとくね。という主治医のご意見。
て訳で膀胱鏡検査はそこまで。「手術でつくった部分はきれいにできてます」と主治医は言っていましたが、そこから奥の部分はどうなっているかはわからず。取り敢えず「おしっこは出るはず」という見立てです。うーん?
さらに難関
おあー、ずいぶん長文になったのに検査までしか書いてない!
この後! この後おじさんはさらにヒサンなことになるんですよ。だからね、おじさんは「ちんちんつくる手術を受けたい」て言う人には「やめときな?」て言うようにしてるんですよ。何を言われたってほんとに手術が必要な人は受けちゃうんだけどね。
という訳で、泌尿器周りのヒサンなお話はまだまだ続きます。
▼おじさんのためにやさしくクリック。
おしっこ問題勃発
ごきげんよう、缶ジュース1本80円時代を知っているおじさんです。
本ブログ冒頭からずっと、性別適合手術のお話をしています。都合4回の手術が終わってほっとしたかと思いきや、ほっとしている暇なんてないんですな。術後の方が何かとトラブルが起きます。
一番の難関だった泌尿器周り、つまり手術で形成したちんちん周辺も、複雑で大きな手術だけにケアは大変だしトラブルも起こりやすいです。
さて、手術が終わって帰国したおじさんにもトラブルが発生しまして……。
痩せる尿線
術創の予後がよくなくて病院通いのおじさんにトラブルがたたみかけます。排尿時に熱感を伴う痛みが発生するようになり、尿線が次第に細くなっていきます。
「尿線」て聞き慣れない言葉かもしれませんね。おしっこって滴が点々と出るんじゃなくて、線状に連なってでるでしょう? そのおしっこの線を「尿線」と言います。尿線が太いと、たくさんの尿がスムーズに出ているということです。
おじさんはこの尿線が細ーくなってきたのです。うーん、もともとが細うどんくらいだったのが、冷や麦くらいになった感じ? つまり、おしっこの通り道や出口が狭くなって、少しずつしか出てないということです。
タイでの手術を終えて帰国して、おじさんはホルモン注射を再開しました。ホルモン注射を泌尿器科でしてもらっているので、そこのお医者先生にこの旨を相談したところ、「膀胱炎です」とのこと。抗生剤をもらって1週間ほど服むことに。
そうしましたら、熱感を伴った痛みはなくなり、尿線も、もと通りにはなりませんでしたが、ある程度太さも戻りました。治ったなー、よかったなと思っていたのですが、この後に大事件が起こります。
out of conrol
ある日中、尿意を感じたのでトイレに向かいました。大人になると、たいていの尿意は堪えきれるものです。
尿意を感じると、股間の尿道近辺の筋肉を意識して締めることで、かなり我慢が利きますよね。締めるだけでは保ちそうにないときは足踏みしてみるともう少し我慢できます。そうしているうちにトイレに辿りついて、ことなきを得るものです。
この日のおじさんの尿意は違いました。
「あ、おしっこしたい」と感じた瞬間に腹の下の方からぐーっとこみ上げるものがあって、トイレまで移動している間に溢れ出してきたのです。おしっこです。もちろん、尿道近辺をぎゅっと締めるということはやっていました。
しかし、意識的に締めているのに、意識とは裏腹に筋肉が動いていない(ような感覚)で、さらに締めてみてもやっぱり締まらなくて、どんどん溢れてしまいます。
膀胱にあるだけ出てしまうまで、おしっこは止まりませんでした。
呆然としました。こんなことがあるのかと。このときのおじさんは、厄年を過ぎたところ。確かにそろそろ締まりが悪くなってくる年令ではありますが、こんなに一気に締まらなくならないだろ、と些か戸惑いもしました。自分の意志で堪えることも止めることもまったくできないのです。
しかも、これには再現性がありました。尿意を感じた途端に津波のように身体の奥からこみ上げてきて、堪える間もなく尿が溢れ出してしまって出尽くすまで止めることができないという現象は、尿意のたびに起きたのでした。
先にお話しした通り、おじさんはこのときダイレーションをしていました。ちんちんにシリコンの管を常に挿し込んでいたのです。これを抜き去る間もなくおしっこは出てしまって、はいているものはもちろん、床も脚もそのたびに濡れてしまいます。
もちろん、泌尿科の主治医に相談しました。急に来る尿意、トイレに行きつくまで堪えきれないなど、過活動膀胱と似た症状なので、そのための薬を処方してもらって服んでいました。しかし改善される気配はありませんでした。
しかたがないので、紙おむつを常用するようになりました。突然に尿意が押し寄せてきて出てしまっても、2~3回は何とかなります。有難いなあ紙おむつ。
紙おむつを自分で買ったことがない人はご存じないかと思いますが、紙おむつは着用者の身体のサイズだけではなく、吸収量でも種類分けされています。
「3回分」とか「7回分」とかパッケージに書いてあるものが多いです。「おしっこ3回分」とか、そんな意味です。「20cc」とか液体の量を表示しているものもありますが、回数で言ってもらった方がわかりやすい気がしますね。
過活動膀胱や尿洩れって、年老いて身体機能が衰えることだけが理由ではなくて、若くても起こる病気です。以前にもお話ししましたように、泌尿器系の病気はバカにされたり笑われたりが多いんですが、平和な日常生活を脅かし、生命の危険もあるものです。ゆめゆめ笑うなかれ。
そして、過活動膀胱などの排尿障碍があっても外出やおしゃれを諦めたくない人のために、できるだけ快適に過ごすために、こういうものも販売されています。
ローライズ紙おむつです。排尿障碍がある人にもローライズはきたいって人はいるでしょう。そういう人はこれを利用するといいです。病気や障碍があっても人生楽しく過ごしたいよね。
紙おむつには男性用と女性用があります。身体のかたちやサイズが違うというのも理由のひとつですが、最大の理由は尿道口の位置でしょうな。おしっこが出る場所が違うの。
女性は身体の真下に近いところから出るけど、男性は身体のもっと前側と言うか上の位置から出る。紙おむつの吸収体もその辺りに重点的に配置しないといけないんだね。
排尿障碍の進行
紙おむつを常用する日常がはじまりました。「3回分」をいつもはいて、外出時にはさらに尿取りパッドをつけました。そうすると、買いものや病院に行くぐらいのことはできました。換えの紙おむつも1枚、鞄に入れて常時携行です。
尿取りパッドというのは紙おむつにつけて、紙おむつをすぐに駄目にしてしまわないためのもので、生理用ナプキン(夜用)の親玉みたいなやつです。大きくて厚い。
ホルモン注射や内性器摘出術を受けて、ようやく生理がなくなってナプキンが必要なくなったのに、またこういうものを股に当てる生活をしなければならないのかと考えると「とほほ」でした。
遠方へ遊びに出るなどはおしっこの心配があるのでとてもできません。出掛けるなら予備の紙おむつとはきかえられる場所を確保しないと安心して行くことができません。おじさんはもともとインドアで、1週間くらい自宅の外に出ないってこともあるくらいだから全然平気だったけど。
だけどね、紙おむつ代って結構馬鹿にならないのね。手続きすれば保険が効くようになるらしいんだけど、おじさんは手続きするに至りませんでした。この後、紙おむつが必要ですらなくなる事態になるからです。
何が起きるの? それは次回以降で。
▼クリッククリッククリッククリッククリッククリック(怖)
ちんちんもケアする
ごきげんよう、ときどき過集中で時間がわからなくなるおじさんです。
タイで陰茎形成術を受けて、帰国した後のトラブルを書いて参りました。皮弁を切り取った後の腕の傷がまだぱっくり開いていたのは、ほんとうにびっくりしたなあ。
びっくりしたんだけど、持病のうつが結構悪い状態だったので、すぐには適切な処置ができなくてああん(´Д`)てお話でした。
それ以外の部分は何もしなくてよかったかってーと、そんなこたーない。というのが今回のお話です。
患部は清潔に
傷がある部分というのはとにかく清潔に保っておかなければなりません。だから可能ならば入浴もした方がいいです。うつがひどいと入浴って大変な重労働になるのですが(大袈裟に表現しているのではなく、ほんとうに大変)、このときのおじさんは何とかシャワーだけでもがんばっていました。
腕や尻の傷は、外科で防水シートを貼ってくれているので、できるだけ濡らさないようにして、さらに風呂上がりには水分をよく拭って、それだけで済みました。
さて、一番大事な部分は。
手術で形成した陰茎と陰嚢周辺ですね。ちんちんと玉袋です。皮弁を使ってちんちんを形成しましたが、それだけでなく、大陰唇を利用して玉袋も「それらしく」形成します。
手術で形成した陰茎の写真(術後約1年/無修正) 泌尿器ですが性器でもあります。 |
病院によって、あるいは希望によって、形成した玉袋の中にシリコンの球体(睾丸を模したもの)を入れることもあるようですが、おじさんはその手術はしませんでした。そして、その奥、大陰唇の間には膣があった訳ですが、それは粘膜を外して塞ぐ手術が施されております。
しかしですね、ネイティブ男性の会陰部(睾丸と肛門の間の部分)みたいにつるんとなるわけではありません。ちんちんの付け根の後ろ側が2つに分かれてそれぞれが玉袋になって、その間はちょっとくぼんでいます。指の第一関節までが入るくらいのくぼみ。
で。
それらの部分というのは、手術で切ったり縫ったりして作られているので、ほぼ縫い目です。縫合糸は溶けて人体に吸収されるやつらしくて抜糸らしい抜糸をした憶えはないんですが、タイ滞在中から患部の消毒はずっとしていました。
風呂でやさしく洗浄した後、水分をよく拭き取って、充分に乾燥させます。おまたというのは大変蒸れやすい場所ですので、可能な限り乾燥状態を保てるようにせねば、傷にもよくありません。
という訳で、タイ滞在中は屋外を移動するとき以外はずっとノーパンで過ごしていました。半裸(下半身の方が裸)です。消毒液やら滲出液やら出血やらでソファやベッドなどが汚れないよう、常に尻の下にはトイレシートを敷いていました。
さすがに帰国後は、おパンツもズボンもはいていましたが、入浴後は股を広げてすわってうちわで煽いだり扇風機で風を当てたりして乾かしてから衣服を着けました。
さて、その前に。
風呂上がり、お股を乾かしたらおパンツをはく前に、消毒しなければならないのです。帰国後1箇月くらいは消毒を続けていたかな? 病院で処方された赤チンみたいな消毒液を脱脂綿に染み込ませて、その脱脂綿でちんちんやら鼠径部やら玉袋やらを拭います。
こう言うと割りと簡単に思えますが、ちょっと時間がかかる作業です。ちんちんは視線を下げれば見えますが、会陰部って鏡を使っても見るのが難しいんですよ。
柔軟体操するときみたいに両脚を大きく広げて後傾した姿勢を取って(骨盤を後傾させないと会陰部が見えない)、その前に鏡を立てて、鏡越しに見ながら患部を拭うのです。結構、時間と手間を食う作業です。
ダイレーション
前の項でお話しした消毒は、日に1回で済みます。期間も短い。しかし、ダイレーションは術後少なくとも半年は続けなければなりません。
入院中のお話でも少しふれましたが、ダイレーションというのは、手術でつくった尿道が塞がってしまわないように、尿道にカテーテルを留置しておくことです。つまり、ちんちんにシリコンの棒を常に挿しておくってことです。
▲ダイレーションの道具
前にもこのたとえはお話ししたかと思いますが、ピアス穴と同じです。
ピアス穴を開けたらしばらくは消毒しつつピアスをつけっ放しにしていないと、せっかく開けた穴が塞がってしまいますね。傷が落ち着くまでは消毒とピアス装着は続けなければなりません。
同じように手術で形成した尿道も、落ち着くまでは清潔を保ちつつ棒(カテーテル)を挿し込んでおかないと塞がってしまうのです。尿道が塞がると排尿できません。排尿できないと、おしっこが出なくて苦しいだけでなく、生命に影響します。
という訳で、ダイレーションをしなければならないのです。
ダイレーションの手順
ダイレーションに使用するのは、長さ15cmに切った尿道カテーテルです。導尿用のネラトンカテーテルではなく、膀胱に留置するバルーンカテーテルの先端15cmを使います。バルーンカテーテルの画像は下記wikipediaの記事で確認してね。
長いカテーテルを短く切って、これを生理食塩水などで洗浄して、尿道口つまりちんちんの先からゆっくり挿し込んでいきます。そのままだと入りにくいので、潤滑用のジェルをつけます。
カテーテルには糸が括りつけておきます。糸の位置は先端から13cmのところ。13cmというのは、形成してつくった尿道の長さです。生まれ持ったオリジナルの尿道は除いた長さです。
カテーテルの長さは、病院指示です。15cmに切って13cmのところに糸を結わえて糸の部分まで挿し込みなさい、という指導がありました。糸は、医療用のサージカルテープなどでちんちんに貼りつけておきます。そうしておくと、勝手に抜けてしまうことがありません。
常にカテーテルを尿道に挿しておきます。これを「留置する」と言うのですが、排尿時つまりおしっこするときと入浴時以外は、ずっと留置しておきます。入浴時はちんちんをしっかり洗浄するために外します。
尿意を感じた場合はカテーテルを外してトイレに行きます。トイレに行ってからカテーテルを外してももちろんOKですが、おじさんが当時住んでいたマンションは手洗いをするシンクとトイレとが少し離れていたので、手洗い場で外してからトイレに入っていました。
おしっこが済んだら、カテーテルを洗ってジェルをつけて、ちんちんに挿し込み直します。カテーテルに括った糸をテープでちんちんに留めるのを忘れないようにしないといけません。テープで留めておかないと、立ったりすわったり歩いたりしているうちに、カテーテルが少しずつ抜けてきます。
カテーテルは1日使ったら、消毒済みのカテーテルと交換して、使った方は洗って消毒します。消毒は下の過去記事に書いた腕トンネルのときと同じ方法で構いません。
やってることは腕トンネルのときと同じです。カテーテルを挿し込む場所が腕からちんちんに変わっただけです。
尿道トラブル発生
上に書いたようなケアをしながら術後を過ごすのですが、既にみなさんお気づきの通り、術後は順調とは言えません。
腕と尻は3日に1回くらい病院で診てもらわないといけないし、お股の消毒は手間だし、ダイレーションしているのでトイレはもたもたするし。カテーテルは排尿時だけでなく排便時も外さないと、カテーテル越しにおしっこが出ちゃうこともあります。
さらには、何度も言ってしまいますがおじさんは うつ病持ちで、このとき状態がとてもよくなかったのです。精神科の主治医に診てもらって薬を再開してはいたのですが、以前服んでいた薬を以前と同じ分量服めば以前と同様の状態になるかというと、そうでもないのが精神疾患のややこしいところです。
おじさんのうつは主に身体症状が出るのですが、睡眠障碍や摂食障碍も併発することが多いです。眠れなかったり、食べるのが止まらなかったりです。体調がよくない上に、うつ症状が強くて薬の調整もうまく行っていなくて、よく眠れていない訳です。
さらに。この上に。
排尿時に熱感がある痛みを感じるようになり、尿線がだんだん細くなってくるのです。またもや襲い来る危機。おじさんに何が起こったのか。乞う次巻!
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かさぶたがらがら
ごきげんよう、鶏肉はももよりもむね肉のほうが好きなおじさんです。フライドチキンならキール。
さて、前回の当ブログをお読みくださったみなさんは、「えらいことになってるなー」とお思いだったのではないでしょうか。えらいことなんです。タイで手術した患部もえらいことなんですが、おじさんの持病もえらいことなので、もーさっぱわやです。
左腕の術創が塞がってなかったのに包帯を取っちゃって、岩のようなかさぶたができてしまったおじさんは、その後どうなるのか。今回のお話はその続きからです。
性同一性障害の当事者が病院へ行くこと
ごつごつとしたかさぶたができて、しばらく経ってからようやくのことで、近所の総合病院へ出掛けたおじさんは、そこの老外科医に腕を見せました。
おじさんの場合は「性別適合手術を受けた」ということを他者に告げるのを特に避けてはいないので、お医者に「これ、どうしたの?」と聞かれたら「性別適合手術で皮弁を採取した後で……」という説明をしました。
性別適合手術を受ける人の中には「性別適合手術を受けた」とは誰にも言いたくない人もいます。そういう人は、おじさんみたいなことになるととっても困るんだろうなと思います。
性同一性障害の当事者であること、性別適合手術を受けたこと、出生時に割り当てられた性別など、一切言いたくなくて、病気になっても病院で診てもらわずに、最後は癌で亡くなった人も、実際にいます。当事者の間では結構有名な悲しい話です。
そういうことがないように、医療者の知識を増やして人権感覚を養うこと、保険証の性別表記に工夫することなど1990年代から少ーーーしずつ改善されてきまして、現在では性同一性障害やトランスジェンダーの人たちが病院へ行けずに亡くなってしまうという事例は少なくなって……るのかな?
おじさんは性同一性障害の当事者だということを、わざわざ自分から言ってまわるようなことはしませんが、特に隠してもいないので、言う必要があるときは平気で言えます。
おじさんが性別適合手術を受けた頃は、そろそろ専門医以外の医療者の間でも「性同一性障害」という疾病の取り扱いについて少しは広まっていたので、老外科医に受診したときも特に驚かれることもなく、「あーそー」て感じですぐに腕の治療の取り掛かってもらえました。
がらがらがら
さあ、この広範囲にはびこるごつごつと岩のようなかさぶたをどうするかというと。
少しずつ割りながらそっとはがしていきます。
ひとかたまりを一気に外そうとすると、また傷がぱっくりしちゃうので、かたまりになったかさぶたをピンセットでコツコツと叩いて小さく割って、やさしく外していくのです。
内腕の親指の下の傷が、全長10cmと少しくらい。ぱっくりしてしまってその後かさぶたができたのが5cmくらい。かさぶたの厚みが、でこぼこしてたけど一番厚いところで1cm近くあったんじゃないかな。結構ごっつい。
それをピンセットの先でコツコツ……と叩いて砕きながら、破片を取り除いていくという地道な作業を、老外科医は立ったまま長時間してくれました。おじさんは椅子にすわって採血台に腕を乗せて、そっぽ向いてました。だって傷見るの怖かったんだもん。
外したかさぶたは銀色の盆に入れられて、がらん、がらんと音を立てました。何かね、外したかさぶたって、軽石みたいなの。軽石の欠片ががらがらがらって。
30分くらいかかって、老外科医はかさぶたを全部はがしてくれました。はがした後は、抗生剤らしい軟膏を「盛って」、その上を、前回の当ブログでお話ししました尻の治療のときに登場した絆創膏で覆うように貼って、防水シートで保護して、おしまい。
腕のその後
3日に1回くらい通院して、絆創膏をはがして、抗生剤の軟膏を傷に盛って(「塗る」と言うよりたっぷりと「盛る」感じ)、新しい絆創膏を貼って防水シートを被せるという治療をしてもらいます。これが一ト月半くらい続いたのだったかな。
防水シートを被せてもらってはいますが、できるだけ濡らさないようにしないといけないので、やっぱり入浴は難しいです。
この写真は術後7年経っていて、傷もずいぶんきれいになっています。手術間もなくはもっと赤っぽくて生々しかった。でもケアすればもっときれいになっていたかも。おじさんは途中で面倒になってケアをやめてしまいました。
術後すぐは動かなかった手指もリハビリを続けたので、術後一ト月くらいでペットボトルのキャップも開けられるようになり、1年後くらいには10kgのダンベルを使ったアームカールもできるようになりました。
でも、手首の脈を見る辺りにものが当たると拇指球(手掌の親指周辺の厚みがあるところ)辺りに痺れとちょっとした痛みがあります。手術のときに神経をさわってしまったのかな。
だから、腕時計やブレスレットなどはつけられません。腕時計が必要なときは右腕につけています。あと、病院で採血するときに、以前はずっと左腕から採ってもらってたのですが、やりにくそうなので右腕を出すようになりました。どっちにしても、おじさんは血管が見えにくい人なのですが。
腕だけじゃない
前回お話しした尻の傷も、今回お話しした腕の傷も、どちらもキズパワーパッドみたいな保湿する絆創膏を傷に貼りました。
前回ちらっとお話ししましたように、おじさんが幼い頃はかさぶたをつくって、かさぶたがはがれたら傷は完治、みたいな考え方が巷にはありました。怪我をしたら水洗いか消毒液で消毒して、ちょいちょいと薬をつけて、おしまい。
おじさんが怪我を一番たくさんした頃、就学前から小学3年生くらいまでかな? その頃はそんな風に傷の治療をしていました。乾燥状態を保つようにしていたのですね。
しかし、現代医療では「湿潤療法」が標準なのです。
消毒しないのですね。そして、キズパワーパッドのようなハイドロコロイドなどの被覆材で傷を覆って、乾燥させないようにすることで治癒を促すとのことです。
そんなわけで腕も尻もハイドロコロイド絆創膏を貼っていたのですが、尻は水疱ができては破れてなので、絆創膏が浸出液を吸い込んで重くなったりしました。多い日の生理用ナプキンみたいな。
面倒なことにはなりましたが、それでも診てもらえる病院が自宅から歩いて行ける範囲にあったのは幸運であったと言えます。これほど近くになければ、うつの病状が芳しくなかったおじさんは、まだ病院へ行っていなかったかもしれません。
3日に1回程度、週に2回程度のペースで病院へ1ヶ月半ほど通って、ようやく傷が塞がりました。その間、腕と尻の傷にだけ気をつけていればよかったかというと、そうではなかった。性別適合手術でもっとも複雑な手術を施した部分、外陰部のケアもしなくてはいけないのです。
という訳で、次回は外陰部のお話から。外陰部ですから、みなさんが好きなちんちん周りのお話です。お楽しみに!
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3度目の帰国の後
ごきげんよう、コレステロール値は標準値なのに中性脂肪だけがやたら高い数値のためにローカーボ生活を余儀なくされているおじさんです。ローカーボでも痩せない。
タイでの3回の手術が済んで、ようやくおじさんの性別適合手術は終わりました。乳房切除術(おっぱいを切り取る)から数えると、ブランクが長かったのもあって、15年ほどかかりました。
戸籍上の性別訂正の話を挟んで、今回からは帰国後のお話です。陰茎形成術(ちんちんをつくる)が終わって帰国したおじさんは、どんな予後を過ごしたのか。これが大変だったのよ、というお話をして参りましょう。
手術をした箇所
3度目の渡タイでおじさんが受けた手術のメインは陰茎形成、つまりちんちんをつくる手術でした。ちんちんをつくるためには、切ったり縫ったりするのは性器だけでは済まないのです。
2度目の渡タイのお話をお読みくださったみなさんは既にご存じの通り、ちんちんの材料は左前腕の内側から採取する皮弁です。腕の内側にトンネルを開けて、半年以上待って、それからその部分を切り取ってちんちんのかたちに形成するのでしたね。
▲陰茎形成術の前段階から陰茎形成術へ。内腕に開けたトンネルにカテーテルが入っている。
トンネルにはカテーテルを留置して塞がってしまわないようにしていたのでした。このトンネルが後に尿道になった訳です。
では、ちんちんの材料として皮弁が切り取られた跡地はどうなったでしょうか。
皮弁を切り取ってそのまま放ってはおけませんので、別の場所から皮膚をもらってきて貼りつけます。皮膚は尻からもらったのでした。
尻の皮膚は全部剥いでしまうのではなく、厚みの半分くらいをうすーく剥がして取るので、尻の皮膚がなくなることはありません。でも、薄くなった分、傷つきやすいです。
▲皮膚を取った後はこんな感じに傷になります。 この写真は術後1年くらい。
という訳で、腕と尻とちんちんに未治癒の傷を持ったままおじさんは帰国したのです。
座する生活で尻は
帰国したばかりは持病のうつもひどいのでぐったりしていましたが、帰国すぐに薬をもらって服みはじめたので、薬が合えば2週間くらいで動けるようにはなります。
実は帰国後のドラッグコントロールはあまりうまく行かなくて長い間不調ではあったのですが、起き上がれる限りは仕事はしないといけないてことで、おじさんの仕事場は自宅でしたので、仕事してました。
当時のおじさんの仕事環境はこうでした。
1日中、座布団の上で胡座をかいていて、そうでないのはトイレと風呂と寝るときだけ、という生活が毎日続きます。腕は帰国後2週間ほど経つまで包帯は取っちゃ駄目という指示がありましたので、入浴は濡らさないようにしつつのシャワーだけでした。
ただすわって毎日を過ごしていただけなのですが、尻に水疱ができるようになりました。水ぶくれです。水ぶくれなので、破れると滲出液が出ます。破れると、すっごくひりひりと痛みます。
でも、破れちゃったらそのうち治るだろう、とそのまま放置していました。するとまた水疱ができて、破れて、またできて、というのを何度か繰り返すうちに、水疱は大きくなっていきました。
すると滲出液も結構たくさん出るので「これはいかん」と、術後すぐの寂しい懐にはとても厳しかったのですが、少しお高い絆創膏、バンドエイドキズパワーパッド(大きめ)を買ってきて尻に貼りました。
前項の写真では患部は身体の側面に近いように見えますが、すわっていて水疱ができた部分は写真で見える赤くなった部分とは少し違って、尻の谷間に近い部分です。自分ではなかなか見られない場所なので、絆創膏を貼るのも一ト苦労。
これで何とかなるか、と期待していましたが、水疱はさらに大きくなって、破れるとおパンツがしっとり濡れてしまって着替えないといけないくらいに大量の滲出液が出るようになりました。それくらい大きくなると、破れた水疱の皮と尻の肌とが擦れる痛みも出てきました。
「これはいかん」と、ようやく近所の外科医へ走ります。
診察台にうつ伏せになり、尻を出しますと、お医者はまずは滲出液を拭ってくれました。患部に消毒液を塗布した上で、大きな水疱をすっかり覆えるくらいの大きな絆創膏を貼って、さらに防水シートで覆ってくれました。
大きな絆創膏。A3サイズくらいの絆創膏というのが、病院にはあるのですね。それを必要な大きさに切って使うのです。この絆創膏が、キズパワーパッドと同じように、滲出液を吸い取って傷を乾かさないようにしつつ治してくれます。
この傷のために、3日に1回くらい通院することになりました。治癒までに1箇月ほどかかったかな。
尻には水疱があってすわると痛いし、腕は大きな傷があるし、うつは調子よくないし、非常に気分が重い帰国後です。
腕ぱっくり
帰国後2週間後くらいの日にちを指定して、「その日までは包帯を取ってはいけません」と指示されていました。
じゃ、その日が過ぎたら包帯を取っていいんだ。
て思うよね? 思いますよね?
だからおじさんも包帯を取ったんです。そしたらね、傷が塞がってなかったの。手首の辺りがぱっくりだったの。
ひー。どうする? どうする?
フツー病院に駆け込むよね? どうしていいかわかんなかったら専門家に縋るもんだよね? ところが。
おじさんはうつ病持ちなのです。しかもこのとき、薬を再開して間もなくで、さらにはドラッグコントロールがうまくいかなくて、うつ状態のずんどこだったのです。さて、どうしたか。
もう1回、包帯を巻き直したのです。見なかったことにしてしまったのです。正常な判断ではなかったということが、いまならわかるのですが、当時は病状がひどいためにわからなかったのです。同居人もおらず、ツッコんでくれる人もいなかったのです。
どうなったか。数日後に気になって包帯を取ってみたらば、手首周辺に岩のようなかさぶたができていました。
かさぶたって、からからにひからびた厚めの皮膚みたいな感じのものを想像するでしょ? 違うの。ほんとうに岩がくっついてるみたいなの。
それでもおじさんは病院に行きませんでした。なぜか。おじさんは昭和中期の知識を持ち続けていたからです。
昭和中期~後期。おじさんが小学校に通いはじめた頃は、「傷は乾燥させて、かさぶたが自然に取れたら傷は治る」というのが通説でした。だから、かさぶたが自然に取れてしまうのを待とうとしたのです。
でもね、よく考えたら、岩みたいなごつごつしたやつが自然に取れてしまうとか、ないよねー。自然に取れるにしたって、いつまでかかることか。
「うつ症状 + 間違った旧い常識」のおかげで、病院へ行くのが大変遅れました。おじさんが近所の外科医に腕のごつごつかさぶた on ぱっくり傷を診てもらったのは、包帯を巻き直してからさらに1週間ほど経ってからのことでした。
このブログではお話が前後しましたが、腕を外科で診てもらったのは、尻よりも少し前のことです。腕を診てもらっている間に尻が悪化してきたので、「今日は尻も診てください」と言って診てもらったのです。
岩のようなかさぶたができた腕を、お医者はどんな風に処置してくれたのか。次回はそこからお話し致します。つづく!
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性別が変わるってどんなこと?
ごきげんよう、近頃紙に漢字の書き取りをしているおじさんです。
ようやく性別適合手術のすべてを終えたおじさん。さあ、これから心身ともに自認の性別として順風満帆の生活が待ってるぞ!……て、そんな訳ないのです。どうして?と思いますか?
どうしてかお話ししていきましょう。
実は既に男性だった
おじさんね、手術が全部終わる前に既に男性だったの。
どういうことかと言うと、戸籍上の性別は手術が終わる5年ほど前に法的手続きによって訂正して、男性になっていたんです。だから、腕トンネルの手術をした頃はまだ戸籍上は女性だったけど、ちんちんつくる頃には既に男性でした。
おじさんが住んでる国(日本ていう国なんだけど)には「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」という長い名前の法律がある、ということは、このブログでもお話ししたことがありますね。
この法律では、戸籍上の性別を訂正する要件を次のように定めています。
- 二十歳以上であること。
- 現に婚姻をしていないこと。
- 現に未成年の子がいないこと
- 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
- その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること
20歳以上の未婚かつ自分の子供がいない人で、生殖腺(精巣や卵巣)を切除したり、機能していなかったり、最初からなかったりして、股間の見た目が訂正したい性別のものに似ていたら、戸籍上の性別を訂正してもいいですよ、ということです。
5つの要件がそろっている人は裁判所に申し出て、審判を受けることで性別を訂正することが可能です。申し出るときには1~5を証明する書類を提出しなければなりません。戸籍だとか、4と5については専門医の診断書ですね。
おじさんの場合は既におじさんだったし、結婚したこともなければ出産したこともないので1~3の要件は満たしています。さらに、10年ほどホルモン剤の投与を受けた上に内性器摘出術(子宮・卵巣を切り取る手術)を受けていますので、要件の4と5もOKです。
▲裁判所から来た「戸籍訂正したよ」
あれっ?と思った人もおられるでしょう。性器はどうなのよ、陰茎形成術を受ける前だとちんちんがないだろ、て。しかし、上記の引用部分をよく読んでみてください。性器はまったくその性別のものでなくてはならないとは書いていません。
「性器に係る部分に近似する外観を備えている」、つまり見た目がよく似ていればいいんです。
おじさんは先ほど述べたように10年ほどホルモン剤の注射を続けています。男性ホルモン剤を身体に入れているのです。そうすると、体毛が増えたり筋肉が増えたり赤血球が増えたりという変化が身体に表れるのですが、その変化の中に「陰核肥大」というのもあります。
「陰核肥大」とは読んで字の如く、陰核つまりクリトリスが大きくなるってことです。男性ホルモン剤を身体に定量入れ続けると、クリトリスが大きく育って、人によっては親指大にまでなると言います。おじさんはそんなに大きくならなかったけど。
こうして育ったクリトリスに尿道を通すなどして、ちんちんにつくり変える手術もあります。このちんちんだとネイティブ男性ほどではないけど、勃起できますね(射精は生殖腺がないのでできない)。
▶ホルモン剤は身体のかたちも変える。
手術していなくても、肥大したクリトリスが「ちんちんに見える」なら、5の要件を満たしていると言えます。おじさんを診てくれた専門医は「見えます」と診断書に書きました。それをおじさんは裁判所に提出しました。結果、戸籍の訂正が認められて、法律上も男性となったのです。
これが、二度目の渡タイの年のおしまいのことで、裁判所からOKが出たのが翌年早々のことです。だから三度目の渡タイの前にはパスポートもつくり直しました。無効になった「女性」のパスポートも記念に取ってありますけども。
性別を訂正するということ
だからおじさんの場合は、ちんちんがついたから「よーし男性になったぞー」てことではなかったのです。だって、考えてみてごらんなさい。ちんちんがついてるかついてないかなんて、パンツを脱いで見せない限り自分以外の人にはわからないんですから。
戸籍だってそうです。書類上の活字一ト文字が変わっただけのことで、お役所で書類を閲覧したり発行してもらったりしない限り、これも誰も知り得ません。「あいつ性別怪しいぞー」ってわざわざお役所まで出掛けて戸籍を確認する人って、どれだけいるでしょう。
だから、服を着た状態の外観が自認の性に近ければ、あるいは全然近くなくても「自分は(自認の性)です」と言い切り相手に納得させることができるなら、生活の上で書類が絡まない部分ではあまり困ることはないんです。
じゃあ、何で手術したの?てことですが、これもこのブログの最初の方にお話しした通り、「自分の身体に強い違和感がある」からです。
▲自認の性と身体の性の間にある「ずれ」が耐え難い。
私たちが日常の中で言う「性別」て概ね2通りあります。「身体の性別」と「社会的な性別」ですね。自分とほかの人との関係の中で言われるのは「社会的な性別」です。周囲の人が自分をどの性別として認識して、態度に表してくるか。
おじさんを男性だと思っている人はおじさんが男子トイレに入っても何も言わないし、レディースデーに「レディース割引使いますか」とは訊いてくれないし、スカートをはけば妙な目で見てくれます。
おじさんを女性だと思っている人はレディースオンリーの特典をつけてくれたり、マタニティ下着を勧めてくれたり、髪をスポーツ刈りにしたいと申し出ると「ほんとにいいの?」と何度も確認してくれたりします。
おじさんは生まれてからいままで変わらずずっとおじさん本人なのに、どちらも経験があります。
幼い頃から年令を経るに従って男性扱いの方が断然多くなってきました。成人する頃には女性でいることに無理が出てきました。ほぼすべての人が男性扱いしてくる中でいちいち「女性です」って自認と異なる訂正(≒うそをつく)をしてらんねーよ、てことです。信じてもらえないことも多かったし。
この状況を解消するために、戸籍上の性別の訂正が必要になります。法律上、男性であれば、男性を名乗って不具合が起きる場面はありません。
一方、手術は、自分が持っている自分自身の身体への違和感を解消する手段です。
上の引用記事でもお話ししましたが、自認している性と身体の性との「ずれ」がどうにも我慢できなくて苦痛なので、手術を受けた訳です。
こうしてみるとおわかりの人もおられるかと思うんですが、いわゆるトランスジェンダーの人で、性別適合手術は必要ないという人は、とても多いんです。性別違和を感じている人のみんながみんな手術したい訳ではなくて、むしろ手術を望む人の方が少ない。
ただ、手術は必ずしも必要ではないのだけど、戸籍上の性別訂正はどうしても必要で、でも日本の法律では「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態」でないと性別訂正はできないので、仕方なく生殖腺をなくす手術を受けるという人もおられるようです。
「生殖腺をなくす手術」って、断種手術ですよね。日本で性別違和を持つ者が自認の性で生きるためには、身体を切って健康な臓器を取り出さねばならず、自分の子をなすことを諦めなくてはならないということです。
性別を訂正して変わったこと
特にありません。
というのが実のところです。前の項で「ちんちんがあるかないかはパンツを脱がなきゃわからない」、「戸籍上の性別はお役所に行って手続きしなきゃわからない」ということを述べました。
このことからみなさん既におわかりのことと思いますが、手術を受けたからと言って、戸籍を訂正したからと言って、自分の周囲の何かが変わることはありません。
これはおじさんの場合ですが、変わるのは自分の心持ちだけです。自分が認識している自分の身体のかたちに、より近づいたという安心感がある。それだけです。言ってしまえば、性別適合手術は自分を安心させるための、それだけのための自己満足の手段です。
しかしそれは、何ものにも代えがたい安心です。この安心、この安定感がなければ生きていくのは難しかった。それは確かです。だから、現在は手術の後遺症で生活が少々難儀なのですが、それでも手術を受けてよかったかな、と思っています。
性別適合手術を受けても傍目には何も変わりません。術後の人生を変えたいなら、この安定感を頼りに、自分から周囲に働きかけて変えていかなければならないでしょう。性別適合手術を受けたら人生が変わるんじゃなくて、人生を変えられる自分になれる可能性が出てくる、ということです。
他方、性別適合手術を受けて後悔している人たちもいます。予後がよくない、後遺症がひどい、望んだ結果ではなかったなど、理由はさまざまでしょう。これから性別適合手術を受けようと考えている人は、この事実も合わせて考えてください。
「性別」についてのお話が長くなってしまって、陰茎形成術を終えての帰国後のお話ができませんでしたが、次回、必ず!
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退院→再入院→退院
ごきげんよう、高重量を挙げられるようになってうれしい勢いで20kgのバーベルプレートを2枚買ったものの、プレートはでかいわ自宅は狭いわでちょびっとだけ後悔しているおじさんです。15kgをもう一ト組にしておけばよかったかナ☆
さて、陰茎形成術と再手術を終えて、尿バッグをつけたままながら何とか退院したおじさんですが、予後を見るためにあと2週間ばかりバンコク市内に滞在しなければなりません。
再入院も控えているおじさんの院外生活はどんなものなのか。退院してからのバンコク滞在をお話しするのははじめてですね。ではでは、はじめてみましょう。
マンション住まいはただぐったり
前回渡タイ時と今回は同じアテンド会社を利用しています。はじめての渡タイ時に利用した会社は退院後の滞在にホテルを用意してくれましたが、2回目・3回目に利用した会社は滞在用のマンションを自前で所有していて、それを貸してくれます。
マンションとは言っても、2日に1回は必ず掃除担当の人が来て掃除と飲料水や冷凍食品の補充をしていってくれます。だから体調がすぐれず、一歩も外出できないとしても生き延びることはできます。
▲滞在マンションの周辺の様子(おじさん撮影)。
担当アテンドさん(おじさんの場合はNさん)にお願いすれば、食事や医療品などを買ってきてもらうこともできます。もちろん、自分で外出して買いものできるなら、そうすることもできます。
が。
初渡タイ時からずっとお話ししていますように、おじさんはうつ病持ちで、かつ渡タイ前1ヶ月から帰国まではうつ病の薬を服むことができないのです。つまり、その間ずーーーっと具合いが悪い。
しかも、尿バッグはつけたままだし、再入院の予定はあるし、その結果次第では滞在延長しなければならなかったり、そうするとビザを取得しなければならなかったり滞在料金がさらに必要になったりで、不安の材料はたくさんあります。
その状態で生き生きと生活できるはずもなく。
▲本文の内容とは関係なく、マンション近くのコンビニで買ったタイのプリッツ。
おじさんは毎日1日中ぐったり横になっていました。空腹感も感じなくて、時間が来たら服薬のために食べるという感じでしたが、食べるのもしんどい。そのうち食べものが喉を通らなくなってきます。
Nさんのおかげ
しばらくは入浴不可だったので身体を清拭しなければなりませんでしたが、おじさんの左腕は包帯ぐるぐるで濡らしてはいけませんし、目下リハビリ中です。という訳で、清拭はアテンドのNさんがしてくれました。
また、手術で形成したちんちん周辺は毎日、洗浄・消毒をする必要がありますが、これもNさんがしてくれました。自分ではなかなか手も届かない場所もあって(会陰部の消毒などは難しいです)、これは大変助かります。
生理食塩水で拭って、消毒液を含ませた綿棒でさらに拭って、ガーゼで患部を覆います。これを毎日してくれたのです。
▲消毒に使った綿棒。でかい。
おじさんはこのときほんとうに動けなくて、エレベータで3階から1階に降りて、玄関の正面にあるごみ集積所に3日に1回程度ごみを捨てに行くという、これだけのことすらできずにいました。
だから食事の調達も自力ではできなくて、Nさんに買ってきてもらっていました。タイの屋台の味を楽しめたのは、Nさんのおかげです。タイ料理もタイ中華も、たくさんは食べられませんでしたが、味わうことができたのはとてもよかった。
ちょっとびっくりしたのは、タイのKFCです。「これはからくないよ」と言ってNさんはオリジナルチキンを買ってきてくれましたが、おじさんはひーひー泣きながら食べました。オリジナルチキンが既にからいのです。
タイのKFCにはレッドホットチキンもあるのですが、どれだけからいんだろうと怖くなった覚えがあります。おじさんは唐辛子のからさに極度に弱いんですけども。
Nさんはおじさんを担当してくれていましたが、おじさんだけを担当していた訳ではありませんでした。ほかにも担当している患者がいるんです。にもかかわらず毎日1回は顔を見せてくれて、買いものをしてくれて、身繕いまでしてくれたNさんには感謝しかありません。タイの方に足を向けては寝られません、ほんとに。
今度は泌尿器科に入院
さて、再び入院です。予定では短期間なので、ほとんどの荷物をマンションに置いたまま、先の退院時に予め告げられていた日に病院に向かいます。
まずは執刀医先生に手術箇所を診てもらい、「順調です」とお墨付きを頂きます。予後は良好のようです。
その後、病室に入って入院着に着替え、水をたくさん飲みます。今回の入院で排尿がうまくできないと、滞在延長になるのです。無事の帰国のために、小水がたくさん出るように水をたくさん飲みます。
そして、カテーテルと尿バッグが取り外されます。自力で排尿できるかどうかを見るためです。
しかし管がなくなって軽やかだね!という訳にはいかないのです。膀胱まで挿入されたカテーテルは取り去られましたが、今度は尿道の長さのカテーテルを挿入しなければならないのです。
少なくとも今後半年は、形成した尿道には常にこうしてカテーテルを挿入しておかなければなりません。腕にトンネルをつくる手術をしたときもそうでしたね。手術をした穴、今回の場合は尿道が塞がってしまわないように、カテーテルを留置しておくのです。
じゃ、おしっこするときどうするの?
トイレのたびに外して、また挿し込むのです。排尿前に外して、終わったらカテーテルを生理食塩水で洗って、ジェルをつけて、再び尿道に挿入・留置しておくのです。トイレに行くたびにこれをしなければなりません。うわーめんどくせえ。
しかし、めんどくさいからと言ってこれをやらないと、尿道が塞がってしまうかもしれません。尿道が塞がるとどうなるかというと、おしっこが出せなくなります。おしっこが出せないとどうなるか。みなさんご存じですか。
おしっこを身体の外に出せないと、死にます。
泌尿器周りの病気や障碍を笑う人は割りと多いのですが、笑いごとではないんです。生命に関わることなんです。だから、こうして再入院して排尿が可能か否かを診ようとしているんです。
今回の入院でも手術明けと同じように、トイレに行く際はナースを呼ぶように指示されます。たくさん水を飲んで、尿意の訪れとともにナースコール。ナース立ち会いの下で立位排尿します。
▲病室の冷蔵庫には水だけでなく、ファンタも常備されてるよ(硝子瓶)
出た。
トイレに立つと、スムースに排尿できました。やったね! 次も、そのまた次も滞りなく排尿できました。……何でこの間は出なくなったんかなー?
それはわからないままでしたが滞りなく排尿できたので、おじさんは翌日には退院して、その3日後には帰国の途に就くことができたのでした。何とかビザなしで滞在できる範囲で済みました。いやー、ひやひやしたなー。
性別適合手術終了
▲ヤンヒー病院退院時にくれるアンケート用紙。
これですべての性別適合手術が終わりました。万々歳ですな!……なんて訳にはいかないのです。帰国後がすげー大変だったのです。
次回からは帰国後のケアや性別適合手術の後遺症についてお話しして参りましょう。「性別適合手術が全部終わったら生まれ変われる」とか「すべてが変わる」とか「人生薔薇色になる」とか未手術の人が言うのをよく聞くのだけど、それ夢とか幻に過ぎないからね(きっぱり)。
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ちんちん再手術
ごきげんよう、40代になってからてきめんに低気圧の影響を受けやすくなったおじさんです。梅雨どきは倦怠感と頭痛で体調が実にうっとうしいヨ!
前回は、ようやく尿道カテーテルが外れたというのに再手術を宣告されてしまったおじさん。腕の内側から皮弁を剥がして、股間につけて神経をつなぎ合わせて皮弁をちんちんのかたちに縫い合わせて……という大手術をしておきながら、同じ部分をもう一度手術です。
大手術をもう一度、つまり安静生活をもう一度ですか……と、ほぼ絶望に近い心持ちのおじさんはこの後どうなるのでしょうか。いざ、続きをどうぞ。
再び手術室に in!
執刀医の再手術宣言とともに病室に集まっていたナースも散り散りに別れて、すぐに数枚の書類が運ばれてきてサインを求められます。承諾書の類いですね。サインをしたらストレッチャーも間もなくやってきて、それに乗せられて手術室へ。あっという間。
これまでと同じように回復室で一ト通りの手続きをして、手術台へと移るのもこれまでの手術と同じです。心拍計や点滴が身体につながって、麻酔ガスのマスクがつけられます。マスクをつけて何度か深呼吸をしたら眠ってしまうはずですが、おじさんはまたも眠りませんでした。
そこで、執刀医が手を伸ばして、親指でおじさんの喉仏を強く押さえました。
苦しい、と思ったら意識が落ちていました。次に気がついたら手術は終わっていて、既に回復室にいました。やはりこれまでと同じようにしばらく回復室にいた後にストレッチャーで病室へ送り届けてもらいます。病室に戻ったのはお昼前でした。手術は2~3時間で済んだのかな。
何が何だかわからないうちに再手術の宣告を受けて手術を終えたのですが、アテンドのNさんが執刀医に詳細を聞いてくれたところによると、「再手術」とは言ったものの実際は「検査」程度のものだったようです。
縫い合わせたものを再び切り開いたのではなく、尿道口つまり形成したちんちんの先っちょから内視鏡を挿入して膀胱までの尿路を見たところ、尿道狭窄などの異常はなく、治癒も順調だったそうです。じゃ、何でおしっこが出なかったの?
それは執刀医(形成外科医)の範囲ではないので、術後に泌尿器科医の診察を受けることで探っていくことに。おじさんはもともとが排尿の感覚が長くて、1回の量も少ないとのことで、排尿を促す薬を服みながら、水もたくさん飲んでたくさん排尿しなさいと指導されました。
手術は検査程度のものだったけど、また尿道カテーテルと尿バッグがつながったのでした。とほほ。
腕から鉄のとめ具を剥ぐ
とにかくおしっこが出るようにしなければならないということでその措置が執られましたが、どうして出なかったのかはわからないままです。この手術から10年近く経って、いまだにこの症状が出ることが多いのですが、理由や原因はまだわかっていません。
一部の抗うつ剤には副作用に尿閉(排尿できなくなること)を持つものがあって、おじさんもこれを経験しているのですが、このときは1箇月以上も精神科の薬は断っているので、副作用によるものではなさそうです。
謎でござるなーでございますが、謎は謎のままで想いは想いのままで、左腕のステッチを外す作業に移るのでした。ステッチというのは手術で切開した部分を閉じるのに使用したものですが、抜糸とはまた違うんです。ステープラーの針を外します。
当ブログをお読みのみなさんも、医療用のステープラーがあるということはご存じかと思います。傷を縫い合わせるホッチキスですね。「ホッチキス」というのはマックス株式会社の商標(医療分野のみ登録)なので、「ホッチキス」と呼んでいいのはマックス社の製品だけです。
さて、皮弁を採取するために切開して、尻からはがした皮膚を貼ってステープラーでとめてあった左腕なのですが、この日ステープラーの針を外した訳です。この針がね、鉄なの。銀色の、幅2mmくらいありそうなごっつい針。シリコンじゃないの。おじさん自身もこの日はじめて目にして「げ」と思いました。コワイ。
1週間ほど前にギプスを外して洗浄したときと同じように、ベッドに横になった状態で腕を台に乗せて、それを執刀医とナースが取り囲んで処置してくれたのですが、執刀医がでっかいペンチみたいな器具を持ってるし、ステッチを外すのを見るのが怖かったのと、もうひとつ理由があってよそを向いていました。
実はこのときちょうど泌尿器科の医師が病室に来ていて、そちらと話していたのです。医師と一緒に病院勤務の通訳氏が来ていたので、日本語で話せます。このときにおじさんは排尿の感覚が長いとか1回の量が少ないとか、抗うつ剤で尿閉になったことがあるとか話して、じゃあ薬を出すから、ということになったのでした。
上の写真は腕じゃなくて尻で、かつ前回渡航時のものなのですが、腕に使ったのと同じステープラー&針です。腕もこんなやつでとめてました。針の数はもっと少なかったけど。
という訳で、ごついステープラーの針を外すシーンは直視せずに済んだのですが、腕はまたもや包帯ぐるぐる巻きになりました。まだ包帯は外れない。ステッチは外したものの、傷はまだ塞がってないのです。傷が塞がるまでにはかなり長い期間が必要で、帰国後しばらくはぱっくり開いていました。ひー。
退院予定の日
腕のステッチを外した翌日が、当初予定していた退院の日です。おしっこは出ないし再手術したし、退院は延びたんだろうなーとおじさんは思っていました。が、アテンドのNさんが言うには「今日、退院できるよ」。
「先生に診てもらって、OKだったら退院できる」とのこと。病院側が言うには、14時チェックアウトの予定らしい。病院にもチェックインとチェックアウトの時間があるんですよ。病室のチャージ(料金)に影響するんですよ。
Nさんが言う「先生」は泌尿器科の医師。最後に診察しておしまいになるはずなのですが、なかなか来ない。尿道カテーテルと尿バッグがつながってるのを何とかしてもらわないといけないのだけど、何と14時を過ぎても来ない。
「待つ」時間というのは長く感じるもので、約束なんて当てにならないなーと思っていたら、Nさんが教えてくれました。
「タイはだいたいこんな感じ」
いわゆる南国時間なんですね。あまりきっちりしていないお国柄なのだそうな。おじさんも国内では南国の方で生まれて、路線バスが時刻表通りに来たことがない地域に住んでいますが、ここまでのことは初体験です。
泌尿器科の医師は15時を過ぎてから現れて、このように言いました。
「尿の出をよくする薬を出しておくので、きちんと服んで。水も沢山飲んでね。一旦退院だけど、6月11日から12日にかけて再入院。そのとき、おしっこがうまく出るか見せてもらうね」
条件付きではありますが、何とか退院です。さて、まだつながったままのカテーテルと尿バッグをどうするかというと、携行用の尿バッグてのがあるんですな。
なかなかおしゃれさん。おじさんはかっこいいと思いました。バッグからこぼれないように気をつけなければならないけど、尿意を感じるたびにトイレに立つ、ということをしなくていいので、便利と言えば便利です。
退院したけど、どういう生活になるのかしら。それを次回からお話ししましょう。次回もよろしく!
▼クリックするといいことが起きる(かもしれない)。
はじめての失神
ごきげんよう、汗くさいかなー、と思って着ているシャツのにおいをかいでみたらカレーくさかったことがあるおじさんです。
当ブログ開設当初から、性別適合手術のお話をしています。手術に至る経緯やおじさん自身の生育歴や考えなどもお話ししていく予定ではありますが、まずは手術の経験から、ということではじめて受けた手術から順番にお話ししてきました。
そして、心身ともに最も負荷が大きい陰茎形成術を終えたところまで、お話が終わったところです。しかし実は、陰茎形成術は手術そのものよりも、その予後が大変なのです。
という訳で前回に引き続き、手術が終わった後のお話です。
気つけ気をつけ
前回は10日近く右腕につながっていた点滴が外れて、翌日には尿道カテーテルも外れますよ、というところまでお話ししていたのでしたね。尿道カテーテルが外れたら何が起こるか、ということは、ここまで続けてお読みくだすっているみなさんにはもうおわかりのことかと思います。
尿道カテーテルが外れたら、自力でトイレに行かなくてはならないのですね。
トイレに行くには、ベッドを降りて歩かなくてはなりません。つい先日までかんたんにやっていたことですから、かんたんにできると思いますよね。おじさんもこのとき、そう思っていたのです。
だからベッドを降りようというときに、ベッドの下に踏み台を置いてくれて、ナースが両サイドに1人ずつついたときは「何だ何だ大袈裟だなー」と思いました。で、踏み台の上に立ち上がると。
一瞬のことのようでしたが、一瞬ではなかったようです。おじさんは意識を失いました。気がつくと、姿勢は立った状態のままでしたが、ナースのひとりがおじさんの鼻先で大きめの綿棒を振っていました。気つけ薬(炭酸アンモニウム溶液?)のようです。
ずっと横になっていてたために脳に血流を送る血圧が低めになっていて、そこから立ち上がると脳貧血を起こして失神するのです。いわゆる「立ちくらみ」のひどいやつです。
よもやそんなことが自分に起きるとは思っておらず、おじさんは自分でびっくりです。立ったまま眠ったことはあったけど、立ったまま失神するなんて生まれてはじめてです。
しかも、踏み台を降りるまでにあと2回ほど意識がなくなります。ナースが両脇で「ゆっくり、ゆっくりね」と言い続けていました。勢いよく立ち上がった訳でもなく、急いで動こうとした訳でもないのですが、こういうことが起きるんですね。
はじめての自力排尿
そして、術後初の自力排尿です。
おじさんが今回、手術したのは尿道ですので、尿道がうまくできているか、きちんと傷がくっついていなくてあらぬところから尿が洩れたりしないか、確認しなければなりません。
という訳で、術後初から数回の排尿はナース立ち会いの下で行わなければなりません。ナースが見ている前で排尿をすることになるのです。
2、3度失神しつつベッドから降り、無事にトイレに辿りついたところで術後初の立位排尿、つまり立ち小便です。実は人生初の立ち小便ではないのですな。
女子みんなではないのでしょうが、ネイティブ女子の中には結構高い割合で立ち小便の経験がある人がいます。もちろん、トイレでの経験は少ないでしょうが、浴室など足許が濡れてもいいような状況で試みたことがある女子は割りといるようです(弊社調べ)。
おじさんもその1人であり、また、後には立位排尿用の器具を使って日常生活から男性用小便器を使って排尿できないかしらと練習をしたこともありました。だから、立ち小便自体ははじめてではないのです。
が、練習はしたことがあるけど面倒になって途中でやめちゃったクチなので(だめにんげん)、ずっとすわってトイレはしていました。だもんで、いざ立って排尿しようとすると、やはり尿道近辺の筋肉のコントロールがうまくできず、小水を出すまでにちょっと時間がかかりました。
けれども、実に太い尿線を出すことができ、「自分のちんちん」からのはじめての排尿はとても爽快でした。
こうして自力でトイレに行き排尿もできるようになりましたので、日がな一日ベッドの上にいなければならない生活もおしまいです。ベッドを降りて椅子にすわっていてもいいのです。
再手術?!
術後初排尿のみならず、その後も排尿のたびにナースを呼びなさいという指示があったので、尿意を催すたびにナースコールをして監視の下で排尿しました。日中は順調に排尿できていたのですが、日没を過ぎてから、様子が変わってきます。
尿意はあるのに、小水が出なくなったのです。
立位で出せないのですわってもいいかとナースに訊ね、許可をもらって便座にすわります。でも出てこない。気張ると大きい方が出てくる。小水は出ない。
ナースは排尿を促すために、トイレの洗面台の蛇口から水を出しっ放しにするなど協力してはくれますが(水が流れる音は人の排尿を誘発するらしいです)、やっぱり出ない。
尿意の間隔がだんだん短くなってきて、ついに1時間に1回くらいの頻度でトイレに立つようになります。もう目眩を起こしている暇もありません。尿意が来て、トイレに行って、でも出せない。これを繰り返して一ト晩を過ごしました。
そして朝。
ヤンヒー病院にはドクターナースという、かんたんな診察ができるナースがいます。ドクターナースがおじさんのお腹を打診したり触診したりして、険しい表情を見せます。何かよくないみたいです。ほかのナースと何やら話し合っていますが、タイ語なのでおじさんにはわかりません。
数時間後、今度は執刀医がやってきて、ドクターナースの報告を聞くとおじさんに言いました。
「いますぐおしっこしてみせて」
尿意があるかどうかの確認もなく、いますぐせよとお医者は言いました。実を言うとそのとき尿意はなかったのですが、厭だという訳にもいきません。トイレに立ちますが、立ってもすわっても水が流れる音を聞いても出ません。
「いまおしっこできないと退院させられない」
予定では明後日が退院日。この日に退院できないと、おじさんはタイの滞在ビザを取得する手続きを取らねばなりません。タイは観光目的で1箇月までならビザなしで滞在できますが、1日でも超過するならビザが必要です。ビザなんて取ったことがないおじさんはドキドキものです。
さらに執刀医は言いました。
「もう一度、手術をする」
言うと執刀医はさっさと病室を去ってしまいます。おじさん呆然。一度縫い合わせたものをまた開くの? またカテーテル挿れて点滴つけてベッドの上生活? そんな重篤な状態なのですかおじさんは。おじさんは不安というよりもほぼ絶望を感じていました。
うぬおおお、おじさんはいったいどうなってしまうのか。次回に続く!
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ベッドの上の人
ごきげんよう、歌を聴きながら何らかの作業をしていると突然、曲の一部分だけを声に出して歌うことがあるおじさんです。
先日『夢のENDはいつも目覚まし!』を聴いていて、近藤房之助氏のシャウト「りんりーん!」部分だけを声に出してしまい、自分でびっくりしました。
さて、ブログではようやく陰茎形成術を終えたおじさんですが、これからが大変なのです。術後のお話に行ってみよ!
寝たきり動けないマン
手術の日から10日間ばかり、寝たきりでした。ずっとベッドの上。食事どきはベッドの背を起こして身体を起こしてはいましたが、立ち上がることはありません。点滴はつながってるし、尿道カテーテルもつながっていますから、ベッドから離れることもできません。その必要もないし。
左腕は皮弁を切除して、大きな傷ができています。とは言っても、手術の麻酔から覚めてみれば腕は既に包帯ぐるぐる巻きだったので、おじさん自身も傷を見たことがありません。ギプスで固定した上で包帯を巻いてあるらしく、腕がごつごつしています。
前回の手術でトンネルを開けたときと同じように、腕の下に枕を敷いてくれていて、寝た姿勢はいくらか楽ではありますが、ほかの部分がしんどいので楽さ加減があまり感じられません。
前回のブログでお話しした通り、おじさんの股間にはカバーがついていて、つまりそれはさわったり動かしたりしてはいけないということ。つくったばかりのちんちんのかたちが整うまで(縫ったところがくっつくまで)は、そっとしておかなければならないのです。
ということは、寝返りとか仰向けから姿勢を変えるとかできない訳です。ずっと同じ姿勢。そうするとね、尻が痛くなるの。寝ても起きても尻は体重を支えてるからね。これがつらい。
腕の包帯は指の第2関節くらいまで巻いてあって、力も入らないし「グー」もできない状態。これじゃものも持てないじゃん!
だけど、持たないといけない。右手だけで食事したりしてるとナースに「両手使え」って叱られる。動かせないように見えるけど、動かせば僅かに動くのでした。
安静しながらリハビリテーション
腕の内側を、いくらかの筋肉や神経ごと大きく切り取っているので、左腕は動かしづらいです。しかし、動かさないと動くようにはならないので、少しずつ使うようにします。
最初は、ペットボトルのキャップを開けるのにも一ト苦労します。ボトルをしっかり掴めない。フォークやら食器を持つのも最初はただ「指に乗せてる」感じ。でも、意識的に使うようにしていれば、1箇月ほどで「グー」ができるようになります。1年もすればダンベル運動もできるよ。
そして今回初登場の器具。
これは呼吸器のリハビリテーション用器具です。青いホースの一端を口にくわえて、思いっきり吸います。吹いちゃ駄目。吸う。吸引する。
すると、中に入っている球体が浮いてきます。色の薄い球から濃い方へと少しずつ重くなっていて、最初は白っぽい球しか浮いてこなかったりしますが、毎日毎日やっていると、3つとも浮くようになってきます。3つとも透明容器の一番上まで浮くように吸うことができるようにがんばります。
あとから考えれば、この球体が3つとも吸い上げられないってどれだけ弱ってたのよ?!というくらいの強度です。この器具は入院費用に含まれているので退院時にお持ち帰りできます。いまもおじさんの家のどこかに片付けてある……んじゃないかな? 帰国後しばらく吸って遊んでたから。
ベッドの上生活
先ほど述べましたように、10日ばかりはずっとベッドの上です。何をするのもベッドの上。朝はナースが洗面具を持ってきてくれて、顔を拭いてくれます。その後はハブラシを渡されるので自分で歯を磨きます。
口の中をすすぐときはナースがベースン(空豆型のトレイ)を持っていてくれるので、そこに水を吐き出します。午後からはやっぱりナースが来て身体の清拭をしてくれて、入院着の着替えやシーツの交換も、おじさんが寝てる状態で器用にやってくれます。
身体は清拭してくれるけど、洗髪はしてくれない。おじさんは当時後ろ5厘のスポーツ刈りだったからさほど気にならなかったけど、長髪の人はべたべたになってしまったかも。
先ほど述べたように、食事もベッドの上でします。食べるのもベッドの上なら、出すのもベッドの上です。小水は尿道カテーテルから勝手に出て行き、ベッドの傍に固定した尿バッグにたまっていくので、部屋に来るナースが気をつけて処理してくれます。では、便はどうするか。
寝たまま出すのです。
これが寝たまま用便器。仰向けに寝た姿勢で尻を持ち上げて、ベッドと尻の間に差し込んでもらいます。そして、仰向けに寝たまま気張ります。
寝たまま排便って、最初は結構難しいんですよ。だって、寝た姿勢でうんこ出すなんて赤ん坊のとき以来でしょ? 赤ん坊のとき、どうやって出してたかなんて憶えてないでしょ?
普段すわってしていることを寝た姿勢ですると、力の入れどころがわからなくなって、なかなかうまくいきません。背中や腕にシーツが触れている感覚があるので身体が「ここで出してはいけない」と感じてしまうらしく、そのコントロールも難しい。
という訳で、ベッド上での排便というのは慣れるまでは難関です。
尻の下に便器を差し込んだ後、ナースは一旦退室してくれるので、出るものが出てしまったらまたナースコールで呼びます。出したものを処理してもらいます。
10日ほどこんな生活が続きます。
腕、解放さる
手術の日から数えて9日目、点滴が外れました。これで右腕は自由です。そう、この日まで右腕にはずっと点滴の管がつながっていたので、そのまま食事したり水を飲んだりしていたのです。
そして、左腕も包帯を取って、ギプスを外して、一旦洗浄します。おじさん自身はベッドに寝た姿勢でベッドの外側へ左腕を伸ばす恰好になっていたのですが、大勢のナースと執刀医が腕を取り囲んでいて、どんなことをしていたのかは見えませんでした。
水洗いしてるんだろうな、くらいのことしかわかりません。ベッドのわきには洗浄用の容器が置いてありました。
これで左腕もすっきり!……ではなく、再び包帯ぐるぐる巻きになります。腕を固定するギプスが外れただけで、包帯まで外れるわけではないのです。実はまだ傷がふさがっていないので。
手術してからおじさんはまだ自分の左前腕を見ていません。どうなっているのやら。
手術の内容としては、腕は皮弁を切り取って、その跡地には尻からはがした皮膚をはりつけてあります。尻の皮膚はうすーくはがしてあるので、尻から皮膚がなくなることはありません(ただし、弱った状態にはなっています)。
▲腕に貼る用の皮膚をはがした後の尻。術後1年くらい。
ギプスが外れたので、動かせる範囲が大きくなっているはずです。この日から手首を曲げたり、腕を内捻させたり外捻させたりという動きの練習をはじめます。意識して動かすようにしないと、できるようになりません。リハビリリハビリ。
そして翌日、手術の日から数えて10日目に、ようやく尿道カテーテルが抜去されます。カテーテルが外れて、自力でトイレに行くのが大変だった! どう大変だったか。このお話は、次回に。
▼クリッククリックスロースロー。
ちんちんできた
ごきげんよう、大きなお仕事のご依頼を頂いたり突然の不調で寝込んだり慌しいおじさんです。
3回目の渡タイ、陰茎形成術のための渡航について、前回までお話ししていました。慌てて書いたので事実の羅列になってしまって、あまりおもしろくなかったかも、とおじさんは省みていますが、いかがなものでしょうか。
今回は、いよいよ手術でちんちんをつくります。
ちんちんをつくる手術
前日までに事前検査やら腸内洗浄、剃毛と済ませまして、バンコク滞在3日目にしていよいよ陰茎形成術を受けます。ちんちんをつくる訳です。
これまでの経験と同じように、ストレッチャーが病室まで迎えに来てくれます。今回は何と午前7時30分頃に現れまして、病院の朝食は8時からですよ? 手術を受ける人はごはん食べないからいいのだけど、病院の人は朝ごはん食べたの?
ストレッチャーに乗せられて、準備室に入って心電図だの心拍計だのつけられて、名前や生年月日を問診されて……というのはこれまでと同じ。会話は英語。タイ語を話せればベストですが、中学英語程度で何とかなります。
準備が整ったらストレッチャーごと手術室へ。自力で手術台に移ります。
ひんやりと冷房が効いた部屋でほぼ全裸にされるのもこれまでと同じ。点滴の針が打たれて、酸素マスクがつけられて、手術スタッフの「シンコキュウ!」の一喝で、すーーーはーーーと深呼吸を2、3回。すると意識が消える。意識が戻ると手術が終わってる。従来通り。
目が覚めたのは準備室。ストレッチャーの上で、左腕がずーんと重い。もちろん物理的に重石が乗せられている訳ではなく、そんな感覚。
ここまでこのブログを順番にお読みくださった人は既にご承知のことですが、おじさんは左腕から「皮弁」というちんちんをつくる材料を採取するべく、腕の内側にトンネルを開通させるなどの前処置を施してきたのですが、それを今回の手術ではいよいよ切り取ったのです。
かなり広範囲に切り開いて切除した訳ですから、前腕の半面が傷になっていて、ずんと重い感じがするのはその痛みでしょう。まだ麻酔が効いているし。
病院スタッフに起こされて、時計を見ると午後1時。手術にかかったのは4時間くらい? 取り敢えず無事に終わったみたい。起こされてから30~40分ほど放置されて、それからストレッチャーごと今度は病室へ。
病室に着いたら入院フロアの10階にいるナースとストレッチャーを押してきた人が寄ってたかっておじさんを転がしたり持ち上げたりすべらせたりして、病室のベッドに移動させてくれました。おじさんは意識はあるものの身体が動かせる状態ではなく、されるがままです。
術後はじめての体験
ナースらが栄養剤と鎮痛剤の点滴やら排尿用のカテーテルやらを大勢で一気呵成に整えてくれて、一斉に退室していきます。嵐のようです。
病室にはアテンド会社のNさんが来てくれていて、おじさんの身辺が整うと水を飲ませてくれました。Nさんは帰国までおじさんの世話をしてくれる担当アテンドさんです。
手術を受けるという経験がある人はご存じのことと思いますが、たいていの手術は終わると喉(と言うか口蓋)が渇いています。すぐに水が飲めるのは大変有難いことです。
前回までの手術時と違うのは、このときのおじさんの姿勢はフラットだったということです。前回まではベッドの背をいくらか起こした姿勢を取らせてくれていたのですが、今回はそれはなし。ベッドは真っ平らの状態です。
その状態で水を飲むのですから、ストロー必須。Nさんが口の位置までコップを運んでくれます。おじさんは少しも動けないのです。首を左右それぞれ60度程度傾けられるくらいで、ほかには何もできません。相変わらず腕はずーんと重いし、下半身はまるでないみたい。
水を飲ませてくれたNさんはおじさんにすぐ訊ねました。
「ハキする?」
Nさんは現地スタッフ。日本語が話せるタイ人女性です。但し、日常会話ができる程度の日本語。通じるけど文法に照らすと正しくはない言葉もたくさん話します。「ハキする?」というのは「嘔吐しますか?」という意味。
麻酔の影響で吐き気を催す人、吐いてしまう人は結構います。でも、おじさんはこの時点で過去に4回の手術を受けていましたが、そのいずれでも吐いたことはありませんでした。このときも吐き気はなかったので「しない」と答えました。
しかし。
まさにこの直後、胃の辺りから食道を水が上がってくるではありませんか。すっぱい水ではありませんでした。すぐさま「吐きそうです」と訴えます。
Nさんは横たわったおじさんの口許にベースンをあてがってくれました。「ベースン」というのは病院でよく見られる、空豆型のトレイのことです。あの曲線が口許にちょうどいいのですね。
ベースンが口許に来た途端におじさんは吐きました。手術前は固形物を食べていないし、日が変わってからは何も食べていないので、液体しか出ませんでしたが、嘔吐なんて何年振りのことでしょうか。そして、手術の後の麻酔による嘔吐ははじめてです。初体験。
昼食の時間はすっかり過ぎているのですが、Nさんは術後用の食事をオーダーして取り置いてくれていました。主食は白粥。嘔吐直後ですが、これがとても食べやすかった。おじさんはフラットに横たわっていて起き上がれないし腕も使えないので、Nさんが食べさせてくれました。
メインディッシュは鶏の照り焼き。これを小さく一ト口大にしてNさんが口に運んでくれます。おじさんは鶏肉大好きっ子なので食べやすかった。肉を食べると元気が出るような気がします。あまりたくさんは食べられませんでしたが、人心地がついた感じがしました。
ちんちんカバー
今回おじさんが受けた手術は陰茎形成術。ちんちんをつくる手術です。手術が終わったので、ちんちんができています。術後、病室のベッドでおじさんは薄い掛け布団を掛けてもらっていました。術後の人は寒がることが多いからです。
そこでひと工夫。
手術でつくったばかりのちんちんに無用な力がかかっては、縫い合わせたものがずれたりかたちが悪くなったりするかもしれません。そんなことを防ぐために、おじさんの股間にはちんちんを覆うカバーがつけられたのでした。
ペットボトルを切ってつくったみたいな外観とつけ心地。実際はそんなラフなものじゃなくて、おそらく医療用器具として生産されているものなんだろうと思うんだけど。これが術後1週間か10日、抜糸するまで被せたままで、つまり寝返りを打てない。抜糸をしても自由には寝返りできない。
寝返りできないって、かなりしんどいです。おじさんの場合は尻が痛くなってしまって、尻の下にジェルマットを敷いてもらったりはしたけれども、ベッドを降りられるようになるまで(2週間くらい)絶え間なく痛くて難儀でした。
左腕はギブスで固められて包帯ぐるぐる。ちんちんはカバー付。そんな状態が2週間ばかり続きます。苦行か。
▼クリックで救えるおじさんを救って救って。
空港から直送便
ごきげんよう、入浴がてら剃髪してたらカミソリで頭皮を削ってしまって出血大サービスのおじさんです。
三度目のタイに旅立ったおじさんは、やっぱりふらふらのぐるぐるでした。さて、その道中はいかがなものだったのか。手術は無事にできたのか。これからお話ししていきますよー。それー。
口が聞けない
前回渡航時、みっちり客が乗ったTG機でぐったりしたおじさんでしたが、前回と同じアテンド会社を利用する今回も、やはり同じ目に遭いそうなので、何とか対策したかった。
身体もメンタルもぐったりで、とても人と会話できない。どうしても、という場面以外はできるだけ会話を避けたい。
という訳で。
航空券手配の際に手配主、つまりアテンド会社から航空会社に、キャビンアテンダントは必要最小限のこと以外は話しかけないようにしてほしいと、予めお願いしておいてくださいと、面倒なことを頼みました。
さすがにそれはできませんという回答を頂きましたが、その代わり、次の文書をつくってくださいました。
機内でのトラブルを避けるための英文と日本文
Dear in-flight attendance I have a sickness of depression at this moment.
現在、私には少し、精神面での不調があります。
So, please don’t care so much about me.
ですので、どうかあまり話しかけないでください。
Thank you for understanding.
ご理解頂き有難うございます。In-flight meal or some drinks, I will ask you if I need it.
Thank you for understanding.
食事と飲み物は必要に応じて、私からお願い致します。
宜しくお願い致します。
これを見せることで飲みものや食べものはすべて断ることになってしまいますが、それでも会話をしなければならないよりはずっとしんどくありません。うつというのはそれだけしんどいのです。
これを印刷したものを携帯しておいて、CAが来たときに見せれば口を聞かなくていいという寸法です。大変有難い。いざというときにはこれを見せればいいのだという安心感がありました。
このときのおじさんはさいわい、しんどくてつらいけれど「はい」と「いいえ」くらいなら答えられる状態だったので、機内で飲まず食わずという事態は避けられました。
▲これは2005年の機内食
この書面を持ち歩いているという安心感は何ものにも代え難いものでした。無理をお願いしたというのに、親切なご対応をくださったアテンド会社にはいまだに感謝が尽きません。
おかげさまでしんどい会話もなく、無事にミールサービスも頂けて、機内ではいくらかうとうとすることもできました。夕方発の深夜着の便。空港でのアテンドさんとの待ち合わせも前回と同じ場所だったので、落ち合うのもスムースです。
アテンドさんと会えたら、あとは自動車に乗りさえすれば行くべきところへ運んでもらえます。もう夜中だし、一旦、宿まで運んでもらって……と思っていたら、ヤンヒー病院へ直送でした。前回は前泊があったのになー?
深夜も動く病院
病院に着くと、すぐに入院手続きです。いやはや慌ただしい手続きで、看護師・職員が群がってきて、荷物を引き取ってくれて、車椅子にすわらせられて、書類とボールペンを渡されて、移動する車椅子の上で書類の内容を確かめてサインをするという多少アクロバティックな感じです。
書類はすべて英文。入院時の注意事項、手術時の免責事項などが書かれています。サインはパスポートと同じもの、つまり日本語で書きます。
病院には数箇国語の通訳が常駐していて、日本語の通訳もいます。書類の内容も一ト通り説明してくれました――移動する車椅子とともに移動しながら。
書類の記入を終えてレントゲン撮影だの採血だのという手術の事前検査をこちらも一ト通り済ませると、次は入院費用の支払い。ヤンヒー病院はクレジットカードでも支払可能です。
当時折りしも円高ドル安。ドル建てでも支払えるからと、国内でここぞとばかりにドルを買ったおじさんはドル束を渡しました。
が、円建てで払った方が病院の出納係もアテンド会社側もわかりやすかったみたい。手間を増やしてごめんなさい。
そんなこんなでばたばたと手続きと検査が終わったのが、現地時間の午前2時頃。入院着はなかったので着のみ着のままで病院のベッドでおやすみなさい。病院に着いてからベッドに就くまでが慌ただしかった……。
バンコク着翌日手術
頭がぐるんぐるんのままバンコク第1日が過ぎ、第2日目もやはりぐるんぐるん。こればかりは仕方がない。病院の朝食をいただいて、すぐに精神科のカウンセリングがありました。
これはおじさんがぐるんぐるんだから手配されたものではなく、前回の手術から今回までの間に制度が変わって、性別適合手術を受ける人は全員カウンセリングを受けなければならなくなったのです。世界各国で性別適合手術に関する法律が整えられつつあって、患者から望まれるままに手術したんじゃいけませんということですな。
おもしろいのは、カウンセリングが精神科の診察室で行われるのではなく、精神科医と通訳さんが病室に来てくれるということ。手術に関する診察はアテンドさんが通訳してくれますが、精神科の診察は病院の通訳さんが来てくれます。診療科によって通訳に必要な語彙が違ってくるのでしょうな。
カウンセリングが終わったら、腸内洗浄。例の大きな機械にセッティングされてしばらく放置されるやつです。肛門からじゃばじゃばお湯を注入されて、腹がいっぱいになったら出す、というのを小一時間繰り返します。お腹すっきり。
病室に戻ったら剃毛。と告げられていたのですが、待っても待っても音沙汰がありません。やがて昼食の時間になり、夕食の時間になり、夜。どんだけ待たせるねん。日程については何にも言われてないし、ただただ病室で「忘れられてるんじゃないか」という不安をお供に待ちます。
食事はもったりどろどろとしたスープと、ゼリーと、ジュース。手術を控えているので固形物は食べさせてもらえません。ゼリーは昼食だけ。夕食はどろどろスープとジュース。スープは味がほぼなくて、どろどろとした舌ざわりが気味悪く、でも全部食べました。
剃毛がはじまったのは21時。12時間ほど待ったことになります。何だか乱暴に2人がかりで看護師が剃ってくれたのですが、ドライシェーブです。へそから下をT字カミソリでぞりぞり。痛いの。雑な感じに30分ほどかけてぞりぞりされて、「シャワーですすいでおいて」とまた放置です。
剃毛した跡をシャワーで洗って、その日はそのまま就寝。手術はさらに翌日だったんですね。それくらい先に教えておいてよう。と、後から思ったのでした。
という訳で、みなさんが心待ちにしているちんちんをつくる手術の話は、次回のお楽しみです。も少し待ってね。
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