おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

かさぶたがらがら

ごきげんよう、鶏肉はももよりもむね肉のほうが好きなおじさんです。フライドチキンならキール

さて、前回の当ブログをお読みくださったみなさんは、「えらいことになってるなー」とお思いだったのではないでしょうか。えらいことなんです。タイで手術した患部もえらいことなんですが、おじさんの持病もえらいことなので、もーさっぱわやです。

左腕の術創が塞がってなかったのに包帯を取っちゃって、岩のようなかさぶたができてしまったおじさんは、その後どうなるのか。今回のお話はその続きからです。

性同一性障害の当事者が病院へ行くこと

ごつごつとしたかさぶたができて、しばらく経ってからようやくのことで、近所の総合病院へ出掛けたおじさんは、そこの老外科医に腕を見せました。

おじさんの場合は「性別適合手術を受けた」ということを他者に告げるのを特に避けてはいないので、お医者に「これ、どうしたの?」と聞かれたら「性別適合手術で皮弁を採取した後で……」という説明をしました。

性別適合手術を受ける人の中には「性別適合手術を受けた」とは誰にも言いたくない人もいます。そういう人は、おじさんみたいなことになるととっても困るんだろうなと思います。

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性同一性障害の当事者であること、性別適合手術を受けたこと、出生時に割り当てられた性別など、一切言いたくなくて、病気になっても病院で診てもらわずに、最後は癌で亡くなった人も、実際にいます。当事者の間では結構有名な悲しい話です。

そういうことがないように、医療者の知識を増やして人権感覚を養うこと、保険証の性別表記に工夫することなど1990年代から少ーーーしずつ改善されてきまして、現在では性同一性障害トランスジェンダーの人たちが病院へ行けずに亡くなってしまうという事例は少なくなって……るのかな?

おじさんは性同一性障害の当事者だということを、わざわざ自分から言ってまわるようなことはしませんが、特に隠してもいないので、言う必要があるときは平気で言えます。

おじさんが性別適合手術を受けた頃は、そろそろ専門医以外の医療者の間でも「性同一性障害」という疾病の取り扱いについて少しは広まっていたので、老外科医に受診したときも特に驚かれることもなく、「あーそー」て感じですぐに腕の治療の取り掛かってもらえました。

がらがらがら

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さあ、この広範囲にはびこるごつごつと岩のようなかさぶたをどうするかというと。

少しずつ割りながらそっとはがしていきます。

ひとかたまりを一気に外そうとすると、また傷がぱっくりしちゃうので、かたまりになったかさぶたをピンセットでコツコツと叩いて小さく割って、やさしく外していくのです。

内腕の親指の下の傷が、全長10cmと少しくらい。ぱっくりしてしまってその後かさぶたができたのが5cmくらい。かさぶたの厚みが、でこぼこしてたけど一番厚いところで1cm近くあったんじゃないかな。結構ごっつい。

それをピンセットの先でコツコツ……と叩いて砕きながら、破片を取り除いていくという地道な作業を、老外科医は立ったまま長時間してくれました。おじさんは椅子にすわって採血台に腕を乗せて、そっぽ向いてました。だって傷見るの怖かったんだもん。

外したかさぶたは銀色の盆に入れられて、がらん、がらんと音を立てました。何かね、外したかさぶたって、軽石みたいなの。軽石の欠片ががらがらがらって。

30分くらいかかって、老外科医はかさぶたを全部はがしてくれました。はがした後は、抗生剤らしい軟膏を「盛って」、その上を、前回の当ブログでお話ししました尻の治療のときに登場した絆創膏で覆うように貼って、防水シートで保護して、おしまい。

腕のその後

3日に1回くらい通院して、絆創膏をはがして、抗生剤の軟膏を傷に盛って(「塗る」と言うよりたっぷりと「盛る」感じ)、新しい絆創膏を貼って防水シートを被せるという治療をしてもらいます。これが一ト月半くらい続いたのだったかな。

防水シートを被せてもらってはいますが、できるだけ濡らさないようにしないといけないので、やっぱり入浴は難しいです。

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この写真は術後7年経っていて、傷もずいぶんきれいになっています。手術間もなくはもっと赤っぽくて生々しかった。でもケアすればもっときれいになっていたかも。おじさんは途中で面倒になってケアをやめてしまいました。

術後すぐは動かなかった手指もリハビリを続けたので、術後一ト月くらいでペットボトルのキャップも開けられるようになり、1年後くらいには10kgのダンベルを使ったアームカールもできるようになりました。

でも、手首の脈を見る辺りにものが当たると拇指球(手掌の親指周辺の厚みがあるところ)辺りに痺れとちょっとした痛みがあります。手術のときに神経をさわってしまったのかな。

だから、腕時計やブレスレットなどはつけられません。腕時計が必要なときは右腕につけています。あと、病院で採血するときに、以前はずっと左腕から採ってもらってたのですが、やりにくそうなので右腕を出すようになりました。どっちにしても、おじさんは血管が見えにくい人なのですが。

腕だけじゃない

前回お話しした尻の傷も、今回お話しした腕の傷も、どちらもキズパワーパッドみたいな保湿する絆創膏を傷に貼りました。

前回ちらっとお話ししましたように、おじさんが幼い頃はかさぶたをつくって、かさぶたがはがれたら傷は完治、みたいな考え方が巷にはありました。怪我をしたら水洗いか消毒液で消毒して、ちょいちょいと薬をつけて、おしまい。

おじさんが怪我を一番たくさんした頃、就学前から小学3年生くらいまでかな? その頃はそんな風に傷の治療をしていました。乾燥状態を保つようにしていたのですね。

しかし、現代医療では「湿潤療法」が標準なのです。

消毒しないのですね。そして、キズパワーパッドのようなハイドロコロイドなどの被覆材で傷を覆って、乾燥させないようにすることで治癒を促すとのことです。

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そんなわけで腕も尻もハイドロコロイド絆創膏を貼っていたのですが、尻は水疱ができては破れてなので、絆創膏が浸出液を吸い込んで重くなったりしました。多い日の生理用ナプキンみたいな。

面倒なことにはなりましたが、それでも診てもらえる病院が自宅から歩いて行ける範囲にあったのは幸運であったと言えます。これほど近くになければ、うつの病状が芳しくなかったおじさんは、まだ病院へ行っていなかったかもしれません。

3日に1回程度、週に2回程度のペースで病院へ1ヶ月半ほど通って、ようやく傷が塞がりました。その間、腕と尻の傷にだけ気をつけていればよかったかというと、そうではなかった。性別適合手術でもっとも複雑な手術を施した部分、外陰部のケアもしなくてはいけないのです。

という訳で、次回は外陰部のお話から。外陰部ですから、みなさんが好きなちんちん周りのお話です。お楽しみに!

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