おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

ほかにもある手術のお話

ごきげんよう、入浴+夕食のコンボを決めるとその後のやる気が失われてしまいがちなおじさんです。

性別適合手術の乳房切除術、おっぱいを切り取る手術にはじまった一連のおじさんの手術のお話が、前回の更新でようやくおしまいになりました。長かったですね。

これですべてのおじさんの手術話が終わったかと言うと、実はそうではなかったりします。これまでお話しした以外に、おじさんは2つの手術を受けています。ついでだからそのお話もしちゃいましょうね。

おじさんの手術の体験

おじさんの記憶に残っている最初の手術は、目の手術です。俗に言う「逆まつげ」というやつで、生まれつきだったのです。

「逆まつげ」というのは文字通りまつげが逆さに、つまり、まぶたから目の外側に向かって生えているはずのまつげが、目の内側に向かって生えていることで、そうすると眼球を傷つけてしまいます。診断名は「眼瞼内反」です。多分。

「多分」と頼りないのは、当時おじさんは小学1年生で、碌に症状や術式の説明をしてもらえなかったからです。お医者の説明は本人を通り過ぎて親に行ってしまうのですな。

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自分では「逆まつげ」という俗名で呼ばれる病気だということ、まつげが眼球に向いて生えていて眼球が傷ついているということ、ものごころついた頃から近所の眼科医に通っていたというのに執刀医の初診で「何でこんなになるまで放っておいたんですか」と親が怒られた(眼球が傷だらけだったそうな)ということしか知らないんです。

という訳で、現在調べてみてこれに該当するんだろうな、というのが「眼瞼内反」なのです。

対して、直近の手術は実は尿道狭窄の手術ではなく、手首の手術です。手根管症候群と言って、手首の腱が圧迫されて痛くなっちゃうやつで、切開して治します。局所麻酔で手首を切るというスリリングな手術。

この2つの手術についても、憶えている限りにはなりますが、お話ししておきましょう。

逆まつげのお話

ものごころついた頃には祖母に手を引かれて眼科医に通院していました。祖母も眼科で診てもらっていたので、ついでっぽくもありましたが。

ものごころついた頃ですから、3歳ほどです。その頃既に「逆まつげ」という言葉を憶えていて、その治療のために通院しているのだということは把握していました。その治療の方法は「針+電気」でした。

目頭すぐそばに針を刺してですね、その針に電気を通してカッチカッチ言わせる機械があるんですよ。それで10分とか15分とか、それくらい電気でカチカチしていたのかな。通院は1週か2週に1回くらいだったかしら。

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小学校1年生になるまで通院を続けていたのですが、秋口のある日、母親がおじさんを別の眼科に連れて行きました。おじさんが住んでいた街で一番という評判の眼科医です。後にこちらのご子息がそこそこ名の知れたミュージシャンだということを知るのですが、それはまた別のお話。

その街で一番の眼科医におじさんの母が「何でこんなになるまで……」って怒られまして、直ぐに手術が決まったのです。つまり、3歳から7歳まで続けた近所の眼科医への通院は、目頭に針を刺す治療は、ほぼ無駄だったということですな。

通っていた近所の眼科医というのが古くからある個人医で、お医者先生はひょろっとしたじーさんでした。「自分で自分を診なければならんのじゃないか」と揶揄されることもしばしばのじーさんでしたが、おじさんの祖母なんかはお互いが若い頃から診てもらってたんだろね。

手術は前日から入院して、時間が着たら術衣に着替えてストレッチャーに乗せられて麻酔。おそらく後に点滴とか吸気マスクとかつけて全身麻酔をしたのだろうけど、ストレッチャーの上で左右の腕に1本ずつ注射をして、2本目の注射針が腕から抜かれたのをおじさんは知らない。早々と眠ってしまったのですな。

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目が覚めたら両目眼帯。何も見えんよ。やたら喉が……というか、例に洩れず口渇がひどいのですな。でも水は飲んでは駄目と言われて、ずいぶんグズりましたな。何しろまだ小学1年生でしたから。

6人ほどの大部屋に入院していて、近くのベッドにいたばーちゃんが「喉渇くけど我慢しよなー」っておじさんをあやそうとしてくれたり、ずいぶん愛想よくお世話くださったので、退院してからお礼の見舞いに行ったことを憶えています。

ばけものあつかい

入院は短くて済んで、3日くらいだったかな。水が飲めるようになってすぐに退院したように憶えています。でも、抜糸までは両目眼帯なので、学校へは行けなくて自宅療養でした。

逆まつげの手術って上瞼だけと思われがちですが、おじさんのまつげは左右上下全部逆まつげだったらしく、左右上下切ってるんです。だから両目とも眼帯。見たことありますか、両眼帯。

一見、両目が塞がれているんですが、実は眼帯の下でまばたきはできるし、隙間から見えるんですよ。それに、おじさんは生まれたのも実家で、生まれた瞬間からずっと住んでいる家ですから身体の感覚でだいたい歩きまわれてしまうんですね。家で過ごす分には何ら困りませんでした。

手術より抜糸が痛かった。当時は溶ける縫合糸がまだなくて、1本ずつバチンと切って、プチッと引き抜かれる訳ですが、糸と皮膚がくっついていて抜くのが痛いんですよ。それが縫った数だけ繰り返されます。

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泣き叫んだりはしませんでしたが、痛いので涙が滲んできます。すると涙は術創によろしくないらしく、抜糸している医師に「泣いたらあかんよー」なんて言われたりしました。「あかんよー」ったって涙は勝手に出てくるんだもの。

自分からは見えなかったし気にはならなかったのですが、縫合後が内出血で真っ青になっていました。両方の目の周りが青いのです。もちろんそれは時間とともに消えて、いまは全然残っていませんが、当時は結構なインパクトだったようで、術後初登校時に担任教師が、おじさんが教室に入る前に級友たちに注意をしていました。

「おじさんは手術をして目の周りが青くなっていますが、おばけとか言っちゃいけません」とか何とかの注意でしたが、おじさんが教室に入った途端にクラス中が「おばけー!」「ばけものー!」と大騒ぎ。先生の注意、逆効果だったんじゃないの?と後に思ったりしました。コドモは容赦ないね。

こういうときに無自覚の差別だとか人権だとかの話を学校側はしておくべきだと思うんだけど、このときはそんな話あったんだかなかったんだか、憶えていません。何しろ40年以上前のお話だから。

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