おじさん、ものごころつく〔個人史1〕
ごきげんよう、数年振りに写真に写って自分の身幅のでかさに改めて驚くおじさんです。
▲(身体が)幅広いおじさん
前回までは性別適合手術に関係がない手術のお話をいくつかしていました。切ったり貼ったりつついたり、おじさんの身体はいろいろいじられています。その都度大変だけど、そのたびにそれまでやったことがなかったことを経験できているのが楽しいです。
今回からは、そういったことも含めたおじさんの個人史をお話ししていこうと思います。性別適合手術に至る経緯も含みます。だから、「性別適合手術や性同一性障害にカンケーない話はつまらん」と思っていたみなさんにも、またお読み頂ければと思います。
おじさんも割りと長く生きてますので、長いシリーズになるかもしれませんが、ぼちぼちとお話しして参りましょう。のんびりお付き合いくださいな。
「個人史」って何だ?
まずは「個人史」って何だ、というお話を序段としてしておきましょう。
個人史というのは、別の言い方をすると「自分史」です。生まれてからこれまでの個人に関する歴史を振り返るってやつですな。ちょっとした地位やお金がある人が晩年になると本のかたちにして残しちゃおうとするアレです。
性同一性障碍の診断への過程も、担当医への個人史の開示からはじまります。幼い頃の自分はどんな子でどんなことを考えていたかなんてことを、性別やらジェンダーやらに関係するところを中心に話します。
口頭で話すのは時間がかかるので、診察に際して予め書面にしておいて、それを担当医に渡す人もいます。これだと医師が手隙の時間に読んでおけるので、診察の時間を使わずに伝えることができます。おじさんはこの方法を取りました。
おじさんはもともと口頭でのコミュニケーションが下手で、文章を書いたり読んだりの方が内容を把握しやすいタイプなので、実際に会ったり電話したりよりもメールや手紙を使っての連絡を常に選択します。だから書面の方が都合がよかったのです。
織田信長が死に際に舞ったという「敦盛」の謡によれば「人生五十年」。人生を1回終わっちゃったおじさんが過ごしてきたのはどんな人生だったのか。全部は到底無理なので(おじさんも憶えてない)、要所を摘まみながらお話ししていきますね。
世界の国よこんにちは
おじさんが生まれたのは1970年です。日本中が沸いた大阪万博が開催された年ですね。おじさんはその会期中に生まれました。三波春夫先生がお歌いになる万博のテーマ曲『世界の国からこんにちは』が巷に流れ、日本中の人々が未来に想いを馳せていた、そんな時代です。
「まだ生まれてなかったよ」という若いみなさんは、浦沢直樹さんの『20世紀少年』という漫画の最初の方を読んでみると、時代の雰囲気がわかるかもしれません。
主人公・ケンヂはおじさんより10歳くらい年長なのかな? 万博に行きたいけど行けなかった子供の1人です。途中から主人公はケンヂから娘のカンナに変わっちゃったけどね。
あるいは、アニメ『クレヨンしんちゃん』劇場版の1作、『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』。万博の頃に未来を夢見ていた、楽しい時代を過ごしていた大人たちが、現代を壊して「あの頃」を再来させようとするお話です。
これは作中で「大阪万博」とは明言されてはいないのですが、観客がおそらくそのように共通認識するであろう設定や舞台装置がたくさん仕掛けられています。
そんな風に、作品に描かれたりモチーフにされたりがたびたびの時代に、おじさんは生まれました。
▲ 一度は肉眼で見ておくべき造形物、太陽の塔
「当時の誰もが万博に行きたかった」というのは誇張ではなく、おじさんの家族も千載一遇の機会を得て会場に赴いています。おじさんを産んで2週間ほどしか経っていない母までもが(生まれたてのおじさんを置いて)行ったのでした。
余談になりますが、ポルノグラフィティのデビュー曲『アポロ』の歌い出しにこういう一節がありますね。
僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう
アポロ11号は月に行ったっていうのに(作詞:ハルイチ)
アポロ11号が月面着陸に成功したのは、実はおじさんが生まれる前年の1969年のことです。だからおじさんから見ると「ずっとずっと前」ではないんだなあ。ちょっと前。
みんなが生まれてくるずっとずっと前には
たいていの人がそうなのだと思いますが、おじさんには生まれた頃の記憶は残っていません。おじさんが持っている最も古い記憶は、1973年4月のことです。
その日はお天気がよくて、壊れたカメラをおもちゃとして使いながら、自宅の中庭でおじさんは遊んでいて、母親や近所のおばさんに見守られていました。みなさんは壊れた時計などの壊れた機械をおもちゃとして与えられたことはありませんか?
おじさんの世代はそういうことがよくあって、既に壊れているものなので気兼ねすることなく分解なんかしてみて、それによって機械の構造や仕組みを知ったものでした。で、分解するとたいていもと通りには戻せないのな。
そのときも、シャッターが「カシャッ」と音を立てるのがおもしろかったおじさんはカメラマンを気取っていろいろ構えてカメラのシャッターを切って遊んでいたのですな。その中で「ちーちゃんは明日から3歳やな」と母親がおじさんに言ったことを憶えています。誕生日の前日のことだったのですね。
だから、気候や服装を憶えていて判断したのではなく、誕生日の前日ということから「4月」と判断しています。おじさん4月某日生まれなので。これは記憶ではなく後々の判断です。
しかし、母がおじさんに言った言葉ははっきりと思い出せます。2歳最後の日の記憶が、おじさんの最も古い記憶です。そしてこのとき既に、おじさんは「自分は女の子ではないな」と感じていました。理由はありません。
みなさんは現在、「自分が自分である」という確信を持っておいでだと思います。たったいま自分自身が認識している自分というものが、実は他人なのかもしれない、という不安を持っている人は、ほんとうに僅かではないでしょうか。
では、なぜ「自分が自分である」という認識を持っているのでしょうか。読者のみなさんは、ご自身のその認識について説明できますか?
あるいは、自分の性別についても、なぜ自分がその性だと判断・認識しているのか、他者に対して明確に説明できますか?
これ、なかなか難しいと思います。もしかしたら、これまでそんなこと考えたことがなかった、という人も多いのではないでしょうか。
ものごころついた当日のおじさんも、おそらくそういうことだったんだと思います。
ただ、このときはまだ「女の子ではないな」という意識はあったものの「自分は男性である」という確固たる意識があった訳ではないです。ま、たいていの幼児にはそういった意識はまだないでしょうな。
長篇大河ロマンの予感
おじさん、2020年の誕生日で生誕50周年を迎えたんですが(50周年記念のバースデーライブツアーは残念ながら中止)今回の記事はまだ3歳時点のお話です。あとたっぷり40年分はお話しすることがあるので、「おじさんの個人史」シリーズはすげー長篇になりそうな感じです。
「おっさんの生育歴なんかつまらんから別の話をしろ」とか「それより○○の話をしろ」とか、ご希望がございましたら、おじさんのTwitterにDMを投げ込んでおいてください。
直接のお返事はできませんが、ご意見は大切に拝読します。おじさんへの窓口は現在のところここだけなので、ご意見はこちらまで。リプライをいただいてもお返事できません。勝手ながらご了承くださいませね。
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