おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

男子と思われたのは間違いでなく〔個人史4〕

ごきげんよう、自宅近所に中華料理店があるのでいい時間にいい感じのいい匂いがしてきて強まる空腹感が悩ましいおじさんです。

前回はおじさんの成長過程においての髪型と服装という「社会的性(表現する性)」に関わる部分についてお話ししました。おじさんは幼い頃から女の子には向いていない子だったよね、て感じの。

今回は前回に同じくおじさんの「社会的性」に関わるお話ですが、今度は「周囲がおじさんに対して見るあるいは求める性」のお話です。

女の子だから/女の子なのに

ものごころついた頃から「自分は女の子ではない」という意識があったおじさん。しかし他者によって女の子に分類されてしまいます。幼稚園に通うようになれば「女の子はこっちに並びなさい」とそちらへ連れて行かれます。おじさんが幼稚園やら学校に通っていた頃は名簿も男女別で、女子側に名前が入っています。

そうやって区分されるたびに「こっちじゃないよなー」と思いつつも特に抗議もできずに、おじさんは幼少期を過ごします。それは小学校に通うようになっても続きます。

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これに関しては、おじさんが学生の間はずっと続くのですね。教育現場で男女混合名簿が採用されるのは2000年以降、おじさんが学生でなくなってから10年以上経ってからのことです。混合されてもおじさんが感じていた違和感というものは解消されなかったようには思うんですけども。

入学式前にスカートを泣いて厭がる事件を起こしたおじさんですが、それ以降は性別カンケーで困ることは特にありませんでした。小学校は私服通学でしたし、家族は女の子らしくないおじさんを咎めることもなく、学校でもおじさんの社会的性(性表現≒服装の性)に異議を唱える人はなかったからです。

全体的にぼんやりと生きていたせいもありますが、「強烈に厭だったこと」というのは特にないまま学生時代は終わります。

性表現への揶揄

ときには「オトコオンナ」だとか言われることは確かにありましたが、おじさんはそれを特に厭だとは思いませんでした。それに、学年が上がるにつれてそういったことを言われる頻度はぐんぐん下がっていきました。

というのも、おじさんはおとなしい生徒でしたが、なぜかおじさんを怖がる同級生は割りと多かったからです。怖いというか、とにかく理詰めで正論しか言わない子供だったので、同級生に(そして一部の大人に)とっては「あいつに何か言うと却って手間がかかる」というめんどくさい奴だったのです。

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さて「オトコオンナ」という揶揄は、おじさんは女性として社会(たとえば学校)に登録されていて、名簿も女性側で、名前も女性名で、だから周囲の人はおじさんを一応女性として認識しているというのに、おじさん自身は女性としての表象を何ら持たず、むしろ男性の表象や印象を持っていて、それを周囲の人が認めていた、ということの表れなんですよね。長い一文になっちゃった。ややこしくてごめんね。

カンタンに言うと、

  1. 周囲の人はおじさんを女の子だと聞いてるしそう思っている。
  2. なのにおじさんは男の子っぽい姿や行動をする。
  3. だから周囲の人はおじさんを「男の子みたいだ」と思っていた。
  4. そのため「女の子なのに男の子っぽい人」ということを揶揄する言葉としておじさんに対して「オトコオンナ」という言葉を発した

という訳です。わかりやすくなったかな?

つまり、周囲の人はおじさんの「登録上の性別」に拘わらず「実際におじさんから感じる性別」を男性と感じていた、ということで、おじさん自身はそれを「自分のほんとうの性別を認めてもらえた」ように思っていたのです。

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また、街なかで見知らぬ人に「お兄ちゃん」と呼び止められることもしばしばありました。ときにはセーラー服を着ているおじさんを捕まえてそう呼ぶ人もいました。これも「間違えられた」のではなく、自分の本質を見抜く人がいるのだと考えていました。

セーラー服を着ていてさえ「お兄ちゃん」と呼ばれるくらいですから、公共のトイレで女子用を使おうものなら非常に怪訝な、胡乱な目で見られること必至で、中にはおじさんを二度見三度見する人もいたのでいたたまれなくて、二十歳になるいくらか前からは男性用トイレを使うことにしていました。こちらは何の問題もなく。

つまり、こうです。

おじさんの出生時に判定された性別を知っている人はおじさんを、あくまで「女の子」として扱おうとして、中には揶揄する人もいたけれど、知らない人たちの間ではむしろ男性として行動した方が生活しやすかった(そうしないとスムースな生活ができなかった)。

生活が男性寄りになってきたのは1980年代の終わり頃で、国内で「性同一性障碍」という言葉が知られるようになるまではあと10年近く必要です。この頃のおじさんはトランスジェンダーだとか性同一性障碍の概念をまったく知らないのですが、知ろうと知るまいと、こうした「男性としての生活」はおじさんにとって必要なものとなっていったのです。

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だから、この世界にトランスジェンダーや性同一性障碍の概念がなかったとしても、日本で性同一性障碍の治療がはじまって多数の人々がそれを知るということがなかったとしても、時期は遅くなったかもしれないけれど、いずれおじさんは男性としての生活に移行していたのだろうなあ。だって女性として生活する方が不都合がたくさんあったのだもの。

 社会を構成する人たちが思う性

「自分が自分であること」を妨害してくる人というのは案外いないものですが、「自分が標榜しているもの」についてとやかく言う人というのはものすごく多いです。

なぜだか「自分が思っている『当たり前』から外れていること」を許せない人はとても多くて、トランスジェンダーやら性同一性障碍やらの人は殊に「表現する性」についてはうんざりするほど他者の意見を聞かされる場面が多いものです。

今回の記事はそういったものの話題でしたが、今回だけで収まりきっていないので、次回も同じテーマでお話しさせて頂く予定としましょう。社会は当たり前に生きない人に厳しいけれど、おじさんは当たり前……と言うか、自分ではない人の思い通りになるのは好きじゃないんだな。

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