おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

入院で進んだこともある〔個人史19〕

ごきげんよう、数字はめちゃくちゃ苦手ですが数学的ロジカルシンキングは結構好きなおじさんです。

病院の入院病棟は部屋が性別によって分けられていて、これは当たり前のことのようでいてトランスジェンダー性同一性障害の人にはちょっとした障壁になっています。おじさんは2000年からしばらく入退院を繰り返したのですが、このときの入院を境に世界観が変わりまして、おじさんにとって大切な経験だったと言えます。

その入院の際の部屋割りについて、前回はお話ししました。今回はお風呂のお話をしましょう。

気楽な終い風呂

入院生活で厄介なのが部屋割りともうひとつ、入浴です。おじさんが入院した病院の風呂は大浴場でして、週の半分は「男性:午前、女性:午後」、もう半分は「女性:午前、男性:午後」という風に入浴時間が振り分けられていました

この点についても転室と同時に病院側が考えてくれて、おじさんは「終い風呂」に決まりました。午前と午後で男女入れ替わりになる入浴時間でしたが、どの日程であってもおじさんは全員が入浴を終えた後に入浴する、ということになったのです。

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こうしておくと、おじさんが風呂を使っている途中で入ってくる人がないだろう、ということです。ひやひやしながら入浴したこともありましたが、入浴姿をほかの入院患者に見られてしまうことは、長い入院生活の間に一度もありませんでした。

長い入院生活。当初の治療計画では入院期間は3箇月とされていましたが、実際は6ヶ月間入院しました。一旦退院はしましたが、あまり予後がよろしくなく、退院から1年後に再入院しまして、この2回目の入院も6ヶ月間でした。当時はこれが可能だったのですね。

おじさんが2回目の入院をしている間に制度が変更されて、住所が病院になっていた人も退院させられて、長期の入院ができなくなりました。現在ではまずは1箇月、長くても3箇月くらいで治っていてもいなくても退院しなければならなくなってしまいました。

お医者頼みのカミングアウト

入院計画(治療計画)を立ててくれたのは担当医のY医師でした。この人は根気よく患者の話を聞いてくれる人で、Y医師だから話せることというのもあり、担当していただいて随分楽になりました。また、性同一性障害についてもいくらかの知識と理解があり、おじさんが「女子部屋ヤダ」と訴えた折りに、すぐに転室の指示を出してくれたのでした。

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秋口に入院して、半年ばかり病院にいましたから、間に年越しなどもありまして、退院は2月半ばでした。さて退院という段になって、おじさんはちょっと不安になったのです。うちの家族は精神科の病いについて大きく偏見を持っている、もしくは誤解しているのだろうと。

おじさんは実は年令が一ト桁の頃から心理学だとか精神医学だとかいうものに興味があって、ものの本などにも当たり、いくらか知識があったので精神科受診も躊躇することがなく(むしろ勇んで行った)、入院には驚いたものの、うつ病の診断が下りたときは「やっぱり」と思ったのでした。

しかし家族は、特に親などは「精神病=気狂い=暴れて周囲に危害を加える人」くらいの偏見を社会に植えつけられて、それを鵜呑みにしているのではないか、という不安がおじさんにはあったのです。21世紀になってもこの手の偏見というのはなくならないのですが、昭和初期生まれの人たちとなれば尚のことでしょう。

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という訳で、退院直前にY医師からうつ病について説明していただけるようお願いしました。

同時に、性同一性障害についても説明をお願いしました。そろそろ家族にも話そうという心づもりがあったのですが、知識があっても所詮素人であるおじさんから聞くよりも、医者から聞いた方が(両親にとって)信憑性があるんじゃないかな、と思ったのです。

電車とバスを乗り継いで1時間ばかりかかる病院でしたが、両親に来院の上、Y医師の話を聞いてもらいました。学のない人たちなので医者が言うことが理解できるのかという不安はありましたが、Y医師から聞くには「わかってくれてます」とのこと。

と、まあ、これがおじさんの家族へのカミングアウトです。ちょっと狡いと言えば狡いかもしれませんが、こういう方法もあります。

 ただ、きちんとした説明があったからと言って、その説明を受けた人がすべて理解できるとは限らないんですな。おじさんの両親だってどれだけわかったことやらです。

それでも、医師からの説明があったからなのか、もともとものわかりがよかったのか、おじさんの母は性別適合手術に際しても戸籍上の性別訂正に際しても、特に何も言いませんでした(父はこのとき既に他界)。

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あと、これは閑話ですが、おじさんとおじさんの母は性同一性障害当事者とその親として、某テレビ局から顔出し出演の打診を受けたことがありました。性同一性障害特例法が施行される頃ですから2004年の話ですね。

そのことを「メディアに出て性的マイノリティの近親者ということが世間に知れると、それだけで社会から何らかのバッシングを受ける可能性がある」という断りを付け加えて、おじさんは母に伝えました。

それに答えて母が言ったことは「これまで生きてきて、あとは死ぬだけだから何も怖くない」ということでした。我が親ながら、強い人だなあと思ったのでした。結局のところ、出演はなかったのですけどね。

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