幼少期に直面する性〔個人史2〕
ごきげんよう、鶏胸肉だけ食べて生活したいおじさんです。脂がないスッカスカの鶏肉大好き。
おじさんの個人史をお話ししています。前回はじまったばかりなので、まだまだ御幼少の砌のお話です。性同一性障碍の診断に関わる個人史としてはこの辺りの話が割りと重要になるみたいですね。
性別とかジェンダーとかの概念をまだ理解していない時期に、自分の性別をどのように考えていたか。おじさんの 思い出話 個人史においても、この辺りに経験したできごとは後々に影響しているようです。
幼馴染みと特撮ヒーロー
おじさんには幼馴染みがいました。ものごころついてから小学校に入学するまではほぼ彼とだけ遊んでいました。1歳年長の男の子です。ごくごく近所に住んでいて、家族ぐるみのお付き合いがありました。
おじさんの就学前には仮面ライダーの第1作やスーパー戦隊シリーズの第1作が放送されていて、おじさんはそういう番組をよく見ました。
この頃はテレビまんが(当時はアニメーションとは呼ばれていませんでした)と同じくらいたくさん特撮番組が放送されていました。『超人バロム・1』、『怪傑ライオン丸』、『仮面の忍者赤影』、『宇宙鉄人キョーダイン』などなど。たいていが「男の子向け」の番組でした。
こういうものを見て、「ごっこ遊び」をする訳です。いまにして思えば、結構運動量が多い遊びではなかったかしら。
他方、「女の子向け」の番組を見なかった訳ではありません。女の子向けのテレビまんがもたくさん放送されていました。『エースをねらえ!』、『魔法使いチャッピー』、『ミラクル少女リミットちゃん』、『魔女っ子メグちゃん』、『ラ・セーヌの星』などなどなど。
つまり、男児向け女児向けにかかわらず、アニメ・特撮は洩らさず見ていたという訳で、おじさんのヲタク気質は既にこの頃からあったのですな。しかし、なぜかごっこ遊びは男の子向け作品に限られていたのでした。おもしろい現象です。
幼馴染みの、仮にTくんとしましょう、彼が女の子向け作品を知らなかったという訳でもありません。就学前から小学校高学年くらいまでは、多くの人は無差別に子供向け番組を見るようですから。
Tくんと遊んでいたから遊びが男の子型に定まっていったのでは?と考える人もいるかもしれません。しかし、どちらかというとおじさんよりもTくんの方がおとなしく、ままごとなども好む子供で、おじさんのままごとこそ「お付き合い」でやっていたものだったのです。自分から「今日はままごとしよう」と発案した記憶は、おじさんにはありません。
おじさんが小学校に入学する頃まで、Tくんとの特撮ヒーローごっこは続きました。それ以降はあまりそういった遊びをしなくなったのですが、それはその頃にTくんが遠方に引っ越してしまったからです。一緒に遊ぶ相手がなくなったのです。
ちんちんへの憧憬
男の子にはちんちんがあって、自分にはない。これを認識したのは、Tくんを通してでした。就学前児童ですから、一緒に風呂に入ることもあったのです。そうすると、身体のかたちの違いが、どうしてもわかります。
ある風呂上がりに、Tくんが素っ裸のまま畳にすわり込んで股間をいじっていたことがありました。いわゆる玉袋の中で玉を右に左に移動させて遊んでいたのです。それを何となく見ているとTくんのお父さんがおじさんに訊ねました。
「おじさんもそんなのほしいか?」
「そんなの」というのは金玉とちんちんのセットのことです。これはおじさんが3歳だか4歳だかのときのこと。このときはじめておじさんは「自分の身体にはちんちんがない」ということと、「自分がちんちんをほしいと思っている」ことを意識したのでした。
それ以来ずっと自分の身体にちんちんがあることを望んでいて、やがて「女の子とされている人にはちんちんがないけれど、自分は特別な体質で(あるいは特殊な種族で)、成長に連れて外性器が変化してちんちんになるのでは」などと中二病的なことを中二になるよりもずっと早くに考えるようになりました。
「ドラゴニュート」を知っていますか?
ファンタジーの世界の住人です。竜と人間のハーフのような姿の生きもので、「いまは半獣半人だが、何れ自分は完全なドラゴンになる」と信じ続けている限り、生命が尽きることがないのだそうです。
そんな風な感じで、信じ続けていれば自分はいつか男性の身体になれるのではないか。それは空想だったか妄想だったかわかりませんが、その頃のおじさんはそんな風なことを考えていたのでした。
泣いてごねた記念撮影
誰にとっても小学校入学はひとつの大きなイベントでしょう。おじさんの入学時もちょっとした事件でした。
一定の年代以上の、出生時に判定された性とは異なる性自認を持つ人の多くが経験している「ランドセルの色」問題。そして服装問題。ご多分に洩れずおじさんも、ぶち当たっております。
おじさんが小学校進学を意識するよりも早く、ランドセルは我が家にやってきました。つやつやとした赤いランドセル。立派な鞄です。でもやっぱりおじさんは、「黒の方がかっこいいなあ」と思ったのです。1年年長のTくんが背負っていたものを先に見ていたからです。
しかしそれはさほど大きな問題ではありませんでした。おじさんは自分ちがビンボーで、ビンボーの子は親にお金がかかるお願いをしてはいけないのだと既に知っていたので、諦めがついたのです。
それよりも服です。それ以前にもおじさんは「女の子っぽい服」を買い与えられたものの、着るのを厭がって泣いて抵抗して親のみならず親戚連中までを困らせたことがありました。そのときは「女の子向けデザインのパンツルック」だったのですが、入学式用に用意された服は、スカートとブレザーのセットだったのです。
入学式の数日前に、自宅で着て記念撮影をしておこうとしたのですが、そのときも泣いて厭がりました。いま振り返ってみると、なぜそんなに厭だったのだろうと思うのですが、当時はとにかく絶対にスカートをはきたくなかったのです。
紺色のブレザーとプリーツスカート、赤いエナメルの靴。絵に描いたような女の子の新一年生。親はきっとにこやかな晴れ姿を撮影したかったのだと思います。それをずいぶん手こずらせました。それでも最終的には、泣き顔ながら撮影は行われたのでした。
入学式も同じ格好で出席しました。そのときの写真が先日発掘されましたので、掲載しておきましょう。
口数が少なくて無愛想な子供でしたが、周りの人が愛想よくしてくれるので、毎年友達はできました。
入学時に散々泣いてごねたので、それ以降、母はおじさんにスカートを買い与えることがありませんでした。無駄なことは端からしない親です。
服装とか髪型とか
そのような次第で、いわゆる「女の子らしい」服装というのはそれ以降強要されることがなく、母が用意するおじさんの服はトップスはトレーナー、ボトムスはジーンズに定まり、特におしゃれに関心がないおじさんは与えられたものをそのまま着ていました。
毎日同じ服装で「たまには違う服も着ろよ」と思っていた級友などもいたかもしれませんが、パタリロ・ド・マリネール8世殿下と同じで、同じかたちで同じ色の服を何枚も持っていたので、おじさんは毎日着替えているけど毎日同じ恰好だったのです。
それが恥ずかしいとかそんなことはちっとも思わなかったので、その点は親は楽だったんじゃないかと思います。
髪型については、これはまた次回のお話としましょう。次回もよろしく!
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