おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

3度目の帰国の後

ごきげんようコレステロール値は標準値なのに中性脂肪だけがやたら高い数値のためにローカーボ生活を余儀なくされているおじさんです。ローカーボでも痩せない。

タイでの3回の手術が済んで、ようやくおじさんの性別適合手術は終わりました。乳房切除術(おっぱいを切り取る)から数えると、ブランクが長かったのもあって、15年ほどかかりました。

戸籍上の性別訂正の話を挟んで、今回からは帰国後のお話です。陰茎形成術(ちんちんをつくる)が終わって帰国したおじさんは、どんな予後を過ごしたのか。これが大変だったのよ、というお話をして参りましょう。

手術をした箇所

3度目の渡タイでおじさんが受けた手術のメインは陰茎形成、つまりちんちんをつくる手術でした。ちんちんをつくるためには、切ったり縫ったりするのは性器だけでは済まないのです。

2度目の渡タイのお話をお読みくださったみなさんは既にご存じの通り、ちんちんの材料は左前腕の内側から採取する皮弁です。腕の内側にトンネルを開けて、半年以上待って、それからその部分を切り取ってちんちんのかたちに形成するのでしたね。

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▲陰茎形成術の前段階から陰茎形成術へ。内腕に開けたトンネルにカテーテルが入っている。

トンネルにはカテーテルを留置して塞がってしまわないようにしていたのでした。このトンネルが後に尿道になった訳です。

では、ちんちんの材料として皮弁が切り取られた跡地はどうなったでしょうか。

皮弁を切り取ってそのまま放ってはおけませんので、別の場所から皮膚をもらってきて貼りつけます。皮膚は尻からもらったのでした。

尻の皮膚は全部剥いでしまうのではなく、厚みの半分くらいをうすーく剥がして取るので、尻の皮膚がなくなることはありません。でも、薄くなった分、傷つきやすいです。

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▲皮膚を取った後はこんな感じに傷になります。 この写真は術後1年くらい。

という訳で、腕と尻とちんちんに未治癒の傷を持ったままおじさんは帰国したのです。

座する生活で尻は

 帰国したばかりは持病のうつもひどいのでぐったりしていましたが、帰国すぐに薬をもらって服みはじめたので、薬が合えば2週間くらいで動けるようにはなります。

実は帰国後のドラッグコントロールはあまりうまく行かなくて長い間不調ではあったのですが、起き上がれる限りは仕事はしないといけないてことで、おじさんの仕事場は自宅でしたので、仕事してました。

当時のおじさんの仕事環境はこうでした。

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1日中、座布団の上で胡座をかいていて、そうでないのはトイレと風呂と寝るときだけ、という生活が毎日続きます。腕は帰国後2週間ほど経つまで包帯は取っちゃ駄目という指示がありましたので、入浴は濡らさないようにしつつのシャワーだけでした。

ただすわって毎日を過ごしていただけなのですが、尻に水疱ができるようになりました。水ぶくれです。水ぶくれなので、破れると滲出液が出ます。破れると、すっごくひりひりと痛みます。

でも、破れちゃったらそのうち治るだろう、とそのまま放置していました。するとまた水疱ができて、破れて、またできて、というのを何度か繰り返すうちに、水疱は大きくなっていきました。

すると滲出液も結構たくさん出るので「これはいかん」と、術後すぐの寂しい懐にはとても厳しかったのですが、少しお高い絆創膏、バンドエイドキズパワーパッド(大きめ)を買ってきて尻に貼りました。

前項の写真では患部は身体の側面に近いように見えますが、すわっていて水疱ができた部分は写真で見える赤くなった部分とは少し違って、尻の谷間に近い部分です。自分ではなかなか見られない場所なので、絆創膏を貼るのも一ト苦労。

これで何とかなるか、と期待していましたが、水疱はさらに大きくなって、破れるとおパンツがしっとり濡れてしまって着替えないといけないくらいに大量の滲出液が出るようになりました。それくらい大きくなると、破れた水疱の皮と尻の肌とが擦れる痛みも出てきました。

「これはいかん」と、ようやく近所の外科医へ走ります。

診察台にうつ伏せになり、尻を出しますと、お医者はまずは滲出液を拭ってくれました。患部に消毒液を塗布した上で、大きな水疱をすっかり覆えるくらいの大きな絆創膏を貼って、さらに防水シートで覆ってくれました。

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大きな絆創膏。A3サイズくらいの絆創膏というのが、病院にはあるのですね。それを必要な大きさに切って使うのです。この絆創膏が、キズパワーパッドと同じように、滲出液を吸い取って傷を乾かさないようにしつつ治してくれます。

この傷のために、3日に1回くらい通院することになりました。治癒までに1箇月ほどかかったかな。

尻には水疱があってすわると痛いし、腕は大きな傷があるし、うつは調子よくないし、非常に気分が重い帰国後です。

腕ぱっくり

帰国後2週間後くらいの日にちを指定して、「その日までは包帯を取ってはいけません」と指示されていました。

じゃ、その日が過ぎたら包帯を取っていいんだ。

て思うよね? 思いますよね?

だからおじさんも包帯を取ったんです。そしたらね、傷が塞がってなかったの。手首の辺りがぱっくりだったの。

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ひー。どうする? どうする?

フツー病院に駆け込むよね? どうしていいかわかんなかったら専門家に縋るもんだよね? ところが。

おじさんはうつ病持ちなのです。しかもこのとき、薬を再開して間もなくで、さらにはドラッグコントロールがうまくいかなくて、うつ状態のずんどこだったのです。さて、どうしたか。

もう1回、包帯を巻き直したのです。見なかったことにしてしまったのです。正常な判断ではなかったということが、いまならわかるのですが、当時は病状がひどいためにわからなかったのです。同居人もおらず、ツッコんでくれる人もいなかったのです。

どうなったか。数日後に気になって包帯を取ってみたらば、手首周辺に岩のようなかさぶたができていました。

かさぶたって、からからにひからびた厚めの皮膚みたいな感じのものを想像するでしょ? 違うの。ほんとうに岩がくっついてるみたいなの。

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それでもおじさんは病院に行きませんでした。なぜか。おじさんは昭和中期の知識を持ち続けていたからです。

昭和中期~後期。おじさんが小学校に通いはじめた頃は、「傷は乾燥させて、かさぶたが自然に取れたら傷は治る」というのが通説でした。だから、かさぶたが自然に取れてしまうのを待とうとしたのです。

でもね、よく考えたら、岩みたいなごつごつしたやつが自然に取れてしまうとか、ないよねー。自然に取れるにしたって、いつまでかかることか。

「うつ症状 + 間違った旧い常識」のおかげで、病院へ行くのが大変遅れました。おじさんが近所の外科医に腕のごつごつかさぶた on ぱっくり傷を診てもらったのは、包帯を巻き直してからさらに1週間ほど経ってからのことでした。

このブログではお話が前後しましたが、腕を外科で診てもらったのは、尻よりも少し前のことです。腕を診てもらっている間に尻が悪化してきたので、「今日は尻も診てください」と言って診てもらったのです。

岩のようなかさぶたができた腕を、お医者はどんな風に処置してくれたのか。次回はそこからお話し致します。つづく!

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