おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

救急車で運ばれた話(2)〔個人史28〕

ごきげんよう、昼間はいつの間にか入眠しているのに夜はあまり寝つきがよくないおじさんです。

はじめて救急車で運ばれたときのことをお話ししています。病院に診てもらいに行ったら病院で救急車を呼ばれてしまい、救急病院に運び込まれたのでした。ベッドの上で採尿することになって、陰茎形成術を受けてからはじめて「ちんちんって便利だ」と思ったのでした。

さて、今回は諸々の検査が済んでのお話です。

来た。

いくつか検査をした後、「ご家族に来ていただきたいので連絡先を」と看護師から請求がありました。わし、そんなに重症なの?と思いながら連絡先を告げて、おじさん自身はそのまま入院となりました。

連れて行かれた部屋が、隔離室です。広めの個室で、ドアが密閉式の自動ドアです。この部屋から一切出てはいけません、と告げられました。食事は看護師が運んでくれるそうです。

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検査の結果は肺炎だったのですが、レントゲン像を見るとモヤモヤと大きな影があって、近頃流行しつつあるという結核の疑いがある、とのことで隔離されることになったのでした。結核は空気感染するからね。

この隔離室がね、ゴージャスなの。テレビ付冷蔵庫付シャワー室付。テレビ・冷蔵庫はテレビカードとかいらないやつ。食事は三度三度、看護師がベッドまで運んでくれて、食器も下げに来てくれます。あらーお大尽だ。

この部屋までストレッチャーで運ばれたので、横になっている間にあれよあれよと手続きが済んで、隔離室のベッドに移ったら即座に点滴がはじまって、おじさん自身はほぼ寝ているだけでした。

入院に必要な衣類や用品などは、以前にこのブログにも書いたかと思いますが、おじさんは「これだけ持ち出せば家出・避難・入院等OK」という鞄を常に用意しているので、親族にそれだけを持ってきてもらえればこと足りました。

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点滴と内服薬が直ちに処方されて、そのおかげか入院当夜から咳も鎮まり、安眠が得られました。咳が出ないっていうのはとても楽な状態なんだなあ。食事も概ね摂れましたし、順調に回復に向かいました。

ただ、最初の2日間ほどは水も喉を通りづらくて、親族にフレーバーウォーターを買ってきてもらいました。少し甘みがある方が飲みやすいんですね。

入院3日目を過ぎると症状もほぼ落ち着き、「明日レントゲン撮影します」と告げられました。レントゲンを撮るならレントゲン室に行かなければなりませんが、おじさんは隔離室を出てはいけませんと言い渡されています。どうするのだろうと思っていたら。

来た。

レントゲンが隔離室に来た。レントゲンの機械とレントゲン技師が隔離室にやってきて、隔離室のベッドの上でレントゲン撮影をしました。おじさんは病院大好きでいろいろな検査を体験してきましたが、こんなのははじめてです。すげー! はじめての体験というのはいつでもわくわくするものです。

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レントゲン検査の結果、入院当初に見られた肺の影はなくなっていたので、検査の翌日は一般病棟に移動、さらにその翌日には退院と相成りました。隔離されて隔離されたまま検査を受けるというちょっとめずらしい体験は、人に話すと割りとよろこばれます。

自ら呼ぶ

さて、そうした救急車搬送→入院の経験をした訳ですが、この経験は他者に救急車を呼ばれるというものでした。よもや病院で救急車を呼ばれるとは思ってもみず、これはこれでめずらしい体験です。

二度目の救急車体験はそれから約10年後。おじさんは背中に謎の痛みを覚えたのです。肋骨の背中の方と言うか、肩甲骨の下辺りというか、とにかく骨の間、身体の奥の方に鋭い痛みが数秒置きに起きるのです。

最初は「痛いな」程度でしたが時間経過とともに痛みはどんどん強くなってきます。あまりに痛いのですが、どの医者に訴えればいいのかわかりません。内科? 整形外科?  そのうちそんなことも考えられなくなってきます。人生初の、と言える強さの痛みがです。

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折り悪しく曜日も時間も病院には頼れない頃合い。しかし、やり過ごすという選択はとてもできない痛みなので、119番に自分で電話をかけました。そう、おじさんは一人暮らし。一人者は自分でできるうちにやっておかなければ、身動きが取れなくなるのです。

消防所のごく近所に住んでいたので、電話を切ってから5分ほどで救急車はおじさんが住むマンションに到着しました。自力で玄関の外に出て、ドアの直ぐ前で担架に乗ります。1Kの自室から玄関までが痛みのせいでとても遠かった。痛みで碌にものを考えることもできません。

救急の人は、戸締まりを気にしてくれます。「鍵はどうするの?」と訊ねられるので施錠の仕方を答えるのですが、3人ほどやってきた救急隊員はそれぞれに矢継ぎ早の質問を寄越すので、おじさんの答えが問いの主までなかなか届きません。何で3人同時に質問してくるねん、わし聖徳太子やないっちゅーの。

通路でワイワイやってるものだからお隣さんが何ごとかとドアから出てくるし、居住歴3年にしてはじめてお隣さんと顔を合わせた瞬間でした。でも痛みで朦朧としてるからおじさんはお隣さんの顔を憶えていません。

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ようやく担架が動き出しましたが、おじさんが住む部屋は3階で、3階建ての建物なのでエレベータがありません。建築法上エレベータの設置義務があるのは4階以上がある建物なのですな。3階以下の設置は任意なのでついてないのがほとんどなのです。

その上、おじさんは紛う方なきデヴなので、担架は1階降りるたびに床に下ろされて、救急隊員がフーッと息をつきます。移動中に「100kgないですよね?」と訊かれたりしましたが、流石に100kgはありません。でも搬送中ずっと「デヴですみません」と思っていました。

そんなこんなでやっと救急車の中へ。しかし、ここからがまた長い。身分証明書(運転免許証でOK)を求められたり、名前や家族構成を訊ねられたり、かかりつけ医を訊ねられたり、またその間に受け入れ病院の問い合わせをしていて、「この病院でいいか」などと訊かれたり、救急車を呼ばなくてはならないほどの重篤な状態の患者がこんなに対応できるかよう(悲鳴)。

停車中の救急車の中で20~30分ほど質問攻め。それからやっと発車です。おじさんが住む市内には救急を受け付ける総合病院が2箇所あります。おじさんは前回、救急車に乗ったときと同じ病院を選びました。

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さて、ERに到着してベッドに移ると、救急隊のみなさんの仕事はそこでおしまいです。おじさんの主訴は耐え難い痛みですが、その原因が不明なのでそれを探るところからはじまってしまうのですね。いや、いろいろやる前にとりあえず鎮痛の処置をしてほしい……。

血圧測定、血中酸素濃度測定、採血、採尿などなど……たっぷり小一時間は処置なしのままで、そうするとその間に痛みは何となく薄れはじめていて、検査の結果は「異常なし」で結局原因は不明のままです。でも痛いので取り敢えずの鎮痛剤の点滴をしてくれました。これを最初にしてほしかった。

点滴も小一時間ほどでした。終わる頃には痛みは9割方消えていたので「帰っていいです」とのことで救急医療料金を清算して退院。このときのおじさんが思ったのは「この処置内容なら救急車に乗らなくてもよかったかも」。病院を出ると深夜も深夜、日付が変わろうかという頃でした。

謎は謎のまま

これまで経験したことのない強烈な痛みは原因がわからないままで、いつ、何をきっかけに痛みが再発するかわからないので、ずっとビクビクしていました。一応、原因を探るべく病院には行ったのです。複数箇所複数科を渡り歩いて、得られたのは次のような結果です。

泌尿器・内科(主治医)「腎臓や胆石ではないみたいだし、整形外科じゃない?」
→ 整形外科「骨に異常はありません。循環器内科じゃない?」
→ 循環器内科「どこにも異常はありません。主治医に訊いてみて」
→ 泌尿器・内科「何やろね?」

という、たらいまわしの上、原因はわからずじまい。わかったのは整形外科・循環器内科・泌尿器科・内科の各科でそれぞれにいくつかの検査をした結果、どこも悪くない=とても健康だということです。やったネ!(ええー?)

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その後「再発しそう」ということは何度かあったものの再発はなく、持病でしんどくなる以外には何ら異常は出ていないのですが、何だか釈然としないのでした。

救急車に乗った2例をお話しした訳ですが、一方は救急車に乗るつもりはなかったけど乗って助かったお話、もう一方は救急車に乗らないとどうにもならないと判断して乗ったものの救急処置はいらなかったんじゃね?というお話でした。

人体とは不思議なもので、多少の傷なら放置しても治癒してしまうけれど、特に原因もなく痛みが発生することもあるのですな。そういうことがわかった経験でした。

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