おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

よくある質問よくした回答〔個人史25〕

ごきげんよう、加齢で揚げものはあまり食べられなくなってきたけど鶏の唐揚げはどんどん食べられちゃうおじさんです。

前回はおじさんの実父がろくでもない人間で、おじさんは随分抑圧されて幼少期から青年期を過ごしたというお話をしました。要はおじさんの厭な体験をお話しした訳で、読んであまりいい気がするものではなかったと思います。ごめんなさいね。

今回からはおじさんの厭な体験を具体的に話す、ということはないと予定でので、引き続きお読みいただければと思います。

診断前からうつ?

医学的に信用できるのかわかりませんが、雑誌によく掲載されている「あなたのうつ度診断テスト」の類い。ご存じですよね。おじさんは幼い頃から心理学系の話題が好きだったので、そういうのも見かけるたびにやってみたのですが、小学3年生の頃には「今すぐ病院へ」という結果が出るのが当たり前になっていました。

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おじさんにも思春期というものがありまして、その頃は父と同じ建物の中にいるという、それさえもが苦痛でした。20代になる頃には殴られる頻度は減りましたが、それでも父が気に入らないことがあれば暴れたり人に当たったりすることに変わりはなかったので、おじさんは常に「次に殴られたら家を出る」と決めて、鞄ひとつに荷物をまとめていました。

当面、必要な着替えや日用品などを詰めた鞄は、結局のところ家出という用途には使うことがないまま、おじさんは世帯を出ることになりました。穏当に一人暮らしをはじめることとなったのです。一ト通りの荷物を詰めた鞄はそのまま持ち続けていて、後に何度も入院をすることになったときに役に立ちました。いまも置いてあります。救急車で運ばれてそのまま入院、てなことになったときに便利です(経験有)。

それは多分関係ない

おじさんは35歳以降、たくさんの人と出会う機会を得ることとなります。35歳というと、うつ病で倒れて二度の入院を経て、そろそろと復帰してきた頃です。おじさんは精神障碍者であることも性同一性障害当事者であることも隠さないことにしている(自分から喧伝もしない)ので、おじさんがそれぞれの当事者であることを知る人も少なくありません。

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そういった人からときどき訊ねられるのは、「うつ病になったのは性同一性障害が原因か?」ということです。性同一性障害なんて言ってみれば生まれつきのものですし、うつ病の傾向も小学3年生辺りには既にあった訳で、もしかしたら関連はあるのかもしれません。しかし、うつ病の原因を探ることに意味はありません。原因がわかったところで、おじさんくらいの重篤患者になると原因を除いてももう治らないのだから。

それでも、おじさんはちょっと考えてみるのです。考えてみるに、性同一性障害うつ病はカンケーないんじゃね?と思います。というのも、性同一性障害というか、おじさんの性別違和はものごころついたときには既にあった訳で、「あることが標準」だったのです。むしろ「ほかの人もあるでしょ?」的なものだった訳で、ことさら「苦痛」であった訳ではないのです。

むしろ「苦痛」は父の存在です。聞くところによると世間では「父」という存在は頼もしくてやさしくておもしろいものなのだとか。学生時代に同級生から聞いた、父親と対等に会話して、ときには「アホか」などとツッコミを入れたりするのだという話を、おじさんはフィクションとしか思えませんでした。何しろそんなことをしたら、おじさん家では間違いなく殴る蹴る叩くフルコースになりますから。

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自分の家だけでなく、どの家でも父親というものはだいたいそんなものなのだと、自分の父親は多少度が過ぎるだけなのだと思っていたのですが、知見が蓄積されるにつれ、同級生宅のように冗談も言い合えるのが「一般的な」親子なのかもしれない、という風なことが考えられるようになってきました。それにはさらに10年以上がかかったんですけども。

うつ病の原因

おじさんは高学年になるに従い、何とか「法に触れない方法で父を葬り去る方法」はないものかとを探るようになりました。おかげで法律や薬物にやたら詳しい子供になりました。呪術などにも関心を持つようになりました。呪殺を実行・成功して犯人であることが特定されても現在の日本の法律では裁くことができないとか、役に立つのか立たないのかわからない知識を得たりして。

そういった感じで、明らかな苦痛として日々常に感じていたのは父による抑圧で、性別違和はそのほかにある雑多な困苦のひとつだったのです。性別違和は確かに生活の妨げにはなりましたが、父は生存の妨げですらあったので、どちらがおじさんの平安をより侵害しているかと言えば、圧倒的に父でした。

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後にして思えば、20年以上も常に抑圧されてはっきりと苦痛を感じている状態で過ごしていたのですから、何らかの精神疾患を罹患して当たり前だなあ、などとしみじみ。眼瞼下垂の手術でお世話になったM医師の診断で、緊張度が「戦場の兵士と同程度」と言われたのはそういうことなんだなあ、と妙に納得したり。

このような次第で、そもそもの話おじさんのうつ病に原因なんてものがあるかどうかさえ実際のところはわからないのですが、もしも原因があるとするなら、それは父なのだろうと現在では確定的に思っています。でももう他界してしまいましたし、追求したところで完治するわけでもないのですから、これを云々しても詮なきことです。

意識しないで済むということ

そうこうしているうちにおじさんのうつ病歴もまる26年、これまで生きてきた半分以上になりました。ほんとうはいけないことなのですが、うつ病者であることがアイデンティティになってしまっている一面もあります。「自分は病人である」などというアイデンティティは持つべきではないのですが、うつ病とは生涯のお付き合いになるので、仕方がないかなー、とも思っています。

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その一方で、性的マイノリティであるとか、トランス男性であるとか、そういった自覚は薄れつつあります。身体のかたちについては「大満足」という訳では全然ないのですが「これでいい」という落としどころに落ち着いていますし、戸籍訂正により書類で困ることもなくなりましたし、そういったことは意識しない生活ができています。

特に性別を意識しなければならない場面も現在ではほとんどないので、性的マイノリティやトランス男性というアイデンティティを持つ必要がないのです。意識するのは医者にかかるときと、学生時代の話をするとき、性的マイノリティとしての話をするように依頼されたときくらいかな。

精神障害者であることも性的マイノリティであることも、どちらもできるだけ意識しないでいられるといいな、と希望しております。

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