おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

入院中に歩いた話〔個人史22〕

ごきげんよう、ヲタクだから得意ジャンルの話になると早口になるおじさんです。

再々入院でまたもや二つ市を跨いだ病院に入ったおじさんは、山間の町で「何もしない」をして過ごしました。が、ぐったりしんどかったおじさんも「何もしない」をしているうちに気力が出てきたのか、「鍛えなければ!」という気持ちが芽生えてきたのでした。

という経緯ではじめた「散歩」。おじさんは散歩で鍛えられたのか。お話ししましょう。

 小高い山に登る毎日

おじさんが今回入院していた半閉鎖病棟は、病棟の外に出るにはいちいち看護師詰所の扉を叩いて「○○に出掛けます」と申告しなければなりません。たとえば「売店に行きます」とかね。出入口の扉を解錠してもらうためです。常に鍵がかかっているのです。

帰ってきたら来たで「帰ってきたので扉の鍵開けてください」とインターホンでお願いしなければなりません。おじさんのような面倒くさがりには結構なハードルです。この面倒さだけで出掛けるのが厭になります。でも、おじさんは毎日散歩に出るようになったのです。

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最初は病院の敷地内を歩くだけでしたが、同じところをぐるぐると何周もするのに飽きてしまって、敷地の外に出て町を一周するようになり、やがて町なかの小高い山に登るようになります。この山に登る坂道が結構な急勾配。ほぼ自動車専用といった感じで、病院内でも語り種の難所でした。

ということをおじさんは一ト息で登れるようになってから知ったのですが。あるとき「どこに歩きに行ってるの?」と看護師氏に訊ねられて説明したところ、「あの山に登ってるの?! すごいな」という反応をいただいて「あ、すごかったんだ」と思った次第です。

小高い「山」と言うよりは「丘」程度のものですが、登りはじめてから頂上まで一ト息に登れるようになるには、3週間~1箇月くらいかかったように記憶しています。それまでは坂の途中で1回か2回、休憩していました。腓腹筋(ふくらはぎの筋肉)が張って痛くて歩けなくなるのです。それくらい急勾配なんです。

腓腹筋が張り詰める感覚や坂を上がって息切れしてくるのが、だんだん気分よくなってきて、毎日頂上まで登りました。ランナーズハイみたいなものでしょかね。登りきった頂上が小さな公園になっていて、町を一周してそこまで登って、一ト休みして病院に帰るというコース(約1時間)が習慣になりました。

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梅雨が空けた頃から秋口の退院まで、雨の日以外は毎日歩いていたので、ずいぶん日焼けしました。歩いて病院に戻ったときに風呂に入れてもらうようにしていて、浴場まで靴下を脱いだ姿で歩いていると、当時の看護師長(男性)に「いいゲートルはいてるな」とたびたび言われたものです。日焼け痕がゲートルのようだったのですな。

ゲートルってわかりますか。脚絆。ズボンの裾がヒラヒラして機械に咬まれたりしないように脚に巻いておく装具なんですが、二次大戦を経験した人が多い時代はだいたいみんなこれを知ってたんですよ。若い世代は知らないよね……。

さて、入浴。風呂は建物が新しくなっても以前と同じく大浴場で、男女別に時間を区切って使用するかたちでした。そしておじさんはやっぱり、全員が使い終わってから一人で浴室を使えるようご配慮いただくという、結構贅沢をさせてもらえていたのです。

2000年頃の病院でこういう風に対処してもらえたというのは、とてもめずらしいことだったし、そういう病院が地元県内にあったというのはとてもとても有難いことでした。

ワールドカップと父逝去

半年の入院の前半は「何もしない」の実践、後半は毎日歩きに出かけることでの体力づくりで過ごしました。

そう言えばこの頃ちょうどサッカーのワールドカップが開催されていて、おじさんが病室で一人ぼんやりしていると、ある看護師さんが「いまから日本の試合やで!」とわざわざ声掛けにきてくれたことがありました。各病室をまわっていたようです。精神科の病棟は病室にはテレビがなくて、食堂にのみ設置されているパターンが多いです。

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その後、日を改めて「ジーコが監督になるんやて!」というニュースも病室に配達されてきました。サッカーファンの看護師さん(女性)がいたのです。前回入院時におじさんの隣りの席で食事をしていたじーさんがほうれん草のおひたし(みじん切りになってる)を喉に詰まらせてチアノーゼを起こすまでになったときに、背骨が折れるかと思うほど背中をばしばし叩いてじーさんを救った看護師さんと同一人物です。

前回の退院のときは、退院後にまだ不安が残る状態で病院を出て、入院中もほとんどベッドの上だったので、退院後も体力がなくてへろへろだったのですが、今回は毎日1時間ほど歩いて体力はついているし、気力も充実しています。今回も半年入院しましたが、退院して自宅に戻ってからも平地ばかりながら毎日4~5km歩いていました。

そしてこの頃、ひとつの転機がありました。おじさんが退院してすぐに、地元の病院に入院していた父が他界したのです。

このブログでは、父の話をしていませんでしたね。機会がなかったのもありますが、あまり書きたくなかったという理由もあります。しかし入院のお話もそろそろ一段落ですし、この転機のお話もいいきっかけですので、あまり景気のいいお話ではないのですが、父のこともお話ししておこうと思います。

て訳で、次回からはおじさんの亡父のお話です。確執はうつのもと?

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