おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

話が飛んで埼玉〔個人史16〕

ごきげんよう、冬用のライディング・グローブを選びに選んで買ったら、防水性や耐久性は望み通り高かったのに、肝心の防寒性がさっぱりでがっかりのおじさんです。

前回からお話ししているのは、ちょうどおじさんの人生のターニングポイントです。お金に汲々としながら長時間労働で何とか性別適合手術の費用を貯めようとしているところ、身体が動かなくて出勤できなくなりました。

それまでお世話になっていた主治医は当てにできなくなりました。新たに別の病院に縋ってみたところ、そのお医者が下した診断は。

すぐに(遠くの)病院へ

具合が悪いという予兆があったので相談したにもかかわらず、主治医の言う通りにしていたら動けなくなってしまったので、おじさんは体調不良の隙を見て別の医者に助けを求めました。小柄な女性のお医者はおじさんの訴えを一ト通り聞くと、ずばり言いました。

「入院しましょう」

おじさんが訪ねた病院は駅前の小さな個人医で入院施設はありません。つながりのある県立病院を手配してくれたのですが、その病院は人気(?)の病院で、病室が空いていることが少ないのです。

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しかしタイミングがよかったのか、ちょうどベッドが空いたというので、このように言われました。「入院の用意を一式持って、明後日その病院へ行ってください」。

ちょ待って、明後日?! しかも地元ではなく、ふたつ隣りの市まで行かなくてはなりません。遠いよう。

よもや入院とは考えてもいませんでしたし(怖いことに、身体が動かなくなったというのに「入院するほどの不調ではない」と思っていたのですな)、会社にもその旨の承諾を得なければならないし、あたふたします。それに、お金がなくて汲々としている状況ですから、入院の費用なんてものもありません。

そう訴えますと、「お金がないなら支払いは待ってもらえますし、生活保護という制度もあります。仕事を休めないなら辞めて入院しましょう」と医師。つまり、仕事を辞めてでも、生活保護の制度を使ってでも、今すぐ専門の病院に入院しろ、ということです。ああ、そんなに状態が悪いんだなあ、とこのときやっとおじさんは思いました。

埼玉医大病院の話

見出しを見て「埼玉医大に入院したの?!」とびっくりしてしまった人もいるかもしれませんが、そうではありません。おじさんは関西の外れ在住で入院したのも同じ県内です。

これから入院のお話をしようというところなのですが、会社勤めをしている間に性同一性障害の治療をはじめたいがどこへ行っていいかわからず、埼玉医大まで行ったお話をしておいた方がいいのかな、と思いまして。話があっちこっちで申し訳ないのですが、このお話をしておきます。今お話ししておかないと忘れそうなので(老)。

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動けなくなる半年くらい前だったでしょうか。おじさんが住んでいる関西地域での性同一性障害の治療機関(まだ「ジェンダークリニック」という言葉がなかったように記憶しています)が一向に見つからないので、思い余って当時の性同一性障害治療の中心人物だった埼玉医大のH教授に電話をしたのです。

そこで問われたのは「どうしたいのか」「どうなりたいのか」です。いきなりそんな風に問われて、どう答えていいのかわからずにしどろもどろしていると、話にならんとばかりに間もなく電話は切られてしまいました。

H教授は「性移行をすることによって、どのように生きていこうとしているのか」ということをお訊ねだったのだ、といまならわかるのですが、当時のおじさんはわからなかったのですね。だから答えられず、多忙なH教授は早々と受話器を置いてしまったのです。

しかしおじさんはわかっていませんし、苦手な電話をやっとのことでかけても当を得た回答は得られなかったし、これは直接お会いするしかない、と考えて埼玉まで仕事を休んで出掛けたのです。新幹線に乗るほど裕福ではないので、夜行バスと始発電車を乗り継いで9時間だか10時間だかかかって行きました。

ジェンダークリニック黎明期

内性器摘出術を、おじさんの母はおじさんに先駆けて受けていました。母はトランス男性だった訳ではなくて、子宮筋腫という病いを患っていて、その治療として全摘出を選択したのでした。

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そのときの入院機関は1週間、費用は保険が効いて10万円ほどでした。術式は性同一性障害の内性器摘出術と何ら変わりません。

てことは、お医者に融通してもらって適当な病名をつけて手術してもらえばいいんじゃね?

などと考え、ホルモン注射をしてくれているお医者に相談し、そこから紹介され紹介され、辿りついた大阪の病院でそのようにしてくれるというお医者に出会ったのです。しかし、そのお医者が言うことに。

「縦に開けるか横に開けるかでその後の手術に影響するから、どっちがいいのか専門の先生に訊いてきなさい」

という訳でH教授にそれを訊ねました。怒られました。「そんなことしたら、下手したらその先生の首が飛ぶぞ」。

当時は性同一性障害の外科的治療が国内ではじまったばかり。専門の医師でもない限り、たとえ医者でもよくわかっていない場合がほとんどだったのです。それに、ブルーボーイ事件という先例もあります。H教授はそれをご心配だったのです。

問診でおじさんが要治療ということも把握してくれて、お叱りの上で関西で性同一性障害の治療をしている病院への紹介状をその場で書いてくださいました。当時、精神科だけ治療に関わっていた近畿大学医学部附属病院です。

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渡りに船で近大病院へ行き、地元から片道90分ほどかけて月に1回通いました。毎月1回仕事を休む訳です。もちろん会社に厭がられましたが、それに構っている場合ではありません。

半年ばかり通って、一応、性同一性障害の診断は下りました。しかし、既にうつ病を患っていますということを伝えますと、担当医から「うつ病をなおしてから性同一性障害の治療をしましょう」などと言われ、治療は一旦終了。

ここからどうしていいやら。そうこうしているうちに、おじさんは動けなくなったのでした。て訳でここから入院のお話に戻ります。

受診した日の翌々日に二つ向こうの市にある病院に入れと言われたおじさん、当時はまだ戸籍上は女性でした。男性として社会で生活していましたが、つまり保険証の上でも女性です。入院したおじさんはどうなるのでしょう。

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