おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

お金がない〔個人史14〕

ごきげんよう、天ぷらそばにはえび天よりもいか天を選ぶおじさんです。

前回はお金が必要になってアルバイトをはじめた話でした。生まれたときに女児と判定されたおじさんがはじめて男性として働こうとして失敗したお話でもありましたね。

なぜお金が必要になったかと言えば、性別適合手術を志したからです。その費用は、当時言われていた額はトランス男性の場合500万円程度というもの。生まれたときから貧乏という病に冒されていたおじさんには幻みたいなお金です。

おじさんはどうやってお金を調達したのでしょう。長い道程のお話のはじまりです。

お金がない

おじさんは生まれつきの貧乏でした。

貧乏というのは遺伝するようで、おじさんの親もきょうだいも貧乏です。そして貧乏は不治のようで、おじさんの親は幼い頃から裕福だったことがないそうで、おじさんやおじさんのきょうだいも生まれてこの方裕福だったことはありません。

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どれくらい貧乏かというと、比喩ではなく貯金がない。貯金している場合じゃない。会社員時代に銀行口座の残高が25円しかない、ということがあって、その話を当時の同僚にしたらば「うそやろ」なんてことを言われたのですが、そんなことはしょっちゅうなのです。

おじさんは職を転々としがちでしたが、会社員を続けていた時期もありました。しかし、おじさんが勤めていた先というのは、給料がいいと社風がおじさんに合わなくて、おじさんに合った職場だと給料がイマイチ、という型から外れることがありませんでした。

おじさんは役職手当をもらっていたことがあります。その頃は残業を毎日3時間して、役職手当がついて、一ト月の手取額が14万円あるかないかでした。非常に乏しい。賞与が最大1箇月分でした。1箇月分というのはもちろん、残業代だの役職手当だのを除いた額です。乏しい。

そんなでしたから、性別適合手術を受けようと決めてからの生活は大変厳しかった。当初は実家に住んでいましたのですが、給料は全額家に入れていました。そこから小遣いをもらうという制度になっていまして、さらにそこから貯金をしなければなりません。

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しかし、通勤費だとか昼食代だとか、そういった費用も小遣いから出さなくてはなりませんから、貯金もままなりません。貧しい。

切り詰めて切り詰める

それでも「塵も積もれば山となる」と言いますから、僅か100円でも10円でも1円でも、隙あらば貯金箱に放り込んでいました。貯金箱と言っても「貯金箱」を買うのではなく、空のペットボトルに切り込みを入れて貯金箱代わりに使っていたのです。

それを何本も貯めるようにしていました。銀行に入れたらATMから引き出して使ってしまいそうだったので、使わないかたちで持っている方がよかったのです。

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出費をできるだけ抑えるため、外食は一切しないことにしました。買い食いなど以ての外。しかし当時のおじさんはコーヒーがとても好きで、缶コーヒーを飲みたいと思うことも多かった。だから、自動販売機の前で立ち止まることも多かったです。

当時はまだ100円で缶コーヒーが1本買えました。硬貨1つチャリンと入れれば缶コーヒーが出てきます。1回くらい買ってもいいよね、とチャリンと入れそうになることもありましたが、それを10回繰り返せば1000円、100回繰り返せば1万円になります。

逆に言えば、缶コーヒーを10回我慢すれば1000円、100回我慢すれば1万円が貯金できます。

10分15分と「飲みたい」と「我慢」の葛藤をして、やっと自動販売機から立ち去ることができたときは、自分を讃えました。帰宅して貯金箱にチャリンと入れたらガッツポーズです。

荒んでいく

やがて実家にはいられなくなってひとり暮らしをはじめると、小狡いことをするようになりました。その頃の職場は大企業の敷地内での下請け業で、おじさんがいた現場も設備がよく整っていました。トイレはいつもきれい。 

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トイレットペーパーが切れているなんてこともなく、いつも充分な数が補充されていました。おじさんは一ト月に1回くらい、それを失敬していました。泥棒です。犯罪です。でも、当時はたいして悪いことには思えずにいました。「貧すれば鈍す」とはこういうことです。

それだけでなく、自宅での排便をできるだけ控えて、職場で済ませるようにしていました。自宅で水洗とトイレットペーパーを使わなくて済むように、です。誰かと食事に行っても、まとめて払ってくれたときは請求されるまで支払いをしらばっくれていました。「貧しいものが多くを持つ者からいくらかもらって何が悪い」というようなことを考えていました。

あるとき、学生時代からの友人が牛丼をおごってくれたことがありました。そのときはほんとうに申し訳なく思ったので「悪いね」と言ったらば、友人は「いいよ、300円(当時の価格)くらい」と言いました。そのとき、おじさんは少々憎悪を感じました。「300円『くらい』って言いやがったな」と。

おじさんの心の闇がどんどん深くなっていくのがわかりますか。お金の余裕がないと気持ちの余裕もなくなって、こんなことにしまうのです。気持ちが荒んでしまうのです。

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こんな汲々とした生活をしていたせいか、それともほかの原因があったのか、おじさんは性別適合手術を受けようと決めてから約4年ののちに動けなくなりました。

起き上がれない

貧乏窮まったおじさんは起き上がれなくなりました。目が覚めると既に疲労困憊で、身体が鉛のように重くて腕を上げることもできません。起き上がれないので仕事にも行けません。仕事に行かないと生活費すら得られません。どうしよう。

さて、動けなくなったおじさんはどうなるのでしょう。つらい話ですが、続きは次回。

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